19.いかないで



「俺と一緒に逃げて欲しい。」


そう言ったあなたは、心なしか震えていて。
一緒に逃げて欲しいなんて言いながら、
私がそれを断ることを待っていたんでしょう?
私が、誘いを断って。あなたに絶望してくれたいい。
そんな風に思っていたのね。



海上の風は思いのほか強く、望美と景時に吹き付けていた。
まるで許しを請う咎人のように跪き、景時は頭を垂れる。
そして、自分がどれだけ罪深いか…汚れているか、一つ一つ
望美に告白したのだった。



「大切な人を手にかけるぐらいなら…
 すべて無くしたって構わない。」



まだ、あなたは。
また、あなたは。

少し笑って。
少し嘯いて。


あなた自身を捨ててしまおうとしているのね。



望美は跪く景時の瞳を真っ直ぐに見つめる。景時は望美の瞳を正視
することが出来ず、俯いた。怖かったのだ。望美の瞳の中の、彼女の
決心を見てしまうことが。自分から彼女に決心を迫っておいて
おかしな話なのだが、どっちを選ばれても困るのだ。


一緒に逃げてくれても、
それ以外の選択をしてもらっても。

ただ、自分を見限ってくれればいい。
そうさえしてくれれば、自分がどんなに堕ちようと、
キミを悲しませることなんてないんだ。


だから。


望美は跪く景時を抱きしめ、そしてその頬に触れた。景時の頬は長い間
海風に吹き付けられていたのか、随分と冷たくなっていた。そして、
そのまま景時の髪を撫でる。やはり、髪もかなり前から熱を失ってしまって
いたようだった。望美は冷たい髪に口付けを落としながら、景時の耳元で
唇を止めた。そして、彼女の決心を囁く。


「お願いだから、一人でいかないで。
 私を、あなた自身を、そして仲間達を…
 誰一人見捨てないで。どうか、私を信じて。」
「望美、ちゃん…」


望美に罵られようと蔑まれようと笑ってやり過ごそうと決めていたはずの、
景時の表情が凍る。いつもだったら上手く笑えるはずだったのに、今の景時は
きつく両の瞳を閉じ、その表情は苦悩に満ちていた。やがて、一粒、きつく閉じられた
眦から熱い涙が零れたのだった。望美は景時を抱きしめたまま、その背を撫でる。
硝子のような双肩に、抱えきれないほどの重荷を背負ってきた、景時の背を、撫でる。


「大丈夫、だから。ね?」


望美は最後にそう囁くと、景時の頬に流れた熱い涙を唇で拭った。
景時は無言で小さく頷く。しかし、見開いた瞳には今までとは違う
力強い光が宿っていたのだった。




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