気が付いたら、そうなってたんだ。
致し方があるまい。



俺がアイツで、アイツが俺で。



九郎はかじかむ手に息を吐きかけながら、力強く雪を掘る。かき出した雪は
冬のほんの僅かの晴れ間の日の光を受けて、キラキラと輝いていた。
昨日まで一週間以上も降り続いた雪がうず高く積もり、高館の庭先は
一面雪景色を通り越して、雪の中に埋没していた。故に、九郎は、僅かに雪が
止んだ間を縫って、生活に必要がある場所の雪かきを始めたのだった。
かき出された雪にじゃれつくように、金は九郎の周りを走り回る。


「なにか、手伝いましょうか。九郎さん?」


館の奥から望美が顔をのぞかせた。しかし、九郎は返事をする代わりに
軽く手を振り、その必要性がないことを伝えた。今年の雪は稀に見る大雪で、
女子供が雪かきをするには骨が折れる仕事だったのだ。しかも、望美は平泉に
きてから調子が優れない。屋外の寒いところで体力仕事をさせる訳には
いかなかった。しかし、そんな九郎の気遣いを知る由もない望美は、部屋から
出て濡れ縁まで足を運んだ。


「でも、私だけ何もしないなんて。ほら、金ですら、お手伝いをしている
 んでしょう?」
「まぁ、金には雪を載せたそりを引かせているが…お前向きの仕事は
 ないんだ。館の奥で何か手伝いをすればいいだろう?」
「んー折角雪が止んだから…外で何か手伝えないかなって思ったんですけど。」
「仕方あるまい。あ、奥の手伝いはいいが、譲のじゃまはするなよ。」
「え?どういうことですか?」


望美が小首をかしげて九郎に問うた。すると九郎は眉根を顰めて、しかし声は
大きくはっきりと言い放った。


「いやー昨日の小鉢、お前が作ったんだろう?あれ、壊滅的にまずかったぞ。」
「……。ひーーーどおおおおおおいいいい!!!!!!」


確かに昨日の夕餉の小鉢は、譲の手伝いをして望美が作ったものだった。
皆なんか言葉少なげに食べているなとは思ったものの…なにもそこまで
はっきりいわなくても。自尊心が甚く傷つけられた望美は思わず地団駄を踏んだ。
すると、その瞬間、ちょっとした大きさの雪の塊が九郎の頭の上に落ちてきた。


「あたっ!!」
「あはははは。九郎さん、私の悪口言うからバチが当たったんだよ。」
「バチもクソもあるか!ってうおあああああああああ!!!」
「え?」


今年の平泉は、稀に見る大雪だった。
そして、雪が降り続いていた間、屋根の雪下ろしをするものもなく。
雪が止み、朝から晴れた今日は気温が上がった。

結果。

屋根の上の大量の雪が、少し溶けた上に望美の地団駄による衝撃によって、
九郎と金の上になだれて落ちた。


「きゃあああああ!!九郎さん!!金ーーー!!!」


望美の悲鳴を聞きつけたリズヴァーン以下5名の救援隊によって、九郎と金は
直ぐに救出された。しかし、しこたま頭をぶつけたのか、一人と一匹は
なかなか目を覚まさなかった。そして、時がたつこと暫し。


「わふ……。」(ううう…頭が痛い…。)
「ああ、金良かった!目を覚ましたんだね!後は九郎さんが目を覚まして
 くれるといいんだけど。」
「わんわん?」(…望美?)


目の前の布団には九郎が未だ床についたままだ。…ここにきて、九郎は
自分の異常に気が付いた。意志があるのに、目の前に自分の体が見える。


「わうわうわうわう!」(ということは何か、魂が体より離脱したか!)


