日記



夏の強い日差しが、小隊隊長室の室温をジリジリと上昇させる。
真夏の午後。こんなところに閉じこもっているのは、ダイエット志願の女子か、
仕事が山積していて日曜日も働かざるを得ない善行ぐらいのものだった。

簡素なプレハブ作りの小隊隊長室は通気が非常に悪い。じっとりと熱く、
重くなった空気が善行の肌に纏わり付いて離れない。暑さに耐え切れなく
なった加藤のように、古ぼけてはいるが何とか涼風を運ぶ扇風機がある職員室へ
転地するもの一つの手ではあったが…いつも人の出入りがある職員室は
どうしても居心地が悪い。

そして、今の善行にはどうしても人目が無いところにいなくてはならない
理由があった。

「見るべきか、見ざるべきか…」

善行は手元にある一冊のノートを何度も手にとってみては、デスクの書類の
山に隠すを繰り返す。それは、そのノートが昨日善行の元へ送られてきてから
何度となく繰り返されてきたことだった。しかし、何時までも迷って
いるような、無駄な時間は無い。善行は覚悟を決め、ノートの端に
ついていたロックの液晶部分に自分のリングを接触させた。一見ごく普通の
ノートに見えたそれは、ご丁寧にも、使用者本人と上官のみが解除できる
多目的結晶にリンクしたロックが付いていたのだった。何故なら、それは
『一応』軍事機密に含まれるものだったから。

カチリ、と硬い音を発してロックが開く。善行は大きく一つ息を吸い込むと、
覚悟を決めてそのノートを開いた。


それは。若宮の日記。

「はぁ?日記ですか?」
「ええ、日記です。」

少しほうけたような顔をする若宮とは正反対に、善行は至って真面目な
顔をしてそのノートを手渡した。まっさらなノートを手にしても、若宮は
まだ少しほうけたような、困ったような顔をしていた。その困惑しきった
若宮の表情に、思わず善行は笑みを漏らした。

「まぁ、そんなに難しく考えずに。本来ですと毎日提出してもらうもの
 なのですが、提出は不要です。むさ苦しい男同士で交換日記なんてやっても
 まったくもって楽しくないですから。トレーニングのメニューとか、
 メモ代わりにでも使ってもらえれば結構です。」
「ああ、それならなんとか。」

難しい事を書く必要性が無いことを知った若宮は表情を一気に緩ませた。
善行はそんな若宮を小隊隊長室から送り出すと、デスクの未決済箱の一番
下にしまいこまれていた書類を一枚引き出した。

「丙固体観察日誌の受領・活用に関する連絡書」

表題の横にある押印欄にサインをすると、善行は決済箱へその書類を放り
込んだ。



「ああ、あれから…まだ一年もたっていないんですね。」

善行は一人ごちると、ゆっくりとノートのページを開く。

中表紙にひと言「日記」とだけ書かれているこのノートの正式名称は、丙固体
観察日誌というものであった。若宮タイプに限らず、軍用クローンは2年に
一度、一斉検査というものを受ける。生産時には極力個体の差異が出ないよう
調整されているとはいえ、運用環境によりその後の状況は著しく変化する
可能性がある。したがって、効率的に運用できるよう定期的に検査する
必要性があったのだ。前回行われた検査で、善行の優秀な下士官であるはず
だった若宮に下された結果は「丙」だった。しかも限りなく丁に近い丙であった。
因みに丁以下の判定を受けた軍用クローンは廃棄、もしくは利用可能な部分は
生体パーツとしてラボに送られることになる。そして、とりあえずぎりぎり
とはいえ合格した丙種の軍用クローンには、観察日記の記入と定期な連絡が
義務付けられていたのだった。

「理由は確か…エモーショナル過ぎる、ということでしたっけ。」

善行は検査の結果に我目を疑った。しかし、数値化されている以上、これ
以上今の若宮を客観的に判断できる基準はない。感情面での数値が殊更
悪く、全体の評価を押し下げていたが、辛うじて丙という判定を下されたのは
これから配置される善行の部隊の置かれた立場が大きかったようだ。

戦闘経験の少ない学兵の部隊。

戦意ばかり旺盛で、手に取る武器さえも儘ならず。やがて、捨石として
投入される部隊。少しばかり軍用クローンにしては感情的であったとしても、
寧ろその程度で丁度いいという判断だったのだろう。それに、捨石にする
事が決まっている部隊になにも優秀な軍用クローンを配置する必要性は無い。

