Open



…扉を、開ける。



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。」


 本来なら疲れなど知らぬはずの、少女の意気が上がる。しかし少女はそれでも無限に続くかと思われる、
扉を開く。開けども、開けども、その先の出口は見えない。少女は気づかぬうちに額に流れた汗を拭い、
それでも休むことなく扉を蹴破るように開けて道を突き進む。


「喚ばれていることは、確かなはず。」


 出口…そう、召喚者が待ち受けているはずの魔方陣が見えない。見えるのはただひたすらに続く、蒼い扉。
もうその扉を何枚開いたかなど憶えてはいない。少女の心に諦めがよぎった瞬間、今までとは違う扉が
彼女の目の前に現れた。一段と重厚で、一段と蒼い扉。はやる気持ちを抑えて、少女は落ち着いてその扉を開いた。


 ゆっくりと開かれる、観音開きの扉。扉の奥から僅かに漏れ出した光。そして、その奥には…


「な………!」


 …なんと全裸の男が寝ていただけだった。



 男は豪勢な毛皮でしつらえられた寝台の上に、大の字になって眠っていた。上掛けとして使われていたらしい毛皮は、
だらしなく寝台の下にずり落ちている。少女は現状が理解できず、一瞬呆けてしまった。


「あ………ぁ…もう朝?」


 少女の気配に気が付いたのか、男は寝ぼけ眼で少女の方をぼんやりと見つめた。しかし、眠気が勝っているらしく、
また瞼が落ちようとしている。正気に戻った少女が、目の前の不審な全裸男に対し、まるで剣を構えるがごとき仕草をみせた。
しかし、その手に剣は…ない。


「貴方は、何者ですか!事と次第によっては…」


 少女の瞳に殺気と力が籠る。それはそのはず。召喚者どころか、目の前には全裸男だ。明らかに変態…少し控えめに言っても
不審な事この上ない。しかし、それでも目の前の不審な全裸男は、安穏と一つ大きな欠伸をしただけだった。


「…答えないつもりですか。それが答えなら…」
「答えるも何も、断りも無くヒトん家入ってきて、そりゃぁねえだろ。」
「は?人のうちなど…。」


 少女はそういいかけて、瞬時にあたりを見回した。確かに、どこにも召喚者がいるようにも思えず、またこの場の雰囲気…
いや、気配は先ほどまでの無限の道のりとあまり変らないような気がした。変っていることといえば、この場が確かに
部屋の体裁を整えていることと…


「だから、俺ん家。テリトリーつか、座とかいうの?」


 相変わらず全裸の男が、寝台の上で胡坐をかいていることぐらいだった。


「どうやら、そのようですね…」
「やっと分かった?だったらまずそっちから名乗れよ。人ん家来る時はそれぐらい礼儀だろ?」
「………。」


 急に押し黙った少女を、男は目を細めてじっと見つめた。そして、小さく笑うと少女に告げた。


「剣の英雄にしては、結構かわいーな。」
「な……。くっ!」


 セイバーと呼ばれた少女の瞳が先ほどにも増して殺気を帯びる。しかし、男は気にする様子も無く
さらに彼がセイバーと呼んだ少女を見つめる。


「つーかさー、こんなとこに来るヤツ普通じゃないだろーが。しかも、そんな構えしてりゃーさぁ…お前が何者かだなんて、
サルでも察しつくぜ?これでお前が赤ずきんちゃんです!とか名乗ったら、このまま全裸でアイリッシュダンス踊ったっていいぜ?」
「…確かにそうですね。」


 男の言葉の勢いに負けたのか、セイバーは軽く息を吐いて見えない剣の切先を下げた。


「ここが貴方の座であることは理解しました。…私は先を急いでいます。そこをどいて私に道を譲りなさい。」
「…ここをどくもなにも。道も何もないんだけど。」
「は?何を言って…」
「いや、マジで。…お前こそドコから入ってきたの?」
「ドコも何も…私はそこの扉から…えええっ!」


 セイバーが振り返ると、そこには観音開きの扉など跡形も無く消えていた。


「貴方…何をしたのですか!今すぐ道を…」


 セイバーは一度は下ろした切先を再度男の方へ向け、今にも斬りつけんばかりの勢いで叫ぶ。
しかし、男は大げさに肩をすぼめるばかりで、一向に危機感を抱いてはいないようだった。


