あなたに、背中を向けられるのがいや。
わたしを、否定されているようでいや。
そんな事を、思う私もいや。
そんな私を、知られてしまう事が一番いや。

全部…いやなの。



背中



初冬の平泉から出立すること、数日。鎌倉への行軍はあくまでも少人数での
隠密行動であり、その道行きは困難を極めた。人気の無い道は急峻な山道ばかり。
そして、人がいない代わりにいるのは…どこかの戦場から逸れ、流れてきた
怨霊ども。急ぐ道ゆえ、力に任せて怨霊を押し切り、封印する。そんな
戦いが度重なる為、九郎一行の疲労の色合いは、次第に濃くなり始めていた。
そして今日も一段と体力を使う厳しい戦いの後、寂れた山村に宿を求めた。

元は富農の家であったと思しき家屋は、使われなくなってから久しいのか、
とても埃っぽかった。しかし、雨風を凌げる上に少々黴臭いとはいえ立派な夜具
もある。この強行軍の中では非常に恵まれた宿といっても過言ではなかった。

仲間内では既に公認の仲となった九郎と望美は、隣り合った部屋を宛がわれた。
「なんなら、一緒の部屋でもいいのではないですか?」と笑う弁慶を、
九郎が厳しい顔で「こんな時にくだらないことを言うな。」と一喝する様子を
見て、望美は、「本当は自分も一緒の部屋がよかった」なんて言い出すことも
できず、だまって自分に宛がわれた部屋で褥を作る準備を始めた。

どこからか引っ張りだしてきた夜具を、九郎は一つ望美の部屋に置くと、
もう一つを自身の部屋に置く。そして、自分の部屋の褥を整え、手持ち無沙汰
になった望美を呼んだ。


「…悪いが、手伝ってくれるか、望美?」
「はい、今行きますね。」


しかし、望美が九郎の部屋を訪れると、雑然ではあったものの褥の準備は
整っており、特に望美が手伝ってやる必要性はないように思われた。
疑問に思った望美が、丁度望美の背後で具足を外し、薄物に着替えていた
九郎のほうに振り返ると、そこには、九郎が、熱い眼差しを望美に向けて
無言で立っていたのだった。

それから先のことは、まるで嵐が如く。
九郎は望美を褥の上に押し倒すと、あっという間に望美の外殻を隠す
薄布を引き剥がし、望美の体に激しく熱を与える。
強く、強く、強く……まるで鬼神に抱かれるかのように。
そして瞬く間に事は済み、九郎は褥の中で望美に背を向け眠りについた。

望美は自身の衣を調え、向けられた九郎の背中を見つめる。平泉を出立して
から後、今日の様に抱かれることがままあった。決して、手荒く抱かれる
事はいやではないのだが、事が済むと直ぐに背中を向けられるのは酷く
堪えた。なんだか、もう、望美には用がないのだといわれているようで。
それに望美は…もっともっと九郎にたくさん抱きしめてもらいたかったのだ。

平泉にいた時はこんな風じゃなかったのに…と、望美は九郎のモノである
徴を付けられた首筋を撫でながら、小さく溜息を付いた。平泉での九郎は、
時間をかけて、慣れないながらも優しく、望美のことを抱いてくれた。
男の人はことが済むと疲れてしまうから…と、もといた世界で聞いたことも
あるので、それは仕方ないの事なのかとも思う。でも、ここ最近はそれが
余りにも顕著で…望美は悲しかった。

平和な時を過ごす恋人同士であれば、そんな不平不満も楽しく言い合える
のかもしれない。しかし今は鎌倉を攻めるという大事な時。行軍は厳しく
道行を楽観視することは出来ない。そんな時に、九郎にこんなことを訴えて
気を煩わせる訳にはいかなかったし…こんな馬鹿げた事を考えていたのか
と、九郎に思われるのは死ぬほど嫌だった。

それに…もう一つ思い悩むことがあったが、それ以上考えると涙が出てきて
しまいそうだったので、望美は眠っている九郎を起こさぬよう、静かに
褥を後にした。

暗がりの中、望美は自室へ戻るべく引き戸のある方へそっと歩き出す。
しかし、足元が良く見えず、何か硬いものに右足の小指をしこたまぶつけて
しまった。


「…っ……。」


激しい痛みが望美の小指を襲ったのだが、疲れて眠っている九郎を起こす訳
にはいかない。望美はしゃがみこみ、痛みが引くまで黙ってその場に蹲る
事に決めた。そして、その時、急に部屋が明るくなった。


「どうした、望美。」
「…九郎さん…ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いや、眠ってなかった。」
「…。」


九郎が灯明をつけて、望美の傍に寄ってきたのだ。足を押さえて蹲る望美の
姿に、一瞬眉を顰めた九郎だったが、直ぐに望美の傍にしゃがみこみ、怪我の
様子を見てくれた。


「…赤くなっているな……少し動かすぞ。」
「はい…あっ…いた……。」
「大丈夫か?動かせそうだな。骨には異常が無いようだ。しばらく
 休んでから部屋に戻るといい。」
「はい……。」
「その格好のままでは冷えるな。…ほら、こっちへ来い。」
「えっ…」


