Letters




原は小隊会議室の窓から、1組の戦闘訓練を見ていた。

実際には…本田がいないことをいいことに、戦闘訓練とは名ばかりのお遊びのようだ。
初夏の陽気に当てられて、男子は皆上着を脱ぎ、ハーフパンツに頭にはタオル巻きといった
いでたちで格闘ゴッコに興じている。原が今見ているのは、丁度大将戦…若宮VS来須の対戦だった。
さすがに生え抜きのスカウト同士の対戦だけあって、他の男子とは桁違いに激しい打ち合いだ。


ガラス窓越しにも分かる、真剣な眼差しと筋肉の躍動。


赤銅色の若宮の肉体が跳ねる。
そして、鍛え上げられたその背中。肩甲骨の辺りをぬって、滴る汗。

どうやら、頭に巻いたタオルを叩き落とした方が勝ちのようだ。先ほどから二人とも回し蹴り
などの大技を繰り出している。若宮も来須の頭を狙って蹴りを放つ。しかし、その若宮の蹴りは
すんでのところで来須に避けられた。蹴りを振り切った後のモーション…それは1秒にも満たなかった
かもしれない。腰を入れて蹴りを放った若宮は、その回転の兼ね合いで一瞬原のほうに顔を向けた。


目が合った。

若宮は、かすかに微笑んだ。

それはかすかにであったが、確かに、微笑んだ。



「原さん、聞いていますか?」
善行の声が原の思考を停止させる。

そう、原は別に1組の格闘ゴッコを観戦しにきた訳ではないのだ。5月も半ばになり、自然休戦期に
入った。幻獣の発生もなくなり、1組も格闘ゴッコなんぞに興じる余裕ができた。
3月からの戦いは圧倒的人類側優位な結果に終わり、その結果この5121小隊の兵士…つまり学兵たちを
除隊させる話が軍上層部から善行に届いていたのだった。もともと、国民感情を押し切っての
学徒出陣だ。戦況が落ち着けば、学生の復学運動が発生してもおかしくない。
市井に戻りたいものは戻し、それでも軍に志願するものは残す。民権運動の高まりを恐れた軍は
そのような判断を下した。

そして、民権運動を恐れた軍が下した、もう一つの判断。それが…

軍用クローンの一斉廃棄だった。




戦争に必要だから、作られた肉体。
戦争に必要だから、押さえつけられた感情。
戦争に必要だから、与えられなかった権利。

戦争が終わろうとしている今、そんな彼らは、どうすればいい?



「本当に軍が考えることらしい。」
苦虫を噛み潰したような表情で、軍人である善行が呟く。
「まぁ、生産コストはペイしてるし。
 今後のアフターフォローの手間を考えれば、さもあらんってところね。」
原はまるで興味がないかのように答える。



そして、原は先ほどの若宮の様子を思い出す。
あの男が自分を見て、かすかに微笑んだことを。



もともと、あの男…あのタイプには欲望昇華の遺伝子プログラムが強くデザインされている。
大方のあのタイプは所謂「おっかけ」や「親衛隊」という、性的行為のないスピリチュアルな
行為で欲望昇華させるように出来ているのだ。

だから、若宮も最初は確か速水あたりと「親衛隊」活動をしていた。しかし最近はなりを潜め、
先ほどのように、原を見てかすかに、本当にかすかに微笑むのだ。


きらきらと希望に満ちた、ライトブラウンの瞳。自分にだけに向けられる、純粋無垢な瞳。
己が運命を知らないわけではないだろう。知っていてなお、それでも、きらきらと希望に満ちた
輝きを見せるのだろうか。


原は、その瞳が自分に向けられていることに、理由はわからないが著しい満足感を覚えた。




「よーし、決めたわ!!」
「どうしたんですか?急に。」善行が驚いて原を見つめる。

「うふふ。若宮君を払い下げて欲しいの。」
「は?」
「備品なんだから、ちょっと書類をいじればラボあたりに生体パーツとして
 払い下げられるでしょう?各々のパーツの最終権利者を私にすれば、
 その組み立てた結果の…若宮君を保有してても何の差しさわりもないはずよ。」
「確かにそうですけど…」