「だーかーらーーーーんなもんねぇっつうの。俺だって召喚者に喚ばれたときにしか起きないし、
そんときの召喚者が作る以外扉なんてねぇの。」
「そ、そんな………。」
「…うーーーん…なんか良くわかんねぇけど、ちょっと大変な感じになっちまったのか?
まぁ、とりあえず物騒なモン収めてから考えてみるか?」


 男は、大変そうという割には口の端を緩めてセイバーを見つめる。セイバーも状況を理解したのか、
構えをといて深く溜息を付き、男を見つめた。


「分かりました。従いましょう。…でもその前に…貴方もその…収めてもらえませんか?あまり細かいことを
気にする性質ではないのですが、さすがに全裸はどうかと…」
「そう?俺はあんま気にならな…」


 男はそこまで言いかけたが、口を噤み、寝台の下にずり落ちていた毛皮を纏う。何故なら、セイバーの殺気が…
先ほどよりも強く感じられた気がしたからだった。



「…で、誰かに喚ばれてるのは確かだ、つーことだな?んでもって扉を開けたらここに行き着いたと。」


 毛皮に身を包んだ男が再度確認する。セイバーもその言葉に小さく頷いた。男は天井を仰ぎ、暫し考えた後、
セイバーの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「ということは…」


 ごくり、と息を呑んでセイバーは男の二の句を待つ。男もさらに力強い眼差しでセイバーを見つめ、力強く言ったのだった。


「お前の召喚者、相当へっぽこだぜ。間違いないな!」
「………。」
「いやーありえねぇだろ、普通。まぁ、こんなところにテメェのサーヴァント引っ掛けちまうなんてさー。
そーじゃなかったらさぁ……」
「そうではなかったら?」


 男はそこで言葉を区切る。先ほどまでの冗談めかした表情がすっと消え、思いのほか真面目な顔でセイバーを見つめた。


「…お前自身が扉を開けたくないのか。」
「そんなはず、ある訳が無い!!今はここからどうやって出るかという話をしているのです!」


 セイバーは半ば怒りをあらわに、即答で男の言葉を否定した。しかし、男はその様子を気にするでもなく、言葉を続ける。


「ふぅん……まぁ、俺が覚醒したってことは遠からず扉は出来るんだろうけど、それは俺の扉。まさか、
二人で揃ってじゃじゃじゃじゃーんって出てこれる訳も無いだろ?」
「それはそうですが…」
「やっぱ、へっぽこ召喚者がキチンとお前用の扉を作らない限り無理だろうなー。って結局何の解決にもならねぇか。」
「ふう…その様ですね。」
 

 途方に暮れるセイバーを尻目に、男はにやにやしながら頭からつま先までセイバーの体を舐めるよう
見回した。


「あーまーいいんじゃないの?俺的には女は全員ウェルカムだぜ。何時までいてくれても…」


 男はそこまで言いかけたが、口を噤み、纏っていた毛皮をキュッと巻き直した。何故なら、セイバーの殺気が…
先ほどよりもさらに強く感じられた気がしたからだった。



「王に、問う。」


 ぼんやりとした、風景。もう、どれぐらい前のことなのだろう。荒れ果てた土地。寒空の中、薪に手をかざす子供。
彼らを見つめる私の手の中には、一本の大きな剣。そして、もう片方の手は…誰かに繋いでもらっている。
暖かい、大きな手。その手が、不意に私の頭を撫で、耳元で何かを囁いた。


「王よ、貴方は国に何を与えるのだ?」


 その時、私はなんと答えたのだろう。もはや、あまりにも…あまりにも遠すぎて。なんと答えたのかは憶えてはいない。
だけど、だけど私は…
 
 ずっと、みんなにわらっていてほしかった。
 あたたかい、いえ。たべるものにこまらないくらし。

 そして。 

 ずっと、道を引きたいと思っていた。
 だれもが、迷わず。だれもが、正しく。
 歩いていけるようにと。

 それから。

 ずっと、戦った。
 国を束ねる為に、犠牲を払った。
 裏切り者達から、国を守る為に。

 刃向う者は殺した。
 皆、殺した。
 血で道を固め、死体で山を築いた。

 だって、そうしないと、
 そうしないと…そうしないと?

 いっぱいひとがしんでいるね。
 
 違う。国の為の犠牲…だから。
 
 いっぱいひとがしんでいるね。

 ああ。私は…最初に何を願った?