九郎は慌てて自分の周りを見渡す。矢鱈、視界が低い。そして、足元を見ると…
毛に包まれた犬の足が見えた。


「わん!!?」(ってことは犬!!?)
「んもーどうしたの、金。さっきから吼えてばかりで。
 …そっか、金も九郎さんのことが心配なんだね。」


望美はぎゅっと九郎(でも見た目は金)を抱きしめた。突然の出来事に
九郎は驚きのあまり、わふわふと情けない悲鳴を上げた。しかし、その騒ぎの
所為か、遅れて金(でも見た目は九郎)も目を覚ました。


「あ、九郎さん良かった!目を覚ましたんですね………え?」


目を覚ました金(見た目は九郎)は、もそもそと布団から這い出ると、四つんばい
になったまま、所在なさげに視線を漂わせていた。やがて、耳の後ろの
あたりが痒くなったのか、一生懸命足でその場所を掻こうとしていたのだが、
もちろん只の人間である九郎の体では上手く掻く事が出来ない。残念ながら、
九郎はそこまでの柔軟性を持ってはいなかった。


「く…ろう…さん?」


あまりの奇行に、望美の顔色がどんどん曇っていく。九郎の尊厳、最大の
危機である。しかし、今の九郎は犬の体であり、その危機を防ぐことが
出来ない。これ以上九郎の尊厳が傷付けられる前に金(見た目は九郎)に
噛み付いてやろうかと思ったその時、弁慶が薬湯を持参して部屋に入って
きたのだった。


「弁慶さん!!九郎さんが、大変なの!!」
「わんわんわんわん!!!」(弁慶、丁度良いところに来てくれた!!!)
「どうしたんですか、そんなに大きな声で……九郎?」


弁慶も、九郎の奇行を見て目を丸くする。しかし、一生懸命に弁慶に吼えつく
九郎(見た目は金)と、相変わらず奇行を取り続ける金(見た目は九郎)を
交互に見つめ、何か考え込み始めた。そして、改めて金を見つめる。
その唇は、確かに「く…ろ…う?」と呟いたように見えた。


「わんわんわんわん!!!!」(弁慶、気が付いてくれたのか!!!!)


しかし次の瞬間、その唇はこの上なく美しく、そしてそれ以上に邪悪な、
黒い笑みをたたえていた。


「ああ…かわいそうに、九郎。きっと頭を強く打ちすぎてしまって、
 調子が悪くなってしまったんですね。これじゃぁ、まるで犬のようじゃ
 ないですか。源氏の御曹司がこんなになってしまったと知れてしまったら、
 一大事ですね。とりあえず、館の裏にある物置小屋にでも閉じ込めて
 おきましょう。」
「え…でも、あんなに寒いところに閉じ込めるなんて…」
「まぁ、布団ぐらい引いてあげればいいですよ。さて、善は急げです。
 さっそく物置小屋に…ああ、金も体調が心配ですから、即泰衡殿の館に
 送り返しましょう。」
「わうわうわううううう!!!」(べ〜ん〜け〜ぇ〜〜!!!)


ものすごい重要事項をさらっといってのけた弁慶は、早速リズヴァーン
に頼んで金(見た目は九郎)を物置小屋に閉じ込めた。リズヴァーンは
黙して語らず、ただ涙ながらに九郎を物置小屋に閉じ込めたのだという。
そりゃあ愛弟子が、犬の様に足を上げておしっこをしようとした姿を
見たら、涙の一つもでるというものだろう。

さて、一方泰衡の館へ追い返された九郎(見た目は金)だったが、今後どう
すればよいのか、ほとほと思案に暮れていた。それに朝から何も食べて
おらず、腹もへっていた。土間の辺りで暫くうろうろしていると、なにやら
奥から大きな足跡が聞えてきた。


「…金、帰ったか。」
「わんわん。」(おお、泰衡か。)


九郎(見た目は金)が顔を上げると、泰衡がいつもどおりの仏頂面で、九郎
のことを見下ろしていた。そして、近くにいた下男に吐き捨てるように
命令をする。


「この馬鹿犬は高館で、雪に埋もれてたらしいな。そんな馬鹿犬に
 やるえさなどないわ。今日はえさ抜きでよい。」
「ははあ。かしこまりやした。」
「わう……。」(酷い……。)


