「あれ…なんか水音がする…。」


千尋が耳を澄ますと、泉があるあたりから水音が聞えてくるようだった。
もしかしたら、千尋同様早朝の人のいない時間帯を狙って、水浴びを
している乙女がいるのかもしれない。

そう思い至ったのと同時に、千尋に苦い記憶が蘇る。水浴びの最中に
忍人に遭遇したことだ。百歩譲って、武器を携帯していなかったことを
罵られるのはまだいい。だが、ばっちり全裸を見られてあの態度…
私の女子としてレベルがそんなに低いのか、そうか、そういうことなのかっ!
という怒りが千尋の脳裏を支配する。思い返しただけで、腹ん中煮えくり返る
…という思いに支配された千尋は、根本的に何かあったら物凄く困るのは
千尋の方だという事実を、完全に失念していた。


「…水浴びしてる女の子が、忍人さんに遭遇する可能性も否定
 できないよね……私みたいな目に合わないうちに注意してあげないと!」


最終的にそんな老婆心に至った千尋は、気配を殺して泉に近寄った。
流石にいきなり水浴び中に走りこんできたら困るだろう…という
気遣いからだったのだが、いざ泉に行ってみると、人影は無く
ただ静寂な雰囲気がその場を支配していたのだった。


「あれ…気のせいだったのかな。それとも…もう、帰っちゃった
 のかな?まぁ、何事も無ければ、それはそれで……ん?」


ぴしゃり、と水音が聞えたと千尋が思った瞬間。ガッッと背後から力強い
何かに体を押さえつけられた。そして、間髪おかず、喉元に黒光りする
剣が宛がわれる。突然の出来事に、千尋はただ体を強張らせ息を飲む他
術が無かった。


「…隙を突いたつもりが、背後を取られるとは残念だったな。」
「え………」


耳元で、男の囁く声が聞えた。千尋を拘束している余裕からなのか、
まるで睦言を紡ぐかのように甘い口調で千尋の耳に囁きかける。


「今すぐここで、首を掻き落してもいいが…仮初に俺の水浴びの為の
 采女を勤める気があれば、その命、存えさせてやってもいいぜ?」
「あの…水浴びの為の采女って……。」
「皆まで言わねば、分らんのか?」


フッ、と男が小さく笑い声を漏らした。耳元をくすぐる甘い笑い声に、
千尋の頬が朱色に染まる。力強い褐色の腕は拘束を緩める気はないらしく、
千尋を男の腕の中に捕えたまま…千尋の薄い服の布越しに、濡れた男の
肌の熱がじんわりと伝わってくる。逃げる手立ては考え付かない。
いや、寧ろもう考えられないという方が正しいのか…一向に緩む気配が
無い褐色の力強い腕に、千尋は自身の手を重ねると、小さく同意の頷きを
男に返したのだった。




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