『主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。』(詩篇107:1 )



persona non grata



必殺の初撃をすんでのところで躱したのは、女の勘というやつなのだろうか。


凛は玄関先で言峰の放った黒鍵の一撃を後ろに跳ね除け、よけた。しかし、出足が遅れたのが災いし、
剣先が凛の腹を抉った。


「…綺礼っ!!!」
「ほう。父親ほどはぬけてはいないということか。」
「あ、あんた…父さんを!!!」
「ああ。あっけなかったな。弟子だと思って安心しきっていたのだろう。」
「くっ……外道。」


凛の顔が憎しみでゆがむ。だが、それはほんの一瞬のことで、凛の意識はすぐに奥の部屋へ注がれた。
言峰もその先にあるものが見えるかのように、奥を注視する。その瞬間、凛がその奥の部屋に向かって
ダッシュする。


「…諦めが悪い。まぁ、凛の性格を考えればさもあらんというところか。」


言峰は小さく苦笑しながら、凛の後をゆっくりと追う。もはや、この家の中でどこにも逃げることは
できないのだが、それでも凛は最善を尽くそうとするのだろう。凛の後を追って、居間に到着する。
居間の奥へと続く襖の前で、腹を押さえた凛が仁王立ちしている。きっとその奥に…言峰が求める
聖杯がいるのだろう。ダッシュした所為で、凛の腹部の出血は著しく増えている。それでも凛は
ダッシュして稼いだ僅かな時間を使って、襖の前に結界を張っていた。


「聖杯を渡してもらおう。」
「はい、そうですかなんて渡すわけないでしょう!」
「確かに、そうだな。」


言峰の黒鍵がすっと凛の目の前に現れる。凛もアソッド剣を抜き出し、構える。僅かな沈黙の後、
雌雄を決する。否、そんなもの最初から判っていたのだ。それでも凛は…凛は剣を構え、
噴出す血にまみれながら、結界を解くことはなかった。その凛の姿をみた言峰の脳裏に、不意に
あの日の出来事が去来した。



ああ。あの日も。
ああ。女とは…


『ねぇ、綺礼。あなたは本当は優しい人なのよ。』
「綺礼…せ…いは…いをつかってはダメ…」


女とは、何故にかくも強情で。


『だから、ほら。教えてあげる。』
「せい…はいを…つかったら…だめ…」


女とは、何故にかくも愚かで。


『…綺礼。』
「…綺礼。」


女とは、何故にかくも慈悲深いのだろう。



言峰は血にまみれて真っ赤に染まりながら、自分の名を呼んだ女のことを思い出した。
そして、一つ溜息をつくと、黒鍵をしまったのだった。


「聖杯はもらっていく。お前はその場を動くなよ。それ以上動けば魔術回路の回復力を
 もってしても、生命維持が保障できん。」
「……イリ…ヤ…逃げ………。」
「いいのよ、リン。私、コトミネといくわ。」


凛が守っていた襖がすっと開き、中からイリヤスフィールが出てきた。その顔にはいかなる
表情も映していなかったが、血にまみれた凛を見た瞬間のみ、微かに眉根をひそめた。


「…だめ……」


イリヤの声を聞き、何とか立ち上がろうとする凛に、言峰は小さく苦笑いをした。

「動くな、と忠告しただのだがな。仕方が無い。

 …主に感謝せよ。
  主はまことにいつくしみ深い。
   その恵みはとこしえまで。」


言峰が凛の額に手を添え、呪文を詠唱すると、凛はすっと眠りについた。動きさえしなければ、
遠坂の魔術回路が勝手に術者の傷を治療してくれる。言峰はその場に凛を打ち捨て、イリヤの
手を引き、衛宮家を後にした。



「ねぇ、コトミネ?」
「…なんだ?」
「何故、リンに止めを刺さなかったの?」
「ああ…あれもまぁ、女だからな。」
「女だと殺さないの?」
「いや…そうではないが。ただ…」
「ただ?」
「…目の前で女に死なれると、案外堪えるからな。」


そう呟いた言峰は、まるで此の世のものではないかのように…笑った。


Fin


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