不機嫌極まりない口調を怖れた下男は、命令を受けるとそそくさと泰衡の
前から去っていった。そして、館の土間には泰衡と九郎(見た目は金)のみ
が残される。九郎は再度仏頂面の泰衡を見つめる。その表情に変りはなく、
今日は飯抜きか…と諦めた瞬間、泰衡の表情が崩れた。


「くーーーたん!!おとうちゃまは心配だったんだぞ!!」
「わふ、わふわふ〜!」(く、くるしい…きつく抱きしめすぎだ、泰衡!)
「くーたんにもしものことがあったら…いかん、考えただけで涙が。」
「わうわうわう…。」(それにしてもくーたんって…。)


きつく抱きしめるだけでは足らず、泰衡は九郎(見た目は金)の顔に激しく
頬擦りをすると、九郎を抱きかかえて自室へ連れ込んだ。そして、小机の
引き出しからなにやら取り出すと、九郎に与えた。


「さあ、最高級干し肉だ。たんと食え。御館にはおやつのやりすぎはいかん
 といわれているのだがな……。くっ…くーたんをそんな酷い目に合せる
 なんてことは出来ぬ相談だ。」
「わう…。」(泰衡…。)


九郎は自分が拾ってきた犬が、こんなにも泰衡に愛されていたことに
深く感動していた。しかし、それでもやはり、ちょっと「くーたん」はどうか
と…思わないこともないような気がする…などと逡巡しながら干し肉を食べた。
そして、やがて夜の闇は深くなり、嫌がる九郎(見た目は金)を泰衡は無理矢理
布団の中に引っ張り込み、むぎゅむぎゅ抱きしめながら眠ったのだった。


翌朝。


流石に泰衡の館にいても、事態は解決しないと悟った九郎(見た目は金)は、
泰衡の床からそそくさと抜け出すと高館へ急いだ。たしか、弁慶の策略に
よって金(見た目は九郎)は物置小屋に閉じ込められているのだ。
九郎は早速高館に到着すると、裏手に回り目的の小屋に到着する。しかし、
悲しいかな、犬ゆえに、引き戸を開けることが出来ない。


「わうーーーー。」(困ったな、どうしようか。)
「あら、金。」


九郎(見た目は金)が振り返ると、丁度望美が、手に盆をもち館から
やってきたところだった。

「金、随分と早いわね…そっか、お前も九郎さんのことが
 気になるんだね。そうだ、一緒に看病してあげようね。」
「わんわん…」(望美…)


そういうと、望美は小屋の鍵を外し、引き戸を開けた。九郎も続いて
中に入る。すると、小屋の片隅に布団が引いてあり、その上で金(見た目は
九郎)が寒そうに丸くなって寝ていた。悲しいかな、犬ゆえに、布団の中
で寝るという概念がなかったらしい。


「九郎さん、お加減いかがですか?昨日から何も食べてないでしょう?
 …私、料理はやめろって九郎さんにいわれちゃったから…何も差し入れ
 できなくってごめんなさい。でも、今朝、ホットミルク作ったんです。
 蜂蜜入りで。これなら、九郎さんも飲めるかなって…」
「わん…わんわん。」(望美…俺の為に。でもほっとみるくってなんだ。)


望美は差し入れのためのホットミルクを載せた盆をもったまま、小屋の隅
で寝ていた金(見た目は九郎)に近づいた。すると、今の今まで眠っていた
金がぴくっと鼻を動かすと、急に起きて望美に飛びついた。


「のわわあああ!!」
「は…ら…へった。」
「わうわうわう!!」(なにするんだ、金!!)


弁慶の策略によってほぼ丸一日食事を抜かれた金は、ホットミルクの匂いに
つられて望美に思わず飛び掛ってしまったのだ。急な出来事に驚いた望美が
思わず持っていた盆をひっくりかえし、頭からホットミルクを浴びた。運良く
既にミルクが温くなっていたおかげで、やけどはしなかったのだが、見事に
ミルクまみれになってしまった。


「んもー九郎さん、ひどいよーーー!!って、え……。」


金(見た目は九郎)は飛び掛った勢いのまま、望美を押し倒し、ミルクの
掛かった辺りをくんくんしていた。そして…ぺろりと舐めた。


「やん、あっ!!九郎さん…あっ…やめ、やめて。」
「わんわんわんわんわん!!!!!」(金、馬鹿、やめろおおお!!!)


