7.覚悟



「つ…ぅ……。もう少し優しく手当てすることは出来んのか、望美?」
「………。」
「おい、人の話を聞いて……つっ!!」
「九郎さんのバカ!!!」


一段と手荒く手当てされた九郎の眉間に、深い皺が刻まれる。「馬鹿とは
なんだ」と言い返そうとした九郎だったが、思わずその言葉を飲み込んだ。
普段はふくれっつらで罵る望美の肩が…指先が震えている。限界まで涙を
溜めた大きく美しい瞳は、今にもその湛えた涙を零してしまいそうだった。


「…お前が痛い訳ではあるまいに。」
「……だって……。普段だったら…九郎さん、絶対こんな傷、受けない。」
「たまたま切先が掠めただけだ。」
「……。」

九郎のこめかみ近くの傷口に当てられた布を、じっと見つめたままだまり
こんだ望美に、九郎は溜息を付くと、その場を離れようと立ち上がった。
すると、望美が九郎の袖の端をぐっと握り締める。


「…望美?」
「…ないでください。」
「何だ、望美?」
「…生き急がないでください。私を…置いていかないで。」
「訳の分からぬことを…」
「九郎さん。」
「…。」


袖を振り払おうとする仕草を見せた九郎に、望美は仕方なくぐっと握り締めた
手を放す。しかし、九郎が望美から解放されたと思ったのはほんの一瞬で、
手を放した代わりに望美はぎゅっと九郎に抱きついた。


「おおおおい!のぞ……望…美。」


無言のまま、縋りつくように抱きつく望美の肩は震えている。九郎はそっと
手を伸ばすと、ゆっくりと望美の背を撫で、腰の辺りに手を回した。
そして暫く、言葉ひとつもなく、互いに無言で抱きしめあう。

その間、望美はとくとくと脈打つ、九郎の心の音を聞いていた。
この力強い音を絶えさせたくなくて、何度時空を越えただろう。
それが叶わなくて…何度、泣いてきたのだろう。
だというのに、戦の流れが完全に源氏に傾いた今となっても、九郎は
こうやっていつも生死の狭間に片足を踏み込むのだ。


「…なぁ、望美。」
「九郎さん…」
「武人が戦場で散るのは、定めだ。常にその覚悟が出来ないものは、
 戦場に出るべきではない。そして、俺は源氏のために全てを捧げる
 覚悟はとうの昔に出来ている。」
「………。」


望美は声にならない呟きを漏らす。ああ…時勢が源氏に傾いたからこそ、
九郎は幾度となく、死線に彷徨いでてくるのだ。
九郎は理解しているのだろう。口では頼朝と共に築く未来を嘯きながら。
武人である自分が…政が向かぬ自分が、その未来の一端を担う事が
ないということを。

そして、それでも尚。それでも尚…源氏の礎に成る為、戦場で命を散らす
覚悟を、九郎はしているのだろう。


「…なんて悲しい覚悟。」
「…なにがだ、望美?」
「九郎さんが源氏としての覚悟を決めているならば…一つだけ、私と
 約束してください。」
「…なんだ?」
「九郎さんが八葉である限り、私より早く逝かないで。」
「な……。」
「だってそうでしょう?八葉が…九郎さんがいなくなったら、
 誰が白龍の神子を守ってくれるんですか?だから…。………。」


随分身勝手な物言いだと、九郎は頭の片隅で思う。そして、同時に、そんな
憎まれ口のような口ぶりで言いながら…嗚咽があがりそうになるのを堪え、
続く言葉を噤んでしまった望美の姿に、心の奥底から湧き上がる熱い感情
を、抑えることが出来なかった。


「…分かった。」
「九郎さん!」


消え入りそうなほど小さな声ながらも、肯定の返事をした九郎の言葉に、
望美は思わず、強く九郎に抱きついた。


「お、おおお!望美!!!怪我人になにするんだ!」
「あ、ごめん!すっかり忘れてた!!」
「忘れるな!本当にお前というやつは…」


一瞬説教してやろうと思った九郎であったが、無心に抱きついて…
両目から溢れた涙を誤魔化そうとする望美の姿を認めて、小さな笑みを
もらすと、再度そっと望美の腰の辺りに手を回したのであった。




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