バレンタイン大作戦B



2月14日 深夜


原は最後の任務を終え、まっすぐ小隊女子寮に帰宅するつもりでいた。
ところが調理実習室の火の元の確認をしたかどうか、妙に気になってしょうがない。
万が一火の消し忘れなんてあったら…あのボロっちいプレハブ校舎は一瞬で灰になってしまうだろう。
原は諦めて、一度調理実習室へ戻ることにした。

「あら?」

もう真夜中近いというのに、調理実習室に明かりが付いている。原が入り口からそっと覗いて
みると、そこには…。新井木がいた。





2月14日 今日の新井木の訓練成果 田辺と8時間訓練 

取得技能 医療 0→1 誘導 0→1

…以上。

「意味ないっ!ほんっとーに意味ないじゃん!!マッキーめ…ぎぎぎぎっ!!」
新井木は田辺を拉致った後、なんと8時間もぶっ通しで訓練をしていた。が、しかし肝心の家事
技能はゲットできず、挙句に田辺にはぶったおれられた。仕方なく自力でチョコレート作成を
再開したものの、時すでに…真夜中。

「うぎゃーっっ!!」新井木が鍋をひっくり返したようだ。ものすごい絶叫が聞こえる。
入り口からこっそり事の成り行きを見守っていた原であったが、新井木の不器用さは原の想像を
大幅に超越していた。しかも、もう時間が…バレンタインデーが終わってしまう。
原はさっきの妙な胸騒ぎは虫の知らせだったのねなどと呟きながら、調理実習室へ入っていった。

「あっあっ、原先輩…」
「本当にもう。あなた不器用ね…ほら、鍋に残ったチョコレート、とにかく皿の上に開けて。」
「あ、はい!!」
「適当でいいから、まとめて、早く冷やしなさい。」

新井木に適当な指示をだして、原はみんなが使い残したラッピング用紙などを見繕う。
2、3種類の紙を重ね、小さな箱を作り、残りのリボンで花を作る。聖バレンティヌス様は
本日最後のお勤めとして、新井木に施しを与えたのだった。

「早く、この箱にチョコレート入れて。」
「え、え、でもこんな不恰好で…ちょっとしかないし。恥ずかしいんだけどっ!!」
「そんなこといっている場合じゃないでしょう。」

そういって無理やり新井木の手からチョコレートを奪い、小箱に詰める。リボンと花を添えれば、
それは見事な本命チョコレートへ早変わりした。

「あ〜かわいいっ!!」新井木の顔がほころんだ。

「見た目が可愛ければ、何とかなるわよ。それに暗いところで一気に食べさせちゃえば
 形なんてわからないし。それに…」
「それに?なんですか???」
「要はあなたが若宮君のために作ってあげたことが大切なんでしょう?」
そう言うと原はいたずらっぽく笑った。新井木は顔を真っ赤にする。
「ほら、早く行ってあげなさい!もうすぐバレンタインデーが終わっちゃうわよ!!」
新井木は原に背中をドンと押され、調理実習室を後にした。


「ふう。本当みんな手が焼けるんだから…」愚痴る原。
しかしその顔は言葉とは裏腹に、満足そうな笑みを浮かべていた。





「ま、まだ教室にいるかなぁ。」

新井木は急いで階段を上り1組教室へ向かった。一応今日は、何がなんでも新井木がくるまで
教室で待っているように若宮には指示をだしておいた。だが、時はすでに真夜中。14日もすでに
後何分かと言う時間だ。急いで引き戸を開ける。


そこには…若宮が待っていた。
机の上に所在無さ気に腰をかけていたが、新井木の姿を認めるや否や、満面の笑みになる。

「遅いぞ!勇美!!」
「あはっ!ゴメンゴメン!僕にもいろいろ事情があってさぁ〜。
 …はい。チョコレート。遅くなってごめんね。」
「うむっ!」

新井木は原に包んでもらった、可愛らしい小箱を若宮へ手渡した。
そして、若宮は早速、包みをベリっと破って中身を出した。

「…ベリって…」呆然とする新井木。
せっかくの原の善意で包まれた小箱は、約6ミリ秒ほどで無残な姿になってしまった。
「ん?思った以上に少ないなぁ!」若宮は中身を一口で食らい尽くす。その間、約6ミリ秒。
本日の新井木の努力と原の善意は、約12ミリ秒ほどで灰燼に帰した。


「ちょちょちょちょっと!!!多少は味わって食べなさいよねっ!!」
「ん?十分味わってるぞ。いつもの弁当に比べれば、格段美味い。」
「い、いつもの弁当に比べて?」
「ああ、勇美の作る弁当はときどき、なんか、こう…複雑な味がするからなぁ。」
「ふ、ふくざつ…」