 今叶える事が出来ないならば、
 ソレを手すればいい。
 でも、手に入りかけたソレを
 ほんの僅かなところで手からこぼした。

 今度こそ、手に入れられる?
 今度こそ、守れる?
 今度こそ、叶えられる?

 あのとき交わした約束を。
 私は…


「私は、皆に笑っていて欲しかった。だから…」
「だから?」
「え………。」


 セイバーはびくりと体を震わせ、その声の主の顔を見つめた。まだ瞼が重いこの部屋の主である男が、
「もーちっと寝るわ」と呟き寝台に入ったのを見届けた後、暫くその様子を見張っていたのだが…
どうやら少し居眠りをしてしまったらしい。時空の狭間にいるせいか、少し呆けてしまったのだろうか。
迂闊な事、この上ない。セイバーは自らの失態に思わず下唇を噛んだ。


「で、だからなんなんだよ?気になるだろーが。」
「貴方には関係ないことです。」
「そ?」


 やっと本格的に覚醒したのか、大きく伸びをすると、男は口の端を少し上げてセイバーを見つめる。


「こんなところに引っかかってる理由、それじゃねぇの?」
「は!!何を言っているのですか。」


 セイバーは一言、吐き捨てるように答えた。男が取り付く島も無い。


「…うーーーん。しょうがねぇな…質問変更。お前さ、なんで、召喚に応えたの?」
「それは…そこに聖杯があるというのならば、馳せ参じる義務が私にはあるのです。」
「ふーーーん。なんでも望みを叶えると言う聖杯の為に、か?」
「…そういう貴方は、聖杯に何かを望むから召喚に応じるのではないのですか。」
「あ、俺?俺的には特に無いなー。そういうオネガイ。」
「では、何故貴方は召喚に応えるのですか?何故に戦うのですか!戦えば少なからず犠牲が
…血が流れるというのに!!何故!!!!」


 男の飄々とした態度に、思わず男に食ってかかるセイバー。しかし、男は何気なしにそんなセイバーの頭を
無骨な手でぽんぽんと叩いた。本来ならば、その手を払い一撃加えてもおかしくない状況であったはずの
セイバーだったが、その不意の行動を理解することが出来ず、呆然とする。


「まぁ、お前風に言うなら、そこに戦いがあるからだな。強えーやつと戦いたいから。そんだけ。」
「そんな事の為に…」
「おいおい、そんな事とか言うなよな〜。コレでもいろいろ考えた結論なんだぜ?…美しい妻を娶っても、
すばらしい国を作っても…結局そこに俺の欲しいものは無かった。いや、そうじゃないな、最初から分かってた。
戦いの中の瞬間、剣戟の狭間にしか俺の求める物が無いことを。」


 そんな話をしながら、男はいまだその手をセイバーの頭の上においていた。ぽんぽんと叩く代わりに、今は軽く撫でている。
セイバーは一瞬、そのことについて抗議すべきだという気がしたのだが、思いのほかその手が暖かく、思いのほか優し
く…そして遠い日の何かと同じような…懐かしい柔らかさを感じたので、そのままにしておく事にした。


「しかし…その所為で悲しむ人が出ることを、貴方はなんとも思わないのですか?」
「えーー。いやー知ったこっちゃねえし。」
「な!!!!!!!」
「あはははは。嘘、ウソよ。ウソ。どんな嘆きも、憎悪も。全ての負の感情を背負い込んでも…俺は戦いの中にしかない、
刹那の歓喜に身を委ねる事に決めたんだ。ただ、それだけ。だから…」
「だから?」


 男は一瞬言葉を止めて、セイバーを見つめる。先ほどまでのふざけた様な態度とはうって変わり、
男の真紅の瞳には静かな光が満ち溢れていた。セイバーも思わずその瞳に釘付けになる。


「お前がそう決めたなら、迷うな。信じ続けろ。立ち止まるな。お前の目の前にある扉を開け続けろ。
例え、想像と違う場所に出くわしても…お前が道を信じる限り新たなる道が出来るだろうから。」
「私は立ち止まってなど!」
「では、何故ここにいる?本当に先に進みたいのなら、試しに俺を殺ってみたって良かっただろう。
なのに、何故俺の言葉に従った?何故、もっと足掻かない?」
「それは…」
 

