なんにもない、虚空。
男の指は柔らかく、とても柔らかく空を切る。
ああ、それは。まるで女の体を愛でるかのように。
Sleep with...
「アーチャー、魔力足りてる?」
それは、著しく意地悪な質問だ。
何故なら、存在するために魔力を垂れ流し続けるこの体に、魔力が足りている事態など
ただの一度もないのだから。だから、私の答えは必然的に限られる。だけど。
「ふむ。逼迫するほど足りていない訳ではないな。」
わざと、彼女が求める答えとは、違う答えを口にするのだ。そうすれば、彼女の口から…
もっと、もっと、私の求める言葉を聴けるから。
「…だったら、いいわ。」
「ほう、そうか。何か目的があって言い出したのではないのか?」
「な…目的にって何よ!!」
「いや、別に。」
「も、目的なんて、あんたが魔力に満ちていて…最強のサーヴァントであれば
いいに決まってるじゃない。それ以外ある訳ないじゃない!」
アーチャーは笑う。余裕の表情を浮かべて笑う。
私が、たった一つしか答えが無いような質問を投げても、結局びっくりするような変化球を
投げ返してきてしまう。だから、私の余裕は全く無くなる。だけど。
「まぁ、確かに…もう少し魔力があるに越したことはないのだがな。」
「結局…魔力欲しいの…?」
「…それは。」
アーチャーの指が遠慮がちに凛の髪に触れる。そして、その指はゆっくりと優しく凛の髪を
梳いた。アーチャーは凛から視線を外し、伏目がちにまるで溜息を付くかのように呟いた。
「君が良ければ。」
「…ふん。だったら最初からそう言いなさいよ。」
結局アーチャーは、私の心を見透かしたかのように、私の欲しかった言葉を言ってくれるのだ。
どんなに、じらさせれても、アーチャーは最後にその言葉を言ってくれる。
「じゃぁ、さっさと…あ…」
アーチャーの腕が、ソファーから立ち上がろうとした凛の体を拘束する。そして、柔らかく、
柔らかく凛の体を包み込む。後ろから抱きしめられているので、凛はアーチャーの表情を
読むことは出来ない。ただ、暖かい熱が伝わってくるだけだった。
「な、なによ。さっさと交渉すればいいじゃない。」
「む?マスターはこういうことは嫌いかね?」
アーチャーはくすりと笑い、凛の首筋にキスをする。凛はくすぐったさのあまり、小さく悲鳴をあげた。
「やっ…。アーチャー…。」
「どうした、凛。して欲しいのか、欲しくないのか?」
「こんなの…魔力あげるのに必要ないじゃない…」
「ああ、そうだな。だが、何事にもきちんと下準備を整えることが必要だろう?
きちんと準備していないと、納得のいく結果を得ることはできないぞ。それに…」
「それに?」
「交渉中、一番効率よく魔力を融通しあえるのは、お互いどういう状態だ?」
「どうって………。」
「君が、知らない訳があるまい?」
「!!!!!」
凛の答えを待たずして、アーチャーは凛をソファーに押し倒し、その唇を封じ込める。
何度か深く唇と舌を交わし終えた後、やっと凛はアーチャーに、小さくバカと罵る機会を得た。
美しい陶器のような白い肌。小さく上下する華奢な肩。我が主は深い眠りについている。
それもそのはず。
自分が、彼女の魔力をほとんど空になるまで吸い上げた。
いつも、そこまで魔力を吸い上げてはならないと自戒するのに。
いつも、結局空になるまで魔力を吸い上げてしまう。そう、自分自身を止めることができないのだ。
受け入れらている、喜びが。受肉した仮初の体の快楽が。心と、体が…全て彼女を求めてしまう。
アーチャーは自分に背を向ける凛の寝姿を見ながら、小さく苦笑する。
きっと、生前他の女を抱いたときは、自分がこうやって女たちに背を向けていたのだろう。
今は…凛に背を向けられ、少し悲しい気持ちで彼女の姿を見ているほか手立てがないのだ。