しかし、腹のへった金(見た目は九郎)にそんな声が届く訳もなく。
ミルクがいっぱい掛かった、望美の耳元や首筋を金は舐めまくる。


「や…もう、今日勝負パンツじゃないのに…九郎さんったら
 …我慢ができないんだから…ああん…。」
「わう!わうわう!!」(の、望美!って、勝負ぱんつとはなんだ!!!)


九郎が余計なことに頭を回しているうちに、気が付くと、先程まで馬乗りに
なって望美の首やら胸元やらを舐めていたはずの金(見た目は九郎)が、逆に
望美に馬乗りにされていた。


「うふふ…今日の九郎さん、だ・い・た・んでステキ…。」
「わふわふわん!!わんわうーーーうーーーー!!」
(おい、望美!!ななななんで、そこで俺の帯を解くっっ!!)


一生懸命に吼える九郎(見た目は金)をそっちのけで、望美は帯を
手早く解き始めた。これでは間違いなく、ヤられる。なんか正直嬉しい
んだか、嬉しくないんだか良く分からなくなった九郎は、とりあえず、
望美の魔の手から自分の体の貞操を守るべく、望美に飛び掛った。


その瞬間。


メキメキっと、音がした。


そういえば、今年の平泉は、稀に見る大雪だった。
そして、雪が降り続いていた間、屋根の雪下ろしをするものもなく。
本館の建物は、前日の九郎と金に雪が直撃するという不幸な事故が
起こった所為もあり、既に屋根の雪下ろしを終えていた。
しかし、館の外れにある物置小屋の雪など下ろす訳もなく。
昨日の夜に降った雪の所為で、屋根に積もった雪は重みを増し。


結果。


小屋が潰れた。


「きゃぁぁぁぁああああ!!!」
「わうわうわうううううう!!!」


望美の悲鳴を聞きつけたリズヴァーン以下5名の救援隊によって、望美と九郎と
金は直ぐに救出された。しかし、しこたま頭をぶつけたのか、二人と一匹は
なかなか目を覚まさなかった。そして、時がたつこと暫し。


「っつ…ううう…頭が痛い…。」
「おお、九郎。目覚めたか。」


鈍い頭痛に襲われながら、九郎は目を覚ました。すると、床の側にいた
リズヴァーンが九郎の顔を心配そうに覗き込んでいた。


「ええ、先生。なんとか無事に…望美や金は?」
「ああ、既に先程目を覚ましている。……本当に、良かった……。」


不意に鬼の目に涙が光る。リズヴァーンの脳裏には昨日の悪夢のような
出来事が蘇っていたのだった。彼の涙の理由を知る由もない九郎は、
小首をかしげながらその光景を見つめていた。


「くっ…すまん、九郎。私はお前が正気に戻ったことを、皆に伝えてくる。」
「え…先生、正気じゃなくて、気が付いたでいいんじゃ…。」
「何もいわずとも良い。」
「え…。」


リズヴァーンは、九郎に質問を挟む暇も与えず、瞬時にして消えた。
その直後、九郎が目を覚ましたことに気が付いた望美が部屋に入って来た。
そして、手には…ホットミルク。


「あ、九郎さん…大丈夫、でしたか?」
「の、望美…大丈夫だ。で…なんで、それ…」
「えへ…なんか、九郎さん、ホットミルク好きみたいだから…」
「………いや、なんか記憶がないので、な…なんだ、そのほっとみるく
 とやらは。」
「そんな…九郎さん…。」


九郎の口から、偽りの言葉が零れる。しかし、耳まで真っ赤に染まった
顔色を誤魔化すことなど出来るわけもなく。その後、事あるごとに、
望美が潤んだ瞳で見つめながらホットミルクを持参するようになるのだが、
それはまた、別の話。




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