願い




4月24日 夕方 小隊隊長室



薄暗い小隊隊長室に、善行と来須が二人、無言で対面している。もう、どのぐらいそうしていた
だろうか。とうとう沈黙に堪え切れなくなった善行が、来須に命令する。


「…異常があれば、至急報告願います。」
「…。」


来須は黙して語らず。そして…窓の外をふと見遣る。そこからは見えるはずのない少女のことを
想っているかのようであった。その様子を溜息交じり善行は見つめ、無言を肯定と受け取った。

「あくまでも、任務ですから。私情を挟まずお願いします。」
「…結果次第でラボに送るのか?」


ようやっと開いた来須の口からは、善行ができれば答えたくなかった質問が発せられたのだった。


「記憶操作が必要であれば…それも、思案します。今除隊されるようなことになっては、
 戦力的に厳しいですから。」
「…。」


来須に再び沈黙が訪れる。




来須がスカウトに復帰してから既に2週間が経過しようとしていた。士魂号の装甲板が直撃する
という不運な事故に巻き込まれた怪我は、奇跡的な回復力によって想像以上の速さで完治できた。
しかし、その間代理で入っていた新井木の戦闘特性が思いのほか高く、来須にスカウト復帰の
チャンスがなかなか回ってこなかった。そして、とうとうスカウトとしての任務が回ってきたが…
それは若宮の死によってもたらされたのだった。

それから既に2週間。小隊は若宮がいない事実を通常の事態として認識し…いや、もはや
若宮なんて最初からいなかったかのように…運営されいていた。ある、一人の少女を除いては。
そう、新井木である。別に、新井木が泣き叫んだ訳ではない。まして、戦闘を放棄したりした
訳でもない。ただ、新井木の虚ろな瞳が、若宮が死んだという事実を如実に表していた。
風の強い日になると、新井木はその虚ろな瞳を蒼天に向け両手を広げ風を受ける。その姿は…
まるでどこかに飛んでいってしまいそうに不安定で…この世のものではないかのようだった。

新井木が何かをした訳ではない。それでも、その不安定さが小隊の士気を下げているように
善行には思われたのだった。それゆえに、同職の来須に有態に言えば見張りを頼むという事態に
至った。そして、その結果が思わしくなければ…。


「ラボ送りか。」


来須が呟く。感情もなく、ただ、その事実を述べた。だが、口にその言葉を出すと、ふつふつと
心の底に湧く、違和感。見張りなぞしなくても、この二週間で来須は一番間近に新井木を見てきた。
確かに、あの瞳は虚無だ。だが、それだけではない…来須の直感がそう断言する。だから、
見張りなど回りくどいことはせず、思い切った手段をとることにしたのだった。





4月25日 今町公園




ハンガーから怒声が上がる。どうやら滝川らしい。


「な、なんなんだよ!!!こちとら徹夜で士魂号の神経接続チューニングしてんのによ!!」
「まぁまぁ落ち着けって。日曜日なんだしさ。恋するレィディ〜ならデートの一つや二つ
 当たり前だろう?ああ、まぁ、相手のいない滝川には分からないだろうがね。」
「くっ!言っとけ。そーゆー師匠だって今日は仕事組みだろ?…しかも来須先輩とだなんて…」
「焼きなさんな。男の嫉妬なんて見苦しいぜ?それに今日の俺はののみとお仕事デートだ。」
「たかちゃん〜こんなところであぶらうってたら、めーなのよぅ!!」
「分かってるよ。ののみ。今行くぞ〜!!」
「…だってアイツは…」

滝川は言葉を飲み込む。瀬戸口は、そんな滝川に言葉をかけず立ち去る。誰もが、その事実を
完全に飲み込んでいたわけではない。それでも、飲み込んでこなしていかなくてはならない。
…生きている限り。だから、瀬戸口はあえて、滝川に伝えた。新井木が来須と出かけたことを。
たとえ、怒りでも、諦めでも、何でも。飲み込んでいかなくてはならない。そう、生きている限り。
何故なら、生きている限り、前に進まざるをえないからだ。もし、前に進めなくなったら…