九郎はそう言うや否や、望美を抱きかかえ、褥の中に引き込んだ。
そして、丁寧に夜具を掛けると、またもや望美に背を向けて、
横たわってしまったのだった。

またしても向けられた九郎の背中を見つめながら、望美はあまり
考えたくなかったことを考える。起きていたのに、背を向けていたという
ことはやはり…事が済んでしまえば、もう望美の顔すら見たくない
ということなのだろうか。もしかしたら…九郎はもう、望美の体に飽きて
しまったのかもしれない。望美は九郎以外の男を知らないから、男を悦ばせる
技術とかも、良く分からない。だから、九郎に快楽を与えられるばかりで、
九郎としてはつまらないのかもしれない。…そうだ、きっと望美は…。


「…私、まぐろ…とかいうのなのかな。」


そう思うと、望美の瞳からぶわっと大量の涙が溢れ出た。声も漏れそうになる
が、必死になって耐えた。間近にいる九郎に気取られる訳にはいかない。
望美はまだ少し痛む足を無理に動かすと、褥を出るために夜具をめくった。


「…望美?」


急に望美の気配が動いたので、九郎は慌てて振り返る。すると、丁度望美が
褥から出て行こうとするところだった。足が良くなったのかと思ったのは
ほんの一瞬で、九郎は望美の瞳から涙が流れていたことを見逃さなかった。


「望美、そんなに痛むのか?弁慶を起こしてくるから、もう少しここにいろ。」
「…大丈夫です。」
「では、何故涙を流していた?」


まさか、九郎の背中を見て…自分が飽きられているのではないかと思って
涙が出たとは死んでも言えない望美は、九郎の問いかけに答えもせず、
褥から抜け出そうとした。しかし、瞬時に九郎の大きな手が、望美の手首を
掴み、褥の中に引き戻す。


「俺の問いに答えないのか?」
「だって…九郎さん……」
「何だ?…っておい、どうした望美?」
「九郎さんに背中向けられちゃうんだもん、私。…私、もう飽きられちゃった
 のかなぁって。」
「な、何馬鹿なことを言ってるんだ、お前!!」
「うっ…。」


九郎に馬鹿と罵られた望美の瞳から、また一段とたくさんの涙が零れ落ちた。
確かに、九郎にとっては取るに足りない馬鹿馬鹿しいことなのだろう。
反論できない望美は、肩を震わせながら泣く以外に手立てが無い。


「わ、私、九郎さんを悦ばせるような方法、全然分からないし…」
「それ以上言うな!!!」


九郎はそう言うと、泣きじゃくる望美を抱き寄せた。まさか…自分の取った
行動で望美がこんな風に思ってしまうなんて、思いもよらなかった。
望美は、誤解している。その誤解を今ここで解いておかなければ、大変
なことになると、九郎は確信する。九郎は脳裏で、「男を悦ばせる
方法が知りたい」なんて呟いて…それをヒノエに聞き取られ、ヒノエの
褥の中に引き込まれる望美の姿を、ありありと想像することが出来た。
…そんな事、断じて許さん。そう決心した九郎は、望美の耳元に唇を寄せて、
黙っていたことを告白する。


「その…お前が嫌になって、背を向けている訳ではないんだ。」
「じゃぁ…なんで?」
「…う……その………。」
「やっぱり…わ、私が…」
「そうじゃない!!我慢できないんだ。お前を見ていると、一回じゃあ、
 我慢できなくなってしまうんだ!!」
「く、九郎…さん?」


抱きしめられ、九郎の胸元に頬を埋めていた望美だったが、九郎の思いがけ
ない告白に思わず顔を上げ、九郎を見つめる。九郎は望美から視線を逸らして
いるが、その顔は真っ赤になっている。


「この強行軍の中、一晩に何度もして…お前の体力を消耗させる訳には
 いかんだろう?本当なら、こういうこと自体、控えなければならぬと
 いうのに…俺は…戦いが厳しければ厳しいほど、お前が欲しくなって
 我慢できないんだ。だから…」
「それならば、そうと言ってくれれば良かったのに。」
「ダメだ、お前は直ぐに俺を甘やかせる。その所為でお前が怪我でも
 したら、俺は死ぬほど後悔する。」
「そんな…。でも、そんな風に気を使ってくれていたなんて…全然、
 分からなかった。ごめんなさい…」
「いや…言わねば、伝わらないこともある。俺も悪かった。」
「そうだね、言わなきゃ伝わらないこと、あるよね。」


九郎の告白に、望美も一つの決心をする。望美は九郎の薄物の帯の辺り
を弄りながら、小さな声で九郎に望美の気持ちを伝えた。


「あのね…私…私はもっともっと九郎さんにたくさん抱きしめてもらう
 方が好き…。あと、ね。今日はそんなに疲れてないし…もう、足も
 痛くないよ。」


最後の方は、余りにも声が小さくなって、良く聞き取れなかった。しかし、
九郎は望美の言葉の意味を正確に理解すると、小さく笑った。
望美が…望美の方から「そういうことがしたい」と九郎を誘っているのだ。
九郎は返事をする代わりに、望美が弄っていた自分の帯を手早く解くと、
望美を褥に押し倒し、その袷を大きく肌蹴させるのであった。




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