来年の春も、再来年の春も



プロローグ

2003年、3月某日。

一陣の風が、満開の桜を散らす。
その満開の桜の木の下、新井木はあの懐かしい日々を回想していた。
「僕たち、また今年も一緒にお花見ができたね。」
そうして若宮の左手を、ぎゅっと握り締める。





溜息

1999年3月7日 早朝 

善行司令は、東原が言うところの「おっきいねこさんよりもおおきい」溜息をついていた。
そして頭を抱える。ついでに己が不運を嘆こうかとも思ったが、これ以上の行為は非生産的
ですねと思い直し、発生した事件の事後処理と小隊運営に関して思案することにした。



事件は前日にさかのぼる。


整備士の田辺真紀の頭上に二号機の装甲板が落下した。実はこのこと自体はたいした問題ではない。
いや、本来であれば重大な事故であり、安全管理の問題等勘案すべきことは複数あるのだが、
落下した先が田辺である以上もはや必然、仕方が無いことなのである。

ちなみにそれはこの小隊へ配属されてから三日間で、隊員全員が実体験として学んだことであった。

問題は、そんな田辺を装甲板から守ったスカウトの来須銀河が負傷したことだった。
1枚目は持ち前の敏捷性でよけることができたが、さすがに2枚も装甲板が落ちてくることは
予想ができなかったらしい。装甲板が右肩を直撃した。

来須は一瞬うめき、そして次の瞬間、「…大丈夫だ。」と一言だけ言葉を発したが、
まったくもって大丈夫ではないことは、誰の目から見ても明らかだった。
無言の抵抗を示す来須を無理やりラボへ連れて行ったのが夕方。そして診断結果が早朝に
善行の多目的結晶リングに送られてきたわけだが、さすがの善行も溜息をつかざるを得なかった。

右肩関節部粉砕骨折、神経損傷。

来須の診断結果を口に出してみて、善行はそのことの重大性を再認識する。
斬った張ったの傷と違い、骨や神経のクローンニングは組織が複雑な分時間がかかる。
また、完全作動部位との接続…つまりリハビリテーションの時間も勘案しなくてはならない。
どんなに即席治療をこころみても、3週間はスカウトとして戦力外だ。

「…はぁ。」

これがきちんとした大人の部隊だったら、まだマシだったんですけどね…。
一人ごちる善行。あいにく善行が指揮する部隊は寄せ集めの学兵部隊で人員の余裕は全く無かった。
挙句パイロット候補生の一人は閉所恐怖症で、戦車技能がとれずまったくの戦力外。
そんな中、実戦経験があるスカウト・来須は小隊にとって重大な戦力だったのだ。
その来須が、戦闘をまたずに、戦力外。善行でなくても溜息がでる話だ。
ネガティブな思考が頭にもたげる。しかし、いまさら戦力ダウンを嘆いても詮無き事。
気を取り直し善行は隊員技能取得表を再鑑した。

「ほう…来須君はオペレーターの資格を取得しているんですね…瀬戸口君は整備1、と。
瀬戸口君には恨まれそうですが、しばらく2組へ行ってもらって…そう、来須くんをオペレーターへ。
滝川君を無職にしておくわけには行きませんし。体を鍛えることは戦車兵としても
悪いことじゃないですからね…とりあえず、スカウトへ、と。」
善行が小隊運営表に新しい布陣を入力し終えた、ちょうどその時。小隊長室へ新井木が入ってきた。





1999年3月8日 午前 正面グラウンド

若宮康光は、東原が言うところの「おっきいねこさんよりもおおきい」に、追加で
善行の飼い猫2匹分を付け足したぐらいの大きさの溜息をついていた。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜。」
ネガティブな思考どころか、本当に溜息しか出てこない若宮だった。


3月7日早朝、若宮は学校へ向かって猛ダッシュをしていた。
つい先ほど善行より、「シキュウ ショウタイチョウシツヘ コラレタシ」とのメールを受け取った
為である。メールにはそれ以外のことは書かれてなかったが、若宮には自分が召集された理由が
なんとなく分かっていた。昨日の来須の怪我が思わしくないのだろう。

名目上、5121小隊は3月4日小隊発足時に士魂号M機体が3体、スカウト2名が実戦配備された。
だが現状としてはパイロット不足のため士魂号の実働は2体。挙句スカウトまで1名に減員した
のでは戦力が大幅に減少する。まだ幻獣と一戦もまみえていないのにである。
そのため早々に配置換えを行い、せめて資格の要らないスカウトだけでも補充する必要があった。

多分スカウトには、閉所恐怖症で戦車技能がとれなかった滝川あたりが配属されるだろう。
そして自分にはそのヒヨッコ滝川をスカウトとして実戦に参加できるよう、
「適当に」指導する指示が出されるのだろう。そう若宮は予想していた。

実際若宮が善行から緊急召集メールを受信した時点では、まさにその通りだった。
しかし、若宮が小隊寮から尚敬高校校門までダッシュした、ほんの10分ほどの間に状況は
大幅に変化していたのだった。