新井木はショックを隠せなかった。確かに料理は上手い方とは言えないが、毎日頑張って
愛情を込めて弁当を作ってきた。それが…そんな風に思われていたなんて。

「そ、そーゆーことは食べたあとすぐに言いなさいよっ!!」
「え?でも俺としては大満足だけど?量も多いし。」
「…。」

りょ、量…結局、量の問題なのか。新井木は怒りのあまり、無言になる。

若宮はそんな新井木の様子を見て、一瞬生命の危機を感じた。
新井木は普段怒ると、マシンガントークで罵り出す。だが、怒りのレベルが頂点を越えると…
黙る。そして、手当たり次第に物を投げる。椅子や机あたりなら可愛いものだが、最近は
カトラスあたりも普通に投げてくる。先日に至っては、教壇の裏に装備されていた本田の
マシンガンをぶっ放された。さすがにその調子でやられては命がいくつあっても足りない。
しかもその時よりも、今日ははるかに…怒っている。

そんなときは、先手必勝。そうでも言うかのように、若宮は新井木の腕を殺しにかかった。
手首を取り、後ろ手にひねる。「ウギャ〜!なにすんのよっ!!!」と新井木が声を上げるが、
お構いなしに引き寄せる。これで新井木の先制攻撃は防いだ訳だ。
そして…結果的に新井木を抱き寄せる形になった。

「うわっ!サイアクー!!いちゃいちゃしてごまかそうとしてるでしょ!!!」
「え、えあ?別にそんな訳では…」

そんな訳ではないけれど。結果的に抱き寄せる形になった新井木の首筋に若宮は頬をうずめた。
新井木は甘い、甘い、いい匂いがした。新井木は不器用だから、きっと今日一日調理実習室に
篭りっぱなしだったに違いない。何度も鍋をひっくり返したりしながら自分のために、
チョコレートを作ってくれたのだろう。だから、こんなに甘い匂いがするのだろう。



俺の為だけに、俺の勇美が作ってくれたチョコレート。





その男は、すべて軍から貸し与えられたもので出来ていた。
その体も、その記憶も、その存在意義すらも。
その男が、軍の求める結果をだせない状態になれば、貸し与えられたものはすべて軍に返却され、
また新しい男に貸し与えられるのだろう。


だけど、若宮は思う。

今、ここにある体温は、この甘い匂いは、新井木は…俺自身の力で得たものなのだ。
貸し与えたもの以外を得ることは、軍にとっては余計なことだろう。
貸し与えたもの以外を得ようなんて思考自体、きっと軍にとっては間違っているのだろう。

だから、すでに軍の求める結果をだせない状態なのかもしれない。

それでも。

それでも、若宮は思う。



自分は、世界で一番幸せな若宮なのだと。



「んもー!いいかげん放せってば!!」
「ああ、ごめん。」
若宮は新井木の手を放す。
「本当に馬鹿力なんだから〜!!」
新井木は、つかまれてちょっと赤くなってしまった手首をフーフーやってから、若宮をにらんだ。




「…え…なんで泣いているの?」
「は?俺が、か?」


若宮は、両の眦から、涙を流していた。新井木は一瞬、何で気付かないのよ、と言いかけて言葉を
飲み込んだ。それはあくまでも新井木の常識であって、若宮には常識ではないかもしれないからだ。
目にごみが入った時以外に、涙を流す機能が若宮についているとは限らない。それほどまでに
新井木と若宮にとって常識とは脆いものだった。

新井木は飲み込んだ言葉の代わりに、若宮の精悍な頬を伝う涙を指でぬぐい、その指で若宮の
唇に触れた。自然と若宮は新井木の指を舐める。

「ああ、しょっぱいな。」
「うん。しょっぱいし、目から出てるから、涙。」
「そうか…またどこか壊れたかな。」

若宮は事も無げにそう言った。しかし、新井木はその言葉を受け流すことができず、下を向く。
今の新井木の表情をみれば、若宮は悲しく思うだろう。だから、顔を向けることが出来なかった。
そんな気配を察してか、若宮は今度は本当に、自分の意志で新井木を抱き寄せた。

「壊れることは、嫌なことじゃなんだぞ。勇美。」
「…。」
「さっき俺はな、勇美を抱きしめていて、幸せだなと思っていた。
 幸せだなと思っていたら、涙が出たんだ。
 確かにそれは、本来の俺としては壊れているかもしれない。」
「…。」
「でもな、勇美。俺は涙が出てうれしいと思う。
 なんだか、お前にまた一歩近づけたような気がするから。
 だから、お前が悲しむことではないんだよ。」

新井木は、こらえきれずに泣き出した。しかし、それは若宮の…運命が悲しかったからではない。
若宮はこんなにも自分のことを思ってくれている。それは、なんと幸せなことなのだろう。

新井木は幸せだった。幸せすぎて、涙が止まらなかった。

「おいおい、だからもう泣くなって。」
「うぅ…だって、だって…僕も幸せなんだもん。」
「うーん…。」

自分の胸の中で涙が止まらず震えている新井木に、困りきった若宮は耳元でささやく。

「あんまり泣いていると、お前のこと食っちまうぞ。チョコレート食い足りなかったからな。」

若宮なりの、気遣いでの冗談なのだろう。
言っていることとは正反対に、顔は真っ赤で大崩落寸前だ。



「んん!!」



新井木は若宮の気遣いに、言葉ではなく態度で返事を示した。
若宮も一瞬驚きはしたが、その態度を受け入れる。



何度も、何度も繰り返す。



新井木は、若宮の情熱に身を預けながら、ふと思う。

「メロメロなのは、僕の方なんだね…」




そうして、聖なる夜は更けていく。




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