『幸福は厩の中にゐる
 藁の上に。
 幸福は
 和める心には一挙にして分かる。』



Glueck




こんなに近くにいるのに、どうしてあんなに遠いのか。
刹那に満たされて、無限に絶望する。
だが、それでも。たとえそれが、浅い眠りの中で見た、たゆらうような夢物語であったとしても。


満たされた。
そう、確信出来た。
だから私は………。



アーチャーは眠りにつく凛の髪を愛しげに撫で、ひとつ誓いを立てるのだった。



「んん…」


凛に意識が戻る。冷たい石畳の上で眠っていた所為か、節々が痛い。そして、体も冷え切ってしまった
ように思われたが…アーチャーに与えられた愛撫の跡が、ところどころ、熱を発しているのか、
体の中心が熱い。凛の脳裏に、アーチャーとの行為がまるでフラッシュバックのように鮮明に脳裏に
蘇る。思わず、顔を赤らめてしまった凛だが、自身の傍にアーチャーがいない事に気が付き、慌てて
アーチャーの名を叫んだ。


「アーチャー!!どこ!!!」
「そんな大声で呼ばなくても、十分聞こえているぞ。凛。」


凛が入り口の方を振り返って見ると、ちょうどアーチャーが手に凛のローブを持って地下室に入って
くるところだった。その姿は、昨日とうって変わって平然として…ちゃんと甲冑を装備し、魔力も
いつも通りのレベルに戻っているようだった。ただ、いつもと一つ違うのは、真紅の外套を着ていない
ということ。そして、その外套は今は凛の体に打ち掛けられていたのだった。


「ああああーーーー!!!!」
「む。どうした、凛!」


凛は打ち掛けられた外套の下の…裸の自身の姿にふと気が付き、大絶叫をあげた。こんなところで寝て
いたということは、寝顔も見られて、挙句こんな寝姿も見られて…。恥しさのあまり、思考が錯乱
する。しかし、アーチャーの方はそんなことにはお構いなしで、急に取り乱した凛を不審がって
声をかける。


「どこか、調子が悪いのか?」


そのアーチャーの顔が、あまりにも普通で落ち着き払っていて…ちょっとカチンときたのだった。
だから、つい凛はアーチャーに向かっていつもどおりに罵ってしまった。


「こ、こんな石畳の固いところで何度もガツガツやられて…体の調子がいい訳ないじゃない!!」
「……!!!!!」
「あ………。」


叫びきってしまってから、そんなこと女の子が言うようなことじゃないと凛も気が付いた。しかし、
時既に遅く。凛のその返事に、アーチャーは顔を真っ赤にして視線をそらす。そして、己が質問が
愚問であったことを理解したらしい。どうやら一見いつものアーチャーのように見えるが、
内心はそうでもないようだった。アーチャーは凛に視線を合わせないまま、凛のローブを放って
入り口に向かって歩き出す。


「とりあえず、それを着るといい。」
「分かったわよ。…あ………。」


アーチャーが持ってきてくれたローブを拾おうとしたものの、凛は立ちくらみ、小さな悲鳴を上げた。
肉体的な疲れ以上に、相当アーチャーに魔力を持っていかれたらしい。よくよく周りを見れば、
魔方陣はおろか、遠坂の地脈を最大限に発揮するこの地下室でさえ、魔力が極めて薄くなっている。


「凛!!!」
「って、こっち見ないでよ!!!!」
「ああ、すまん。」
「後ろ向いて…待ってて。」


アーチャーは慌てて、後ろを向く。それを確認すると凛はゆっくりとローブを羽織った。高々ローブ
を羽織ること一つが難儀でしょうがない。どうやら凛の魔力はほとんどオケラに近いようだった。
腕にローブを通す度に、一つ息を漏らす。そうこうして、やっとローブを羽織った凛がアーチャーに
声をかける。


「後ろ向いたままで、聞いて欲しいんだけど…」
「どうした、凛。」
「……ん……。」


自ら声をかけたものの、言葉に詰まる。それを問うこと自体、愚かなことだと分かりきっていたこと
だったから。しかし、それでも凛は、確かめたいと思ってしまったのだ。


「……あのね、…。」
「凛、多分それは愚問だ。」
「って、アーチャー!!まだ私何も言ってないじゃない!!!」
「…私は…」

アーチャーはそこで、一旦言葉を区切って一呼吸つく。そして、断言したのだった。


「私は君の為に在る。ただ、それだけだ。」


アーチャーの広く力強い背中が、凛の問いかけの答えを明白に語っていた。


「そう………だったら、いい。」


凛は、悲しいような…嬉しいような…笑みを一つこぼした。そして、気合を入れて立ち上がる。


「はぁ、本当にあんたがっついてくれたわね。こんなにオケラになったの初めてよ。」
「む。…君が言い出したんだろう。…ん?何か落ちているぞ凛。」


アーチャーは落ちていたものを拾って、凛に手渡す。それは、御守袋。中にはそう、昨夜作った
護符が入っていたのだった。


「#11.Lust…?君にしては珍しいものを入れているな。」
「い、いいでしょ。別に。」


まさか、失敗してこの護符を作ったとは凛のプライドにかけて言えなかった。アーチャーは凛の
失敗を知ってか知らずか、くすりと笑い、凛に言ったのだった。


「いや…珍しいが…なかなか君らしくて良いカードだと思う。」
「え…?」
「ほら、百獣の王を、難なく乙女が従えている。」


アーチャーが笑いながら指差す先には、美しい乙女が、地に伏せるライオンの鬣を撫でていた。
乙女は、此の世の善悪を全て飲み込んで、万物を支配する計り知れない力を体現していたのだった。
そう、まるで君のようだ…。アーチャーはその言葉は飲み込んで、凛の瞳を見つめる。


「マイ・マスター。」
「な、何よ。急に畏まって。」


アーチャーは凛の驚く顔を見て、にこやかに笑い、告げた。


「とりあえず、バスの用意は出来ている。バスオイルはラベンダーをベースに、君の好きな
 マジョラムとペパーミントを調合しておいた。」
「……本当、あんたって。」
「その後は、軽くブランチを取ってもらう。早く魔力を回復してもらわないと、夜警に
 出ることが出来ないからな。」
「……分かったわよ。」


ふう、と凛は一つ溜息を付く。そして、地下室から出るべく歩みを進めた。しかし、やはり魔力の
回復が思わしくなく、まだ足元がゆれる。そんな凛の腰に、アーチャーの腕が無言でまわされる。
そして、しっかりと凛を支えたのだった。ほんの少し前まで、触れることさえ憚られた、その腕が。




凛は思う。

触れ合ったから、満たされた。

触れ合ったから、理解した。

それが。

遠くない未来、永訣の日を迎えることが分かっていても。

その刹那があったから。


だから…


今、ここに、お互いがお互いの為に在る。
ただ、それだけでいい。






fin

go to fate top

go to home

*文頭挿入『無題・X幸福』中原中也 作より一部抜粋