そうやって若宮は5121小隊へ配属されて、夏の停戦の日を見ることなく死んだ。

若宮が死んだ後の処置は非常に迅速だった。私物の類は若宮が住まいにしていた
古アパートから一切合切回収されて、善行が訪ねた頃には、もはや住んでいた
形跡すらも残っていなかった。それは、誰も口に出さなければ、今まで若宮
なんて存在していなかったかのようだった。

ところが、昨日、軍部から茶色い包みが一つ届いたのだ。訝しみながら包みを
開くと、一冊のノートと、受領書と、小さなメモが入っていた。メモは軍用
クローンの管理部門からのメモで、ただ一言、「当方処理担当外、上官にて
処理願う」とだけ書かれていた。


そう、そのノートこそ。今善行が手に取っている、若宮の日記。


99.02.26
赴任地へ到着。雨。
設備確認、本日の夕食はコロッケ定食。

99.02.27
市街地視察。雨、のち曇り。
そろそろプロテインを購入せねば。


暫く、ほぼ2行の日記が続く。どうやら若宮は本当にメモ代わりに使って
いたらしい。日記を渡したときのほうけた若宮の顔を思い出し、思わず善行は
苦笑いをする。それがやがて、行数が増えだし、やたらとトレーニング
メニューが書き記された日が増えてくる。どうやら新井木がスカウトとして
志願したあたりのようだ。


99.03.11
新井木、初陣。結果上々。ただしヒヨッコキャンディーは逆効果
だったようだ。以後注意。しかし、こんなにも女のスカウトの扱いが
難しいとは思わなかった。


それから先は、見ている善行が恥しいと思うぐらい、若宮の新井木に
対する思いが切々と記入されていた。4月1日の生産配備日にプレゼント
としてメッセージカードをもらったこと。一緒にあのボロアパートで
過ごした夜のこと。そして、お互いに多目的結晶を重ね合わせた時のことを。
しかし、4月9日を境に日記は白紙になる。そう、若宮は4月10日、あの
激戦だった阿蘇特別戦区で死んだのだ。愛しい女を守る為に。
軍用クローンとしての存在意義を捨て、ただ愛しい女を守る一人の男として。
阿蘇の地に散っていった。

善行は、日記を見てしまったことを後悔した。これは、丙種個体の観察日記
なんかではないのだ。若宮の…若宮という男の、一人の女を愛した、その心の
軌跡だった。思わず、善行はノートを閉じる。すると、その勢いで中に挟まれて
いた紙が一枚、飛び出してきた。慌てて善行はその紙を中に挟み込もうとしたが、
その紙に書かれていた宛名を見て手が止まった。

『善行司令官殿』

二つ折りされていた紙の表には、そうはっきりと、若宮の筆跡で書いてあった。
意を決して、善行はその紙を開いた。


『善行司令官殿

  先日は遺書を受け取っていただき、有難うございました。

 かつて貴方が仰った、『遺書を書く』なんて日がくるとは、

 夢にも思っていませんでした。ついで、と言っては大変失礼に

 当たるかもしれませんが、せっかくの機会なのでもう一通遺書を

 書かせていただきました。

  
  ミスター、貴方は真っ直ぐ前を向いて歩いていってください。

 決して振り返る必要はありません。たとえ私がミスターの側からいなく

 なったとしても、それは過ちでもなんでもないのです。
 
 それが、的確な状況判断と、適当な選択の結果であれば、私は

 貴方の下士官として、そして貴方を育てた戦場の母として本望なのです。

 だから、貴方は貴方が思う道を、前を向いて歩んでください。


 最後に、上官であるミスターにこのような無礼な物言い、お許しください。

 それでは、この辺で。


 
                                  ’99.4.9 若宮康光』


善行は若宮の遺書を握り締める。震えそうになる体を必至に堪えながら、
プレハブ小屋の天井を見つめた。若宮は、人を愛するという暖かい感情が
芽生えながらも、軍人として捨て駒になる覚悟を捨ててはいなかったのだ。
そして、いつかその選択をするだろう善行に、立ち止まる必要性はないのだ
と、まるで出来の悪い予備士官に諭すように…ミスターと呼びかけて、
その選択を肯定した。

「若宮っ……。」

善行は彼の下士官だった男の名を、腹の底から声を絞り出し、呟く。
しかし、体の震えが収まると、善行は遺書をデスクに仕舞い、何事もなかった
かのように仕事を再開した。

これ以上犠牲を出さない為に、寸暇を惜しんで最善を尽くす。

それが、今の善行が出来る…善行が思う、唯一の道だったから。






go to novel


go to home