「死ぬか、狂うか。どちらかだな。」


自分はさて、どちらだろうと瀬戸口は自問し…愚問だったなと一言呟く。そんな瀬戸口の髪を
ふわりと一陣の風が通り抜け、柔らかく揺らした。






公園のベンチに無言で座る。


新井木は隣の男を、ふと見上げる。確か1ヶ月ほど前まではプレハブ校舎の屋上から、見つめるしか
手立てがない存在だった。憧れ…そう、憧れの存在。背が高くって、金髪碧眼で、無口だけど
結構優しいところがあって…。ああ、多分好きだった。だけど、今は?今は…なんでそんな風に
好きだと思っていたのかさえも分からない。1ヶ月の間に自分はあまりにも変わってしまったから。


「あ…風…。」


少し、強い風が吹いた。新井木は立ち上がり、両手を広げ空を見上げる。そして、全身で風を受ける。
そう、それは…今はもういない男が、風になって一緒にいると言い残してくれたから。
だから、全身で風を受ける。あの時、あの男が抱擁してくれた時と同じように両手を広げて
空を抱きしめる。


「新井木…。」
「分かってるよ、来須先輩。」


吹き去ってしまった風を名残惜しそうに新井木は見つめ、来須の方に振り返る。


「でも、僕ね。自分が許せないんだなぁ〜。」
「………。」
「僕が、康之を殺してしまったんだ。」
「新井木…。」
「そう…僕が…」




自分が、あんなに突っ込まなければ。

自分が、康光に告白しなければ。

自分が、スカウトに名乗り出なければ。

自分が、自分が、自分が…。


新井木は、あの日、あの桜の木の満開の下での、若宮の悲しい笑顔を思い出す。

『俺はお前に何もあたえてやれない』

そういって、自分の告白を一度断ったときのことを。

そう、何も持っていないから。結局たった一つの、彼の持ち物を差し出させてしまった。


彼の命。


それが、彼の全て。


でも、どうしても…自分が康光の命を奪ってしまったことを認めたくなくって。

善行を恨んだ。善行が、備品だと見切ったから、康光が死んだんだと。

しかし、それは…備品だとか、軍用クローンだとか関係ないといって付き合い始めた

自分自身を裏切っていた。そして、康光を冒涜していた。



「康光は、備品なんかじゃない。あの暖かい手は、僕を救ってくれた手は…モノなんかじゃない。
 分かっていたのに、僕は…僕は…」
「新井木、若宮を殺したのは…お前ではない。」
「来須先輩………。」
「若宮は、確かにお前のために死んだ。だが、それは若宮の願いだ。」
「でも………。」
「人は、いずれ死ぬ。お前も、俺もだ。だから、若宮は願ったのだろう。
 新井木、お前が生き残ることを。お前にその価値があると若宮は信じたのだろう。」
「………。」
「だから、お前は自分を否定してはならない。それは若宮を否定することになる。」
「僕に…生き残る…価値が…?」
「…ああ。」


新井木は来須を見つめ、ぽつりと呟く。


「ほた…る…?」


気が付くと、来須と新井木の周りに蒼い燐光がちらほらと舞い上がる。新井木は何気なく、
その一つに手を伸ばすと、その光は愛しげに新井木の手を撫で、彼方へ昇っていった。


「この光は、想いだ。 かつて生きていて、遠い未来を夢見ている…。」


いつの間にかに増えた燐光が、二人を包み淡い光で二人を照らしていた。


「…いつか、俺もこの光になるだろう。」
「康光も…風になって…光になってしまったんだろうね…
 僕も…来須先輩ぐらい強くなったら…また康光に会えるかなぁ…」


新井木の瞳は燐光に照らされて青白く光る。その瞳は虚無はなく、ただ、燐光を見つめていた。


「僕…逃げてる?」
「いや、真実お前が望むなら。それはお前の道になるだろう。」


来須は被っていた帽子を脱ぎ、ぽんと新井木の頭に被せた。新井木にはサイズの大きい帽子で、
目の辺りまでがっぽり被ってしまった。


「え…帽子…いいの?」
「ああ。その道を進むなら。道標くらいにはなる。」
「ありがとう。」


そう、小声で礼を述べた新井木はの瞳は、燐光を浴びずとも微かに青い光を帯びていた。
新井木の選択が正しいかどうかは、来須には分からなかった。しかし、新井木は前に進むと決めた
のだ。それは…その事実は間違っていないと来須は信じた。







