8.約束
ああ、分ってるよ。
俺みたいな人間が支払える対価なんて
ほんの少ししか、ないから。
うん、構わないよ。
どんな謗りも。
どんな憎しみも。
この身に受けることに、躊躇いなんてないんだ。
だから、一つだけ。
たった、一つだけ。
俺の、願いを…
「ねぇ、景時。それ…貴方の、癖?」
「…は?」
低く垂れ込めた雪雲から、一片、一片と雪が舞い落ちる日の午後。
奥州討伐の源氏の軍勢は北上川を目前にして、陣を取った。行軍を
止めるにしては些か早い時間ではあったが、源氏の戦奉行は天候が
悪化する気配がある中、大軍が渡河することを良しとしなかった。
「早く、平泉へ攻め入りたいのに、困ったものねぇ」と一言呟く鎌倉
名代の鋭い眼差しを浴びながらも、景時は早々に仮初の局を用意する。
そして全てが整い、御前を辞そうとした矢先、政子に声をかけられた
のだった。
「あら、景時。気が付いてないの?今もほら…」
「…え……ああ。」
景時は政子の視線の先が、自分の鎖骨の辺りに注がれていることに
気が付いた。かつて、自分の誇りであり、今は失ってしまった…
彼女の守護である証があったその場所に。そして、失った宝玉の代わりに
今そこにあるのは、血塗られて汚れた…自分の手。
「貴方、少しばかり考え事をしていると、そうやって胸に手を置く
ことが多いわね。」
「そう…でしたか。ご不快に思われたのならば、直ぐにでも直します
ので…お許しください。」
「あら、いいのよ。たとえ心ここにあらずとしても、景時はきちんと
仕事をしてくれるから。それに…」
「…それに?」
「私、貴方のその所作、嫌いじゃないわ。」
「………。」
そう言うと政子をは煌びやかな扇で口元を隠し、慎ましやかに微笑んだ。
政子の真意を理解できない景時は、言葉を詰らせ政子を見つめる他、術は
なかった。そんな景時に、政子は憐れむような眼差しを向けると、言葉を
続けた。
「そうやって胸に手を当て、全てを諦めたような眼差しを見せる…
身を弁えた犬はかわいげがあるわ。幾ら早く走る犬でも煮て
食べられたら意味がないもの。そうでしょ、景時?」
「……御意に御座います。」
「うふふふ……本当に、聞き分けが良いこと。もう下がっても良いわ。」
「失礼いたします。」
逃げるように御前を辞した景時は、濡れ縁へ出ると、空から舞い落ちる雪を
一片、掌に閉じ込めた。掌に閉じ込められた雪は、跡形もなく溶け、手袋の
中に染み込んでいく。
「諦めてなんか、ないんだ…鎌倉殿は…約束してくれたから。俺が奥州を
落とせば、君たちの処遇は俺に任せるって。俺みたいな人間が、多くを
願うことがおこがましいことぐらい、分ってる。だから、一つだけ。」
景時は、握り締めた掌を、胸元に…かつて宝玉があったその場所に、
当てた。
「一つだけ、約束するよ。君たちの…望美ちゃんの命だけは、
絶対に守ってみせる。たとえ、俺の命がこの雪の様に儚く消える
運命だとしても。」
胸元に手を当てた景時は、同じ雪雲の下にいるであろうかつての
仲間達に思いを馳せ、その場に立ち尽くす。そんな景時の肩に、
一片、一片と雪が舞い落ちていくのであった。
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