4.癒し



そよそよと、柔らかい風によって敦盛の横髪が棚引いている。梶原の京邸の
南に面した屋根の上は、優しい風が通り、とても癒される場所だった。だから、
人と関わりを持つことが苦手な敦盛は、暇さえあればこの屋根の上に上っていた。
今日は隣で、リズヴァーンが瞑想をしていたのだが、それは全く気にならなか
った。同じ玄武の守護を得ている者同士のせいか、不思議と気が合うのだ。
そして、彼の「鬼」という出自がまた、今の敦盛にとっては都合がよかった
のかもしれない。忌むべき存在である鬼は、自ずから人と交流を持つことが
少なかった。だから、彼が話しかけてくるのは本当に必要な時のみだった。

敦盛は庭の木々や洗濯ものを見つめる。屋根の上に比べれば、やや弱いであろう
風に、洗濯物も棚引いていた。そして、一瞬緑色の何かが敦盛の視界に映る。


「…?」


気のせいだろうか。敦盛は目をこすり、もう一度「緑色の何か」が見えた
ような気がした辺りに視線を送る。そう、屋根の端の方に。


「ツーカヨー。マッタク、タマンネェヨナ。」


緑色をした人形と思しき物が、何か愚痴りながら屋根を登ってきたところだった。


「…。」


あまりの事態に、敦盛は声も出ない。しかし、緑色の人形はそんな敦盛の様子
など気にかけることもなく、えっちらおっちら屋根を登ってくる。しかも、
どうやらこちらに向かってくるようではないか。人形との距離が一間をきった
瞬間、それまで瞑想をしていたはずのリズヴァーンが急に目を開け、口を開いた。


「てでぃ殿、久しいな。」
「アア…ソノ節ハ、世話ニナッタ。今日ハ瞑想中、邪魔シテシマッタヨウダナ。」
「気に病む必要はない。」
「ソウカ、ソレハ有難イ。」


想定外の事態に、敦盛はやっぱり声がでない。まず、人形がしゃべっているのも
目を疑うようなことなのに、リズヴァーンは普通に会話をしている。しかも
話の流れからして、リズヴァーンと人形は何やら昔からの知り合いらしい。
リズヴァーンの知り合いなら、自分も返事をした方が良いのか?一瞬、敦盛は
そんな微妙に方向性が違うことに関して頭を悩ませた。そしてその間もリズ
ヴァーンと人形の会話は続く。


「昼にてでぃ殿が活動するなど、珍しいな。」
「フ…ツマラヌ者ヲ斬ッテシマッテナ。血デ汚レタ身ヲ清メテモラッタノハ
 良カッタノダガ…アノ洗濯夫ガ物干竿ニ干シオッテ。身ヨ、コノ腕ノ跡ヲ。」
「おお、これは見事に…洗濯挟の跡がついているな。」
「コンナ辱メヲ甘ンジテ受ケラレル訳アルマイ。故ニコチラヘヤッテ来タ。」
「そうか、それは難儀なことであったな。」
「ところで、敦盛。」
「えあ、はい。」


急に名前を呼ばれた敦盛は、動揺を隠せない。というか、正直あんまり
会話に入りたくない。ぶっちゃけ怨霊の身である自分が言うのもなんだが、
昼の最中に鬼と人形が世間話をする様は、なかなかもって信じがたい。
寧ろ、蛤の蜃気楼といわれた方が納得する。しかし、そんな敦盛の心情など
知る由もないリズヴァーンは極めて普通に、その人形を紹介してくれた。


「こちらは、くれいじーてでぃ殿だ。熊の人形であるが、れっきとした
 神子を守護する者。我らと志は等しい。」
「えあああ、あ。はい。わ、私は天の玄武、平敦盛だ。その…」


これからも宜しく、で良いのか敦盛は戸惑う。しかし、てでぃと呼ばれた
その人形は気にする様子もなく、右手を差し出した。


「アア、コレカラモ神子ヲ頼ム。陰ノ気ガ満ル者ヨ。」
「……!!」


テディは少し湿ったままの右手を差し出しながら、敦盛の様子を窺っていた。
テディは陰の気が満る者。敦盛が只の八葉ではないことをとうの昔に見切って
いた。テディは神子を(主に貞操方面で)守るもの。自分の存在はさておいて、
陰の気が満るこの男が、神子に害となるかどうか直接見極めようと思ったのだ。
テディは敦盛の瞳をじっと見つめる。敦盛もじっとテディの目を見つめた。