善行は小隊運営表の入力を終えると、至急若宮に緊急召集メールを送信した。
小隊運営表は多目的結晶とリンクしており、異動が出ると自動で該当隊員の多目的結晶へ
緊急招集メールが送信される。朝一番で配置換えを行わないと、当日の部隊運営に支障を
きたすからだ。若宮にはスカウトの先任として、滝川を指導してもらわなくてはならない。
その打ち合わせもかねて、異動が出た3人以外の若宮に緊急招集をかけたのであった。

「だ〜か〜ら〜さぁ!!もう!!僕の話を聞いてよねっ!!いいんちょーー!!!」

突然、善行の耳元で、大音量が発生する。善行が深い思索の海から現実世界へ戻ると、
目の前に二号機整備士の新井木勇美が、プリプリと怒りを露にして仁王立ちで立っていた。

一瞬、善行は小隊運営表の入力を間違えたかと慌てる。しかし、目の前にある運営表には
新井木に異動が出た旨は記載されていない。どうやら、善行があれやこれや考えている間に
小隊長室へ新井木が入ってきていたらしい。

「ああ、すみませんね。新井木さん。ちょっと立て込んでましてね…
 もう一度、最初からお話を伺えますか?」

善行は、新井木に丁寧に話し掛けた。
すると新井木は年寄りは耳が遠いからしょうがないよねーと下手をすれば軍法会議に引っかかりそう
なことを呟きながら、善行の耳にも聞き間違えがないような明朗な声で話した。

「僕をスカウトにしてほしーんだよねっ!!!」

「…。」善行は二の句が継げなかった。
「バカ!何言ってんだよ、お前っ!!」と、善行の代わりに至極真っ当な返事をしたのは、
緊急召集に応じ、ちょうど小隊長室へ到着したスカウト候補の滝川陽平であった。


若宮が小隊寮を出て、11分と32秒後。小隊長室に到着したそのときにはすでに宴もたけなわ…
ではなく、新井木と滝川の罵り合いは泥沼の態をしめしていた。

「第一お前が整備さぼってたから装甲板が落ちたんだろうが!!」
「よく言うよ!!あんとき二号機いぢってたの、どこのどいつだよ〜戦車技能もろくに無いくせに!」
「何を〜〜〜!!来須先輩に気に入られたいからってスカウト志願なんてするか?普通!
 女のクセに!!そこまでやるか!!浅ましいヤツだな、本当に。そーゆーの育ちがでるって
 言うんだな!!!」と一気に滝川はまくしあげた。
ただの口喧嘩にしては、言いすぎのように思われたが、滝川も必死だったのだ。

滝川の所属する1組はラインオフィサー、つまり戦闘要員で構成されている。
そのなかで、最も重要な技能である「戦車技能」を取れていない無職の滝川は肩身が狭かった。
クラスメイトのうち、そのことについて滝川を責める者は誰もいなかったが、
滝川はそれをネガティブな方に受け取っていた。自分はみんなに、相手にさえされていないのだと。

滝川にとって憧れの来須先輩が負傷したことはショックなことではあったが、
その来須の代わりにスカウトとして仕事をすれば学兵として認められる…
自分も晴れてクラスメイトと同等になれると滝川は盲信してしまっていた。
まだ戦場に出たことの無い少年は、スカウトという仕事の本質について理解をしていなかった。
ただ、みんなと同じレベルに立ちたい。その一心だったのだ。

「…はぁ。」善行はまたひとつ溜息をつく。

善行は新井木と滝川の言い争いに、そろそろ終止符を打ちたかった。
さっさと配置換えをしてしまわないと、日曜日とはいえ皆が登校してきてしまうからだ。
ただでさえ少ない人数の部隊で身内同士醜い言い争いをしていること自体、全体の士気にかかわる。
だがあまりの剣幕に仲裁することもできず、ただただ溜息をつくしかなかった。

若宮が到着したのはまさにそんなときだった。

若宮は、小隊長室内で繰り広げられる泥沼の言い争いに一瞬驚きはしたが、善行から
軽くあらましを聞き納得した。新井木がスカウトに立候補する理由は皆目理解できなかったが、
滝川が一向に引かない理由は容易に推測できた。なにせ若宮も1組所属だったからだ。
戦車技能も取れず、かといってオペレーターや整備の仕事ができるわけでもない、滝川。
「働かざるもの、食うべからず」的な雰囲気を感じてしまうのは無理もないことだろう。
そんな滝川を思い、若宮は一つの提案を試みた。

「あー、こほん。二人とも聞いてくれ!!」
若宮は図体と同様、太く大きく張りのある声を上げた。あまりの声の大きさに、新井木も滝川も
ひるみ、若宮の方を振り返った。

「そんなにスカウトになりたければ、スカウトの座をかけて、決闘をすればいいだろう?
 なにせスカウトは体が資本だ。二人のうち強い方がなればいい。先任の俺が言うんだ。
 間違いない。」そう言い放って、若宮は善行の方ににっこりと笑いかけた。
善行も、「仕方がないですね…」と一言呟き