ただ一言で言えばね、
こんなアーチャーに会いたかったの。



わくわくざぶーん編



「えーーーっと。なんでそんな格好をしているのかしら?」


子供たちのはしゃぐ声、明るい日差し、涼やかな水音。外界から遮断されて
常夏の景色を提供する、新都の楽園「わくわくざぶーん」でご機嫌斜めの
少女が一人。唇には笑みを、眼差しには殺気を湛えて一人の男をにらんでいる。
…遠坂凛だ。


「何でといわれても…ふむ。」


そんな殺人視線を意ともせず、凛に問われた男は両手を組み、小さく首を
傾げた。褐色の肌にタイトな甲冑を着けたままのアーチャーが、
プールサイドのチェアーに寝そべる凛の真横に突っ立ているのだった。
プールで水着を着ていないだけで十分違和感があるのに、水遊びをするでも、
寛ぐでもなくただ突っ立っている。明らかに浮きまくりである。
凛のご機嫌が悪くなるのも無理はない。


「なーにーが『ふむ』よ!どう考えてもプールサイドにそぐわないじゃない!」
「そぐうもなにも…元より私はプールに遊びに来たわけではないのだよ。
 凛、キミがどうしても一人ではプールに行けないから付き添って欲しいと
 言ったのではなかったのかな?」


アーチャーは凛の顔を覗き込み、微かに口の端を上げる。ただでさえ機嫌の
悪い凛は、眉間に皺を寄せ、あからさまにアーチャーをにらむ。


「あ、当たり前でしょ!でなかったら、誰が私の為にチェアの場所取りを
 したり、暖かいバスタオルを用意したり、飲み物を買ってきたりするのよ!」
「………。コホン。その為に私が呼ばれたのであれば、水着を着る必要性は
 あるまい?」
「でもほかに水着を着てない人なんて…」


…一瞬アロハの青髪男が視界に映ったが、あれは従業員ということでっ!と
凛の脳髄の中で瞬時に判断された。話は続く。


「いないでしょ!!郷に入れば郷に従え。ソレぐらいの常識持ち合わせて
 くれてもいいんじゃなくって?」
「…そうか?キミなんて明らかにマイ・ウェイど真ん中激走タイプでは
 ないか。別に私は特段泳ぎたい訳でも…凛?」


返す刀で捲し上げたアーチャーだったが、不意に凛が無言になっていることに
気が付いた。


「どうした、凛?あまりに正論過ぎて反論できないのか?」
「………。」


凛は相変わらず黙ったまま。そして、瞳は微かに潤んでいる。しばしの沈黙の後、
凛はアーチャーに聞えるかどうか分からないぐらいの声呟いた。


「…せっかくだからね、アーチャーもプール入ればいいのになって
 思ったの。…心の贅肉だったかしらね。」


凛は顔を下げたまま、アーチャーの顔を見ない。そして更なる沈黙の後。

「……はぁ。………私の負けだ。仕方ない。水着をレンタルしてこよう。」


アーチャーは小さく溜息を付くと、レンタルコーナーへと向かっていった。
凛はアーチャーが立ち去った気配を素早く感じ取ると、おもむろに顔を上げる。


「ふふふ。新しい方向性大成功ってやつ?令呪でドゴンと押さえつけるのも
 イイけど、こーゆー精神的にダメージ与える方向性も捨てがたいわよね。」
赤い悪魔、健在である。


あーなんかテンション上がってきた!!せっかく一緒にプール着たのに
 一人だけ見学されてちゃ楽しめないわよね!」


凛は勢いよくチェアから立ち上がると、近くにあった造波プールへ向かって
走り出した。アーチャーとの舌戦で火照った体を冷やしたくなったのだ。
打ち寄せる波を、すらりとした足でパシャパシャと跳ね上げる。
いくらアーチャーの着替えが早くても、レンタルするのに多少の手間は
かかるだろう。凛はずんずんと造波プールの奥へ奥へと進んでいった。


一方そのころ。


「………はぁ。」


深い溜息を落とすアーチャー。



「まぁまぁ、溜息なんてつきなさんな。つかよーーあんな上玉捕まえて
 おいて溜息なんて失礼だろ?」


と、不貞腐れつつもレンタル水着の貸し出し手続きをする青い人。
そんな店員の戯言には聞く耳持たずのアーチャーは、再度深い溜息を
落とした。そして、瞼に焼き付いて離れない光景を思い出した。


南国を思わせる観葉植物の合間を縫って、ツインテールが顔を覗かせる。
全身に大きなバスタオルを羽織り、ちらりちらりとこちらを見つめつつ。
そして何を思ったのか、一気にアーチャーへの間合いを詰め、勢いよく
バスタオルを脱ぎ捨てた。その瞬間、あらわになる白く透き通る肌。
グラマラスというには程遠いが、見事にバランスの取れた清廉な体。
その体を、ほんの僅かな面積の真紅の布が覆い隠しているのだ。