い っ ぽ う そ の こ ろ 。


「テディちゃんがいなーーーーーいいい!!!!!」


屋根の下の庭で、望美が悲鳴を上げていた。今朝景時に洗濯するように
頼んでおいたテディベアが見当たらないのだ。


「の、望美ちゃん、落ち着いて!!さっき洗って物干竿に干したんだよ!
 本当だよ!!それに今日はそんなに風強くないし。大丈夫、絶対そのへん
 にあるって。」
「本当にね、大切なぬいぐるみなんですよ…風が強くないんだったら、
 鳥さんとかが持って行っちゃったかも…うわああああん!!」
「ああ、望美ちゃん!泣かないで!」
「景時さんのばかー!!」


ぽかぽかと景時の胸元を叩き続ける望美に謝りながら、景時は辺りを見回す。
しかし、人形の姿は何処にも見当たらない。一つ溜息を付いた景時は、
望美に提案をしたのだった。


「あのさ、望美ちゃん。見つからなかったら俺が人形作り直して
 あげるから、それで…ごふぅっ…」


しかし、景時の言葉は最後まで続かなかった。それを言い終わる前に硬い拳が
三度、景時の鳩尾を突いた。しかもその拳の繰り出された速度は、神の域と
言っても過言ではなかった。きっと傍から見れば殴った事すら分かるまい。


「あのね、あのテディちゃんはものすごく、大切なんです。」


自分の目の前には、悲しみに暮れ、涙を浮かべる望美がいるのみだった。
ということは、あの神の拳は…。


「見つけてくれないと、すごく悲しいです。悲しいと私…」


次の瞬間、景時の視界に映ったのは、自分の横っ面にクリティカルヒットを
する、神の拳以外他ならなかった。


や ね の う え で は。


「フ……」
「どうかしたか、テディ殿。」


敦盛を見つめていたテディは、ふと笑った。その様子に、敦盛は訝しげな視線を
送る。しかし、テディは只笑っているだけだった。


「イヤ…ナニ。御主ニナラ、神子ヲ任セル事ガ出来ソウダト思ッタマデヨ。」
「な、何を言うのだ、てでぃ殿。…てでぃ殿は分かっているのだろう?
 私が何者であるかということを。」
「無論…ダガ…。」
「私は…私には無理なのだ。」


そういうと、敦盛は悲しそうに小さく笑った。人外である自分は神子に触れては
ならぬもの。だから今までも、ずっと離れた場所で神子を見守ってきた。
テディは、その敦盛の表情を見て、小さく頷く。


「ソウ、我ラハ人ニ有ラザル者。ダガナ、ソレデモ神子ヲ護ル者。」
「てでぃ殿…」
「我々ガ、ココニ在ル理由ハ、只一ツ。」
「私が…在る理由…。」
「故ニ、悩マズトモ良イ。我々ハ、死スベキ時ニ死ネバイイ。
 全テハ、神子ノ為ニ。」
「てでぃ殿…」

敦盛は、目の前にいる人形を見つめる。同じく人外にして、神子を護るもの。
敦盛は理解する。何も恥ずるべきことはない…自分が在るのは神子の
為なのだから。人であろうと、なかろうと、それは関係のないことなのだ。
だから、いつか来るその時まで…自分は神子の為にだけ在ればいい。


「話中すまんが…てでぃ殿、そろそろ戻られた方が良いようだ。」


それまで一言も敦盛とテディの会話に口を挟まなかったリズヴァーンが、
一声かける。屋根の下を見ると…どうやら人形をなくした景時が、望美に
ボコられているようだ。


「フン、アノ洗濯夫ナラ、モウ少々痛イ目ヲ見タホウガヨイ。」
「でも、本当にてでぃ殿を心配しているようだぞ?戻らなくてよいのか?」
「天地ノ玄武ガソロッテ言ウノナラバ、仕方アルマイ。…ア、ソウダ。」