エピローグ





1999年8月1日 熊本は、幻獣の出ない夏まで、防衛することに成功。鹿児島、福岡を失って、
九州放棄に傾いていた軍の首脳は、態度を変化させ、熊本を前線基地して逆侵攻する計画を立てる。
1999年8月7日 船風の海兵師団長 善行 忠孝、配下の2万名を連れて熊本入り、逆撃を開始。
この中の配下部隊に、5121の名が見て取れる。
1999年9月 自然休戦終了。激烈な戦いが始まる。
2000年 日本、開戦前の領土を完全回復。
2003年 第3次防衛戦争終結。


第3次防衛戦争中、5121小隊の活躍は目覚しく、小隊から3名の絢爛舞踏賞受賞者を出すに至る。
内2名は士魂号のパイロットでかの芝村財閥の姫君とその配下の少年だったという。そして、
もう一人。戦場で風のように舞い、被弾することは皆無。風の恩恵を受け極楽台風と呼ばれた
小柄のスカウトがいたといわれているが、その詳細は記録に残ってはいない。




2003年、3月某日。




一陣の風が、満開の桜を散らす。
その満開の桜の木の下、新井木はあの懐かしい日々を回想していた。
「僕たち、また今年も一緒にお花見ができたね。」
そうして若宮の左手を…いや、もはや左手だけとなってしまった若宮をぎゅっと握り締める。

新井木は、紫色の袱紗を開き、若宮の骨壷を取り出す。そして、帯刀していた大振りのカトラス
で、自分の少し伸びた髪の毛を切り取った。骨壷を開くと、その一房の髪の毛を若宮の骨といっしょ
に骨壷にしまい、再度袱紗でくるむ。


「ん…あの木の下かな。」


あの日。あの時。若宮と見た桜の木の下に、新井木はその骨壷を埋めた。


「ああ、これで、僕たちずっと一緒だね…この第五世界が滅びない限り。」


そして、その桜の木を今一度愛しげに見つめ、新井木は宣言する。


「僕、行って来るね。借りたものは返さなきゃだし。」




一陣の風が、吹き抜ける。新井木は両手を広げ、蒼天を見つめ、風を全身で受ける。
その顔は喜悦に満ち、まるで愛しい男に抱かれているかのようだった。いや、実際そうなのだろう。
遠くで、その様を見つめていた速水は思う。速水の目には、新井木の周りに集う、万物の精霊が
見えた。まるで、精霊たちといっしょにどこかに飛んでいってしまいそうだなぁ…と思わず
見とれてしまったのだった。



「あーぽややん!!迎えに来てくれたの?」
「うん…でもぽややんは止めてくれないかなぁ。勇美ちゃん。一応軍では結構えらいんだよ?」
「あははは。ごめんごめん。でも、そっちこそ、もうその名前は無しだよー!!」
「ああ、そうだったね。ニーギ…ニーギ・ゴージャスブルー。」
「うん。…厚志君は笑わないね。」
「え?いい名前だと思うけどなぁ。青は…万物の色だよ。」
「そーだよね〜でもイマイチ僕のセンス、理解されないんだよなぁ〜。」
「あははは。第五世界向けじゃないのかなぁ。…ゲートが開くまでもう時間があまりないんだ。」
「分かってる。もう、やるべきことは全部済ませたから…」



新井木は最後に一度だけ、桜の木の方へ振り返り、一言呟いた。


「さよなら、康光。…愛してる。」


それを最後に、新井木はいや、ニーギは決して振り返らなかった。
ただ、真っ直ぐに…真っ直ぐに、前に進んでいったのだった。








fin

go to novel

go to home