膝上の夢
橿原宮の最奥、王が住まう館に面した庭に一つ。辺りの建物とは、
趣が異なった東屋が建っている。異国情緒があふれるその東屋には、やはり
豊葦原風には馴染まない、長椅子が置いてあった。そして、長椅子には
転寝をする少女と、男が一人。
本来の長椅子の主は、夕闇色の髪を持つ長身の男。彼の麗しき女王の僕、
ナーサティヤその人だった。幾年かの放浪の旅の終に、橿原宮を訪れた
ナーサティヤは、女王の懇願を受けて、この地に留まることを決めた。
そんな女王が、ナーサティヤを気遣い自分の庭に常世風の東屋を建てたのは、
つい先日のこと。たとえ和睦が済んだとて、一度は豊葦原を支配した皇子
が、橿原宮に居るのは気苦労が絶えないだろうと、ナーサティヤを慮って
くれたのだ。
その好意に甘え、ナーサティヤは時間に空きが出来ると、常世風の東屋を
訪れた。そして、その東屋で茶など飲んで過ごしたりなどしていたのだが……
今日は生憎と先客が居た。ナーサティヤの主である女王……千尋だ。
しかし、千尋は日ごろの激務の所為で疲れがたまっていたのか、長椅子に
座ったまま、うつらうつらしている。無理に起こす必要もないだろうと
判断したナーサティヤは、音を立てずに千尋の横に座った。千尋が
目覚める時を待とうと思っていたのだが、千尋は目覚めることはおろか、
ナーサティヤの方へ寄りかかってきた。そして、一度大きく身体が傾いだ
と思うと…なんと、ナーサティヤの膝の上に頭をちょこんと乗せて、
本格的に眠り始めてしまったのだ。こうして、話は冒頭へ戻る。
「これは……どうしたものかな」
暫く、自身の膝上に千尋を乗せたままにしていたナーサティヤだったが、
さすがにこのままにしておくのは、問題があると思い始めた。
女王の戻りが遅くなれば、臣下たちが心配するだろう。それに、なんと
いっても……多分、千尋は狸寝入りをしている。先ほど、一度びくりと
大きく身体を揺らしたときに、覚醒したと思ったのだが、千尋は薄く開いた
目を再度閉じて寝込んでしまった。
「斯様に触れても、起きぬとは……」
ナーサティヤは、狸寝入りをする千尋の髪に触れる。ナーサティヤが、
千尋の髪を掬い取ると、指先から金色の絹糸がはらはらと落ちた。
そこまでしても、千尋は目覚める気配がない。
と、言うことは。千尋はある一つの意図を持って狸寝入りをしているのだ。
ナーサティヤは、その意図に薄々感づいてはいたが、あえて気がつかない
振りをする。さてはて、この女王は、どこまでその意志を通し、狸寝入り
を続けるのか……そして、千尋を膝上に乗せる至福を、自分は何時まで
楽しめるのか。ナーサティヤは、口の端を微かに上げ、眠る千尋を見つめる。
しかし、そうこうしているうちに、日が傾ぎはじめたようで、東屋に入る
日差しが随分と弱くなった。一陣の風が東屋に吹き込むと、ナーサティヤの
膝上で眠る千尋は、ふるる、と震えた。こんなところでこれ以上昼寝をさせて
いたら、千尋が風邪をひいてしまう。
「仕方、あるまいな。此度は千尋の勝ちの様だ」
ナーサティヤはそう呟くと、千尋の耳元に唇を寄せた。
「先日、とある女王より、『遙かなる異国では、眠りについた姫を
起こす為に、口付けをする』という話を聞いた。それで、相違なかったか?」
千尋からの返事はない。ただ、淡く笑みを浮かべた千尋の唇に、ナーサティヤ
はそっと優しい口付けを与えるのだった。
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