アイツの肌がマブシイのも。
オレの頭がオカシイのも。

きっと、全部、夏の所為。



herbivore



「絶対、志波くんに変に思われたよね…ごはんって…訳わかんないし。」


ミナコは浴槽の中にタオルを埋め、クラゲを作ると、ゆっくりと両の手で
圧力をかける。そして、クラゲの頭からぷすぷすと気泡が押し出されるの
じっと見つめていた。完全にクラゲの頭を潰してしまうと、また同じ動作を
繰り返す。先ほどから同じ動作の繰り返し。そして、思考も繰り返す。
ずっと同じことを繰り返しているので、浴槽にぱしゃりと一つ水音が
立ったことにすら、ミナコは全く気が付かなかった。


「う…ん…なんか、志波くんに謝ったほうが…
 でもそれもちょっと違うような気が…。」
「あのー小波さん?」
「…はい、小野田さん。」
「タオルを浴槽に入れるのは、マナー違反ですよ?」
「……ごめんなさい。」
「それに…」
「それに?」
「いつまで湯船に浸かってる気ですか?野球部の入浴時間、
 たしか随分前だったでしょう?今日の入浴時間、生徒会執行部が
 最後なんですけど。」
「あーーーごめんなさい。なんか、考え事してたら…。」
「あ、ええと。別に怒ってる訳じゃないんです。いくらなんでも
 こんなに長いこと浸かっていたらのぼせてしまいます。小波さん、
 もう顔真っ赤ですし。そのーーこんなところで倒れられたら、私
 どうしてよいものやら…」
「あああ!本当にごめんね、ヘンな気を使わせちゃって…もう直ぐ
 あがります!」


合宿所の大浴場から出ると、ミナコは一人、夕涼みのために合宿所の
裏手に回った。少し湿ったままの髪をタオルで拭きながら、裏庭に
設置してあるベンチに座った。昼間は茹だるような暑さだったが、
日が落ちた今は少し風が出ていて、湯上りの体には十分涼やかで
気持ちが良い。

裏庭に面した部屋が野球部が使っている大部屋なのだが、今は皆
買出しにでも行ってしまったのか、人気が無い。日中のハードな
トレーニングの所為か、もとより食べ盛りの所為か。風呂上りの
この時間は、皆連れ立ってコンビニへ菓子など買いに行くのが常だった。

ミナコは、その人気は無いが明かりだけ煌々とついている大部屋を見つめて、
夕涼みで冷めたはずの頬が一気に火照るのを感じた。


あの部屋で。

半裸の志波が。

真っ直ぐに、自分を見ていた。


志波の真っ直ぐな視線を見つめた途端、肌が焼け付くように熱いと思った。
多分、志波は寝ぼけていて…ただ、冗談交じりに自分を見つめただけなの
だろうと思うけど。自分はなんだか、そんな気がしなった。


なんだか、食べられてしまいそう。

なんだか、食べられてしまいたい。


そんな馬鹿げた妄想が一瞬ミナコの頭を支配した。そして、それを振り払う
ように口にした言葉が…ごはん。いろんな意味で呆れられてしまいそうだと
ミナコが小さく溜息をついた瞬間、背後で気配が動いた。


「…小波?」
「ああああ!志波くん!?」


振り返ると志波が片手にコンビニのビニール袋、反対の手には棒アイスを
もって立っていたのだった。どうやら合宿所まで我慢できず、アイスを
食べながら帰ってきたらしい。一瞬大声を上げたミナコに驚いたようだったが、
暑さに解けかかるアイスが気になったのか、しゃくしゃくと大口を開けて
アイスにかぶりついていた。


「あ…あ…の。志波くん…」
「ん?」


ミナコはとりあえず、何か適当なことをしゃべろうと思ったのだが、
上手く言葉が出ない。つい先ほどまで、今朝の半裸の志波を思い出して
いましたなんて、口が裂けても言えない。志波はそんなミナコの様子を見て、
小さく笑った。


「アイス欲しいのか?」
「ええ!べ、別にそうじゃないよ…」
「でも、さっきからずっと見てる。」
「あのそれは…あ!!」
「お!!!」


既に解けかかっていた志波のアイスが、自重に耐えられず、棒から滑り
落ちた。ミナコは思わず手を差し出し、そのアイスを掌でキャッチする。


「すげーな、念力か?」
「ち、違うよ…」
「まぁ、いいか。勿体無いから、食っておけよ。」
「うぅ…なんか、ごめん。」


勧められるまま、ミナコは掌でキャッチした解けかかったアイスを口にした。
アイスの四分の一程度が一気に落ちてしまったから、一口では食べきれない。
残ったアイスはミナコの体温で、更に崩れ、解ける。解けたアイスは甘い
水色の液体になり、ミナコの指から零れ、手の甲を伝い、白く柔らかそうな
腕に滴ってゆく。ミナコの掌で解けゆくアイスを見つめながら、志波がぽつり
と呟いた。


「…ん…やっぱ、勿体無かったかな。返せ。」
「返せって言われても!え…」


志波はミナコの手をさっと掴むと、掌に残されていた解けかけのアイスを
一口で舐め取った。そして、解けたアイスをも一滴も残さぬよう、
ミナコの指の間を舐める。一本一本丁寧に舐ると、腕に滴った一筋を
ぺろりと舐め上げた。一瞬何をされているのか良く理解が出来なかった
ミナコだが、志波の舌の感覚から、少し遅れてくる背筋を走るゾクゾク
とした感覚で、やっと我に返る。


「し、志波くん!私の手…汚いよ!」
「ん……そうか?地面に落ちても3秒セーフだ。湯上りのお前の肌の上
 なら相当セーフだろ?」
「!!!!」
「…ご馳走様。」


一滴残らず解けたアイスを舐めきった志波は、満足そうに笑って
ミナコの手を離した。そして、ミナコの目を真っ直ぐに見つめる。
それは、まるで朝の…大部屋の時と同じ、視線。ミナコはその視線に
絡め取られて、微動にも出来なくなる。竦んで動けなくなった
ミナコに、志波はゆっくりと手を伸ばすと、そっと、まだ湿っている
ミナコの髪を撫でる。そして、志波の指先が、ミナコの首筋をなぞろうと
した瞬間、背後から声がかかった。


「志波!明日の買出し当番かけてウノ大会はじめんぞ!早く来い!!」
「…チッ。……直ぐ行く。」


志波が振り返ると、やはりコンビニへ買出しに行っていたチームメイト達が
大挙として帰ってきたところだった。さすがに、これだけ人がいたら…
この先は、ない。名残惜しげにミナコの髪をくしゃりと撫でると、
志波はミナコの耳元でそっと囁いた。


「どうせ襲いに来るなら、夜にしろよ。朝は眠くて…
 よく頭まわらねぇ。…それとも、オレの方が行ってやろうか?」
「…!!!!!」
「冗談。ク…ッ…そんなに目、見開くなよ。」


志波はもう一度くしゃりとミナコの頭を撫でると、チームメイト達と
一緒に二年部屋へ戻っていった。その場には顔を…湯上りの時よりも
火照らせたミナコが一人残される。


「…まぁ、あんまり冗談でも…ないんだけどな。」
「ん、なんか言ったか、志波?」
「ん…なんでもねぇ。」


渋々チームメイト達と部屋に戻った志波は、先ほどのミナコの肌の
柔らかさを思い出しだしながら、そう小さく呟いたのだった。





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