善行は口ごもる。

「…いやなの?」
「いえ、そういうわけでは…。ただ…」
「ただ?」
「最後まで、きちんと面倒みきれますか?」
「あら、もちろんよ。失礼ね。」
「本当に、みきれるんでしょうね?」
「…しつこいわね!大丈夫っていってるでしょう?」


「…分かりました。あなたがそこまで言うのなら、手を打ちましょう。」
善行は、原の突拍子もない申し出を渋々受け入れることにした。



…原に、若宮を任せていいのか…

ためらいが尽きないところではあったが、さりとてこのままにしておけば、一斉廃棄は免れない
だろう。戦友が、戦場での善行の育ての親と言っても過言でないと男が…まるでゴミのように捨てら
れるのはあまりにも忍びなかった。原に預けることが、若宮の幸せにつながると信じて…
善行は払下げの工作を行ったのだった。






それから数ヵ月後。




若宮は原の家令として、幸せに暮らしている…はずだった。



だが、実際のところ原がまず若宮に下した命令は、

「私に触れないこと」だった。

その後は、

「私に話し掛けてはならない」

そして最後は、

「私の目に映らないよう、仕事へ出なさい」ということだった。

その様はまるで、奴隷かなにか。


それでも、どんなにひどい扱いをうけても若宮は、きらきらと希望に満ちた瞳で
ただひたすらに、原のことを見つめるのであった。

かすかに微笑みながら。




原は、若宮を追い出した部屋で一人で考えていた。
どんなにひどい仕打ちをしても、自分に暖かい笑みを送る男の事を考えていた。

「私は…」

ただ、あのライトブラウンの瞳を…希望に満ち溢れ、まっすぐに見つめるその瞳に
ずっと見つめられていたかった。ただ、それだけだった。
だけど、いざ手に入れると…なんだか、耐えられないのだ。その視線の暖かさに。
どんな仕打ちをしても、非難することもなく。どんなに無視しようともまっすぐに。
その瞳はただひたすらに、暖かく原を見つめているのだ。


それは、あの男が…軍用クローンだからか。命じられたとおりにしか動けない人形だからか。
それとも、あの瞳は…私が愛情と取り間違えただけで…愛情に良く似た哀れみだったのだろうか。
歪んでいて、嫉妬深くて、人ひとりまっすぐに愛せない私を…



哀れんでいたのだろうか?




その夜、原は手紙を2通書いた。1通は若宮へ。そしてもう1通は善行へ。



翌日、若宮は原が仕事へ行って出払った部屋で、その手紙を読んだ。
そして、一つうなずくと、原宛に1通手紙を書いた。


翌日、善行は原からの手紙を受け取った。
そして、その手紙を握りつぶし、苦悶の表情を浮かべた。





翌々日。



原は、熊本城公園に程近い喫茶店で善行を待っていた。先日善行宛に送った手紙の件で。
「若宮を手放したい。」手紙には単刀直入にそう書いていた。

待ち合わせの時間をいくらか過ぎてしまっていたが、善行はまだ現れないようだった。
5121小隊解体後、準竜師へ昇進した善行に無理をいって時間を作らせたのだから、
多少待たされるのは仕方がないことだろう。

「でも、あんまり遅いと困るのよね。」

原は誰へ言うとでもなく、呟く。この後善行に引き渡すために、熊本城公園に若宮を呼び出していた
のだった。引き渡す前に出来る限りきちんと善行に話をつけておきたい。それが自分が若宮へ
してやれる最後のことだと、原は思っていたのだった。




カウンターの近くにある古ぼけたテレビが、か細いヴォリュームでニュースを流す。
どうやら、臨時ニュースを流しているようだった。最近は民権派…の一派と名乗る過激派の
テロが横行していた。東京や大阪はもっとひどいようだが、熊本でもちょっとした投石騒ぎや
放火が相次いでいた。