そういうと、テディは敦盛にぴょこんと抱きついた。


「折角ダカラ、神子トノ間ヲ取リ持ッテヤロウ。下マデ頼ム。」
「ああ、それぐらいなら構わない。」
「ツイデニ、自ラ『コレカラハ、アッキュン、ッテ呼ンデネ★』ト
 言ウガヨイ。」
「はははあああああああ?」
「ナニ、神子ハ敦盛ノ態度ガヨソヨソシイコトヲ、案ジテオッタ。
 故ニ、自ラソレグライ歩ミヨッタ方ガ良カロウ。アト、敦盛ハカワイイ★
 系ダカラ、ソウイウアダナハ、神子ガ超喜ブ。」
「え、あ…でもそんないきなり…」


敦盛はリズヴァーンに助けを求めようと視線を送ったが、「あっきゅん…
神子が超喜ぶのか…ふむ…あっきゅん…な。良い名だ。」などと呟いていて、
全く助けてはくれそうに無かった。多分リズヴァーンにとっては、あっきゅん
だろうがあっちんだろうが、神子が超喜ぶならどんなんでも良かったのだろう。


「そんな…私が急にそんなことを言うなんて…神子が驚いてしまう…
 だから…その…」
「…敦盛、いや、あっきゅん。逡巡している時はないぞ。既に景時の意識が
 なさそうに見える。このままだと…死ぬ。さあ、行くが良い。」
「ええ、ああ、そんな…あーーー!!」


リズヴァーンに有無も言わさず力いっぱい押された敦盛は、屋根の上から
転げ落ちる。しかし、さすが八葉、ネコの様にくるっと一回転すると、
見事にテディを抱えたまま望美の前に着地した。


「あ、敦盛さん!!いったい何処から…」


急に目の前に降ってきた敦盛に驚き、目を白黒させる望美に向かって、
敦盛はテディを差し出した。


「その、屋根の上に…丁度神子の人形が飛んできたから、お返しに上がった。」
「有難うございます!テディちゃん、本当に大切にしてたんです。
 戦いの最中でも…いつも優しく私のことを見つめてくれて…私のことを
 癒してくれる大切な人形なんですよ。」
「ああ、そうか。それは良かった…あ…」
「…?どうかしたんですか、敦盛さん?」


敦盛は口ごもる。それはそうだ。今まで神子とまともに話したこともないのに、
それが急に「あっきゅん」なんて名乗らなくてはならないのだ。気後れして
当然というものだろう。しかし、屋根の上からは「神子の幸いは私の幸い」
といって憚らないリズヴァーンと、神子の腕に抱かれるテディから、
針千本級の痛い視線が飛んでくる。あまりの視線の痛さに、敦盛は吐き出す
ように、その言葉を口にしてしまった。


「こ…これからは、私のことを…あっきゅんと呼んで欲しい。」
「あっきゅん…!!」


望美の表情が、驚きのあまり一瞬固まる。敦盛はその様子に、恥しさが募り
思わず俯いた。しかし、望美の表情は次の瞬間には溶け始め、とろけるような
瞳になる。


「あっきゅん…超カワイイです!!!これからは敦盛さんはあっきゅん。
 うーーーん、すごいカワイイ〜!!!!ね、景時さんもそう思うでしょ?」


望美は足元に転がる景時に話しかけたが、返事はなかった。しかし、望美は
全く気にする様子もなく、喜びのあまりうるうるしている瞳で敦盛を見つめる。


「あ…その…」
「うん?何ですか?あっきゅん!うわーやっぱりカワイイ〜!!!
 これからは平あっきゅんとして、八葉の中の癒し系ポジションで
 いっしょに頑張りましょうね!!!」
「………。」


どうやら、てでぃ殿の言う通り神子には超喜ばれたらしいが…本当に良かった
のか…疑念が尽きない敦盛であったが、全ては神子の為に…そう思って
気を失いそうになるぐらい恥しい呼称を、甘んじて受け入れることにしたのだった。




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