ほら、昔、究極の選択ってあったでしょう?
気分としては、そんな感じ。
choice
「ただいまー。」
凛は小さく声をかけてから、玄関の扉を開ける。
それは、彼女が最近覚えた習慣。なぜなら、ほんの少し前まで、家で彼女を待つような者は
ただの一人もいなかったから。しかし、今日は、声をかけども返事が無い。
「アーチャー、いないの?」
いぶかしがった凛は急いで、応接間の扉を開ける。すると、其処には長椅子にごろりと
横たわったアーチャーがいたのであった。瞳を閉じ、軽く両手を組んでいる様子から、どうも
寝込んでいたらしい。
「むーーー。主のご帰還だっていうのに、僕がその態度なの?」
「…ふう。」
アーチャーは、いまだ瞳を閉じたまま、体勢を崩さず、凛に一気にのたまった。
「僕としては…朝、君を起こして紅茶を入れて、家から送り出し、その後は家事全般。
庭木の手入れから、君の下着の洗濯まで。そして、護衛をつけずに外に出る主を神経を張り巡らせて
この場所から見守って…夜にはマスターを探すための警邏。十分従順な態度を取っているし、
汗水たらして働いているつもりだ。君が本拠地に無事に帰ってきてから、夜警に出るまでの
僅かの間、多少の休憩をとってもバチは当たるまい?」
一気にそう言い切ってから…アーチャーはゆっくりと目を開ける。きっと主はさぞかし不貞腐れた
顔をしているに違いない。そして、100倍返しとでも言わんばかりに言い返してくるのだろう。
しかし、目を開け切ったアーチャーの瞳には、むーっと黙り込む凛の姿映っただけだった。
「ふ…正論過ぎて、返す言葉も無いのか?」
アーチャーは焚き付けるかのように、わざと凛の神経を逆なでしそうな言葉を選ぶ。
大変分かりにくかったが、それがアーチャーなりの親愛のコミュニケーションだったのだ。
「…だったら、一汗流せば。お風呂の準備もしてあるでしょう?日頃の感謝の意味もこめて、
背中流してあげるわよ。」
「………。」
今度は、アーチャーがむーっと黙り込む番だった。凛は軽く目を細めてにやついている。
そう、まるで半殺しのネズミを片手であしらう猫のような…邪悪で愛らしい笑顔だ。
「あら、お返事は?イエスかノーか、正直に分かりやすい返事をしなさいよ。これは命令だから。
私に背中を流して欲しいの?ほら、イエスか、ノーか、どっちなの?」
アーチャーの体が、ズンと重くなる。どうやら、本当に命令らしい。凛の質問に答えない限り
体が重い。ついでに、正直に応えないとますます体が重い。アーチャーは、凛に返答しない場合の
もろもろのリスクと、返答した場合の精神的ダメージを瞬時に計算した。結論は…。
「………スだ。」
「はい?ぜんっっっぜん、聞こえないわよ。お返事は大きな声で。習わなかったの?アーチャー?」
「…く。…イエスだ。」
「ああ、そう。アーチャーは私にお風呂で背中を流してもらいたいのね?」
「………。」
「お返事は?」
「はいっ。」
アーチャーは捨て鉢になって大声で返事をする。凛は満足げに笑って、今にも歯軋りをしそうな渋い表情の
アーチャーを見つめた。
「じゃあ、先にお風呂に行って準備しておきなさい。私もすぐに行ってあげるから。」
アーチャーは、こういうは藪から蛇というのか、それとも瓢箪から駒というのかな?などと
漠然と考えながらバスルームに向かったのだった。
アーチャーは脱衣所に入って、外套を脱ぐ。準備しておけといわれたものの、その甲冑は魔力でできており、
アーチャーの意思一つで瞬時に解除できる。仕方なく、アーチャーは甲冑の装甲を解除した
替わりに腰にタオルを巻き、浴室内で待機することにした。
「アーチャー、入るわよー。」
「む……。」
アーチャーの返事を待つことなく、ガラリと凛が浴室のドアを開けた。制服から私服に着替え、足に
は浴室掃除用のピンクのお風呂場ブーツなるものが装着されていた。そして、手には…