息をのむ、というのはまさにこのことなのだろう。呼吸が止まった。
思考が止まった。無論、声の一つも上げることが出来ない。
本来なら、憎まれ口の一つでも叩いてやるのだが、そんな余裕なんて
全くない。ソレほどまでに、蠱惑的だった。ナニか言わなくては、
デモ何を言えば?思考が混乱する。アドバンテージが取れない。

一瞬言葉を失いかけたアーチャーだったが、凛がアーチャーに向けて
投げつけたバスタオルと、


「つーーーーか!アーチャー!!何で水着じゃないのよ!!!!」


という罵声で何とか正気に戻ったのだった。別に自分が女性に対して
初々しい訳では無いと思うのだが、正直再度凛の水着姿を見て
ドギマギしない自信はない。だから私服(というか甲冑そのまま)で
横に立っていれば正視することもないと踏んだのだが、その目論見は
瞬殺で崩れたのだった。さすが、赤い悪魔である。


「はぁ…。」


アーチャーは三度目の深い溜息を落とすと、更衣室の中に消えていったの
だった。


「…遅いわね。アーチャー。」


水遊びに飽きた凛は、波間に浮かぶ。造波プールが造り出す波が、
緩やかに彼女の髪を揺らした。柔らかい波が、いくつも彼女の体を
撫で、通り過ぎていく。


「まさか、アイツ…逃げた!?」


不意に嫌な考えが頭に浮かんだ凛は、勢いよく身を起こす。
しかし、絶望的にタイミングが悪かった。起き上がったとたんに、
先程まで柔らかい波を作り出していた造波プールの動きが変わった。
丁度一時間に一度のビッグウェーブタイムに突入したのだ。


ざばばばーーーーんん!!!!!


「がほっげほっ!!!」


一メートルはあろうかという波が、凛を頭から飲み込んだ。
想定外の事態に、思わず凛は大量の水を飲む。気管に入ったプールの水は、
凛から呼吸と冷静な思考を奪った。


「やばっ!ごほっ!!!つっーーー!!」


水の中で不自然に動いた所為で足が攣った。いくら高い波が押し寄せようと
プールの水深など高が知れていたのだが、上手く足をつくことが出来ない。
なんとか水面から顔を出そうとするのだが、タイミング悪く押し寄せる波
と足の痛みとで上手く顔をだせず、呼吸がますますできない。凛の視界が
ぼやけ、漠然と死を予感した刹那。きつく、きつく、抱きしめられる。


「凛!!!大丈夫か!!!凛!リンッッッ!!!」
「げほっかほっ!!」


新鮮な空気が凛の肺に送りこまれる。やがて視界もクリアになり、
何が起こったのかやっと凛にも理解できた。自分の体が褐色の腕に
支えられている。凛はゆっくりアーチャーの背中に手を回すと
アーチャーを抱きしめた。軽く触れるアーチャーの肌から、体温が
伝わる。


「アーチャー…」
「どうした、凛?まだどこか苦しいのか?」
「遅い。」
「はぁ、言うに事欠いてそれか。君はもう少しだね………
 というよりも、もう足もつくだろう?」
「…足、攣った。」
「………そうか。」


アーチャーは一瞬思案して、それから力強く凛を抱え上げた。
凛が異論を挟む隙も無い勢いでそのままお姫様だっこに持ち込んだ。


「ちょっと!アーチャー!!」
「足が攣って痛いのだろう?何、遠慮することはない。救援が遅く
 なった詫びだ。デッキチェアまで無事にお連れしよう。」
「な……っ!」


凛の顔が赤くなる。それもそのはず。アーチャー単品でさえ十分
周りから視線を集めるのに、それが凛をお姫様だっこしているのだ。
周りの視線が集中しない訳が無い。プールで溺れたことといい、
アーチャーに悪態ついたこといい、今日はどうも全てが裏目に出る。

そんな凛の表情を微かに見つめたアーチャーは、心中でくすりと笑う。
凛を真正面から見つめるのはどうにも気恥ずかしい感じがするが、
周りから羨望の眼差しを浴びるのは、悪くない。


「そうだ、デッキチェアまで戻ったら足をマッサージして差し上げよう。
 何、礼には及ばんぞ。今日はそういう下僕の役割で呼んだのだろう?」
「………。」


これから更なる視線を浴びるだろうことを理解した凛は、顔を真っ赤に
したまま、無言で俯いた。そんな凛を見つめながら、アーチャーは
今度ははっきりと声を出して笑ったのだった。



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