自分は、こんなにも満たされて。
しかし、相手は空っぽで。
魔力が空になった状態の凛にこれ以上触れることは出来ない。
凛に触れてしまえば、また歯止めが利かなくなるのが目に見えているからだ。
これ以上の魔力提供は凛の体に負担をかけてしまうことぐらい、アーチャーにも理解できた。
だから、アーチャーはなにもない虚空に、まるで凛の体を愛でるかのように、指を漂わせた。
目をつぶり、ただ彼女のことを想って指を漂わせる。
柔らかく、柔らかく。まるで彼女を愛撫するときのように。
そうすれば、彼女のことをずっと考えていられるし、
彼女に負担をかけることも無いから。
そして、いつの日か。
精神が磨耗して、彼女のことさえ思い出せなくなってしまっても。
きっと虚空を漂わせた指が、彼女のことを覚えていてくれるから。
だから。
アーチャーは、目をつぶり、柔らかい笑みさえ浮かべ、指を虚空に漂わせるのだ。
「またやってるな…」
凛は薄目を開け、アーチャーの仕草を鏡越しに見つめる。アーチャーは気づいていないようで
あったが、凛のベッドサイドには鏡が置いてあり、その微妙な角度で後ろに横たわるアーチャーの
姿が見えるのだ。虚空を切るアーチャーの手を鏡越しに見つめて、凛は小さく溜息を付く。
いつだってそうだ。
アーチャーはいつだって私の求める言葉を言ってくれる。
だけど。
アーチャーはいつだってアーチャーの求める言葉を教えてくれないのだ。
いつだって。
皮肉気に笑って。小さく溜息をついて。一人でケリをつけようとする。
アーチャーは不意に手を止める。凛の気配が動いたからだ。寝返りを打ったような空気の動き
を感じた後、アーチャーはゆっくりと目を見開いた。すると、先ほどまで深い眠りに落ちていた
はずの凛が、真っ直ぐにアーチャーのことを見つめていた。
「…どうした?私がいると眠れないようなら…」
「あんた、本当に失礼なやつよね。」
「…は?寝ぼけているのか、凛?」
凛はアーチャーの手を取り、その指を咥えこむ。そして、不意に鋭く歯を立てた。
「…っつ…何がしたいんだね。君は。」
「空気の女を愛撫していた、罰。」
「……。」
「ここに私がいるのに。すごく、失礼じゃない。」
「…それは……嫉妬か?」
「は!そんな訳無いじゃない。ただ、私は…。」
凛はもどかしげにアーチャーを見つめる。そんなことを言いたいのではないのだ。
ただ、ただ。アーチャーの望みを、アーチャーの願いを。少しでも叶えてやりたいと。
そう、思うだけなのだ。なのに、それをアーチャーは言ってはくれないのだ。
アーチャーはもどかしげな凛の様子を見つめる。
ああ。彼女の言葉は、何故にこんなにも。私を満たしてくれるのか。
彼女の、激情に押し流された、もどがしげな言葉が。その表情が。
「凛、もういい。」
「まだ、私、何も言って…」
「それで、十分なのだよ。だけれど…」
「何?」
アーチャーは凛の手をとり、握り締めた。
「もし、君が許してくれるのなら。今日はこのまま、眠らせて欲しい。」
「本当に、それだけでいいの?」
「ああ。魔力は十分満たされているし。」
「ったく。あんたって本当…謙虚っつか、食えないっつうか。」
「ふん。それはお互い様だろう。」
暖かい、床の中で。
二人は、手を握ったまま眠りに付く。
そして。
アーチャーは凛の手をぎゅっと握る。
彼女が与えてくれたその熱は、心が無くなってしまっても、きっと覚えていられるだろうから。
凛もアーチャーの手をぎゅっと握る。
ほんの僅かであっても、彼の願いを叶えることが出来たのだろうから。
だから。
二人は、ずっと手を握ったまま。深い眠りに落ちたのだった。
fin
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