「…本当に、遅いわね。」

善行はまだ現れない。仕方がなく、原は持参していた仕事の資料を読むことにした。
原が、論文を取り上げると、その間からはらりと白い何かが落ちた。
拾い上げるとそれは封筒で、表には「原 素子様」と丁寧に宛名書きされていた。


若宮からの手紙だった。


封を切ると、一枚の紙切れと、安物の指輪が出てきた。

原は、若宮からの手紙を読んだ。

自然と、肩が震えた。そして、指輪を左手の薬指にはめてみる。


「ぴったりね…」

そう原が呟くやいなや。


大爆音と激しいゆれが原のいる喫茶店を襲った。
一瞬にして爆風によって割れる、ショウウィンドウ。
ちょうど観葉植物の陰になり、難を逃れた原がガラスの入っていない窓から見たものは…



黒煙の上がる熊本城公園だった。



「…若宮君!!」



はじかれたように原は走り出した。




原が公園の入り口に到着したときには、すでに入り口は封鎖され、警備員が監視していたところ
だった。先ほどの爆発はどうやら2次爆発だったらしい。20、30分前に小規模な放火があり、
それに野次馬が集まってきたところで、本命の爆弾を爆発させたのだろう。ただ、現場検証のため
に運良く人払いがすんでいたようで、人的被害は発生していないようだった。


「若宮君…」


原はあたりを探すが、若宮の姿はない。


「まさか…」


待ち合わせ場所はバリ封の先…


「ちょっといいかしら!」

原は近くにいた警備員を捕まえて、若宮らしき人物を見かけなかったかどうか聞いて回る。
3人ほど捕まえて、ようやくそれらしき人物を見たという男に話を聞いた。


「ああ、図体のでかい、ちょっと金髪はいった兄ちゃんだろ?
 封鎖してるって言ってんのによ〜待ち合わせしてるから、行かせろって煩くって。
 もう、人払い終わってるから、誰もいないって説明してやってもさ、自分で確認しないと
 納得できねぇって。あの人が万が一待ってたら、自分はいかなきゃなんないだかなんだか
 言ってさぁ。そういえば、あの兄ちゃんが行った方向、モロに爆心地だったけど、
 大丈夫だったかな?」






『それでは、また後で。必ず、遅刻しないように行きますから。』





原は唇をぎゅっと噛み締める。涙が、こぼれないように。
そして、若宮からの手紙を握り締めた。





『 前略 原 素子 様

 お手紙ありがとうございました。

 今までこういうものを頂いたことがなかったのでうれしかったです。

 せっかくなので、返事をかいてみようと思いましたが、なかなか上手くかけません。

 でも、そう、一つだけ、お伝えしたいことがあるのでそれをかきたいと思います。


 
 俺は今、とても幸せです。


 
 あなたのそばに寄り添うことができて。

 あなたを見つめることができて。

 俺は、まっとうな第六世代ではないから、なにかとあなたに不愉快な思いをさせて

 しまったかもしれません。そんなあなたの顔を見るのはつらいので、出来る限り

 なおすよう努力したいと思ってます。でも、その努力をすること自体が、俺にとって

 幸せで、うれしいことなのです。あなたのそばで生きていける。それが本当にうれしい。

 だから、清掃会社での勤務も楽しいです。戦うこと以外で評価されて、お金ももらえて。

 この間初めての給料が出たので、あなたにプレゼントを買いました。同封しておきます。

 安物の指輪で、あなたが気に入るかどうかは分かりませんが、あなたのために物を選ぶという

 その時間が、その行為が俺にとっては幸せなのです。

 

 俺は本当に幸せです。だから、もう、他になにもいらないのです。



 それでは、また後で。必ず、遅刻しないように行きますから。


                               若宮 康光   』




原は唇をぎゅっと噛み締める。


しかし、涙は止めどもなくあふれるのだった。





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