 言葉に詰るセイバーに、男は再度優しく頭を撫でた。そして、解れた横髪を耳にかけてやり、
真っ直ぐにセイバーの目を見つめた。
 

「お前はここまで来れたんだ。これからだって行けるだろ?」


 男は微かな笑みを浮かべて、そう断言する。あの日、あの暖かい手が…彼女の髪を撫でた時と同じように。


「ええ…そうですね。私はもう決めたのですから。」


 セイバーは、微かに笑った。そう…自分はあの時決めたのだから。聖杯がありとあらゆる望みをかなえてくれるというなら…
この身を捧げることを。あの日…剣を抜いた日と同じように。たとえ失敗したとしても、何度でも聖杯が手に入るまで…
あの日の約束を守るために。そう決めたのだ。


「おーその意気、その意気!」


 男は笑いながら、頭を撫でていた手を、するりと腰元に移す。そして無骨な指先がセイバーの曲線を愛でる…
はずだったのだが。


「うがあ!!!つーかこんなところでタイムアップ!?これからオイシイ展開っつうやつじゃねぇの!!」


 絶叫する男の視線の先には、先ほどまでセイバーが蹴破ってきたのと全く同じ蒼い扉が出現していたのだった。


「どうやら、お別れの時のようですね。」
「……あああああああーーーーそーみたいだな。」
「…どうかしましたか?」


 何故か落胆している男の様子を、セイバーは心配そうに見つめる。しかし、男は一つ大きな溜息を付くと勢いよく立ち上がり、
それまで身に纏っていた毛皮を豪快に脱ぎ捨てた。


「…な!!!!!。」


 セイバーは言葉を失う。

 そこには、全裸の男…ではなく。

 蒼い甲冑、真紅の槍。

 瞳は、静寂から…狂気の光を湛え。

 その存在、戦いの為にあると言い切った…


「槍の英雄…」
「まぁ、そんなとこだな。どうやら俺もお呼びのようだ。」


 ランサーが親指で指し示した場所には、セイバーのものとは違うまた新たな扉が出現していたのだった。

「こういうタイミングで呼ばれるからにゃー、次に会う時は剣を交えるだろうけど…手ぇ抜くなよ。」
「無論。憶えてきましょう。」


 セイバーはランサーの言葉を受けて、笑った。それは、もはや迷いもなにも存在しない、美しい笑みだった。
ランサーも、その笑みを受けて笑う。


「まぁ、召喚中のイレギュラーだし、おれんちだし、キチンと記憶されてるか当てにならないけどな。
しかも、お前の召喚者、絶対へっぽこだし。」
「む…余計なお世話です。」
「あはは。まぁ、どっちにしろ真剣に戦えれば、それでいい。じゃあ、また、後でな。」
「ええ、ランサー。その時には必ず。」


 そう力強く言葉を残し、セイバーは迷うことなく自分の扉を開けてその先へ進んでいった。続いてランサーも、
自分の扉を開ける。「…結構いいオンナだったのに、勿体無かったなー」なんて呟きながら。



 武家屋敷の中で響く、剣戟。そして、急激な魔力の高まりとその熱の発散。その直後、一瞬の静寂が訪れた。


「――逃げるのか、ランサー」
「ああ。追って来るのなら構わんぞセイバー。ただし――そのときは、決死の覚悟を抱いて来い」


 ランサーはまるで体重が無いかのように軽々しく、そしてしなやかに塀を飛び越えた。さらに跳躍をし、
武家屋敷から少し離れたところで立ち止まり、一つ溜息をついた。


「…なんつーか、アイツ、なんも覚えてねぇし。」
 

 ランサーはちらりと武家屋敷の方向へ振り返った。しかし、セイバーが追いかけてくる気配は無い。
いくら因果を曲げるほどの力を持ってしても、ランサーの一撃を受けてただで済む訳は無い。


「しかも、召喚者、本当にへっぽこだしな。いわんこっちゃねぇ。」


 そう呟くと、ランサーは微かに笑った。しかし、それはほんの僅かの出来事で、彼の顔は直ぐに苦痛で歪む。


「とかいう俺の召喚者も十分にへっぽこだな。…この俺が…真っ当に戦うことすら許されないなんて、な。」


 ランサーは見えない鎖に縛られた両の手を憎々しげに見つめる。そして再度名残惜しげに武家屋敷の方向を振り返ると、
小さく溜息を付き、闇の中へ消えていったのだった。





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