「もしかすると…、それで私の体を洗うつもりなのか?」
「それ以外の用途があると思えて?」
にっこりと笑う凛の手には、巨大亀の子たわし(ボディ洗浄用)が握られていた。先日テレビの通販
番組で、血行がよくなって体に良いとやっていた商品だった。あの時はさんざん、どう考えたって
体洗うもんじゃねーだろ!と二人で馬鹿にしていたのだったが…凛はこっそり購入していたらしい。
「ちょっと痛そうだったから…まぁ、まずはアーチャーでね。」
「…どうやら術中にはまったようだな…」
「まぁ、いいじゃない。とにかく、椅子に腰掛けて。お湯、流すわよ。」
「…ああ。」
アーチャーは諦めて、椅子に座りその時を待った。ゆっくりとお湯がアーチャーの鍛え上げられた
肉体を伝う。そして、凛が亀の子たわしを使うべくボディーソープを取ろうとした瞬間。
「きゃぁっ!」
「凛!!」
ドン、がっしゃん、ザザーーーザーーーーっと激しい音が浴室内に響く。凛が、足を滑らせて
すっころんだのだ。黒のニーソックスを脱がずに浴室用ブーツを履いたため、ぶかぶかの
ブーツの中で足が泳いでしまったのだ。アーチャーがかばってくれたため、大事には至らなかった
が、ぶつかった勢いで冷たいシャワーが滝のように降ってきて凛の体をぬらした。
「んもーーーなんなのよ!」
「つつつ…君が不精するからいけないのだろう。全く、一汗流すどころか、余計疲れる。」
「むーーーっ。うっさいわね。っつ…くしゅん。」
「はぁ。私の代わりに君が入浴した方がよさそうだな。私は先にでるが、君はこのまま
暖まってからでるように。着替えは用意しておくから。」
「え…それじゃあ、あんたの慰安にならないじゃないのよ。」
「仕方が無いだろう。そのままでは君が風邪を引く。……それとも…一緒に入るか?」
「え……?。」
「私と、一緒に入浴したいか?と聞いている。できれば、分かりやすい返答を願いたいものだな。
イエスか、ノーか。先ほど私が強要されたように。」
アーチャーは、ちょっと目を細めてにやりとわらった。凛はむーっと黙り込む。そして、アーチャー
から、視線をはずし小声で応えた。
「………ス。」
「凛、返事は大きな声で。じゃなかったのか?」
「う、うるさいわね!!って、あ…」
アーチャーは小さく笑いながら、凛の服を脱がす。水を吸った衣服は重くて脱がしにくかったが、
それがまたなんとも言えずにいいのだな、などと楽しみながら。
「アーチャー…イヤ…。」
「む…先ほどの応えはノーだったのかな?」
「アーチャーのバカ!」
凛は手にしていた亀の子たわしでアーチャーをぽかりとなぐったが、アーチャーは気にする様子も
なく、凛の服を脱がしつづける。そして、最後の最後で手をとめて、凛に問うた。
「これ以上脱がすと…私自身、自分をコントロールできなくなるのだが、いいのか?」
アーチャーの顔から、さきほどまでのいたずらっぽい笑顔は消えた。そして、まるで何か
許しを乞うような瞳で凛を見つめる。凛は、その瞳をまっすぐに見つめて、一言呟いた。
「イエス。」
その答えを聞いたアーチャーは、凛を被う最後の衣服に手をかけ、脱がせる。
そして、軽々と凛を抱き上げ、浴槽にその身を浸した。冷え切った凛の肌に、お湯の温かさが
じんわりと伝わる。しかし、その熱はお湯だけではなく。
アーチャーの密着した肌。
アーチャーの唇。
アーチャーが弄ぶ指先。
全てが凛の体に熱を与える。
「あ……あ。アーチャー…」
「凛…」
唇をはずして、耳元に寄せて、アーチャーは呟く。
質問も、返答もなく。ただ、喘ぎ声を上げ、互いの名を叫びながら。
凛とアーチャーは浴槽の中でひとつになることを選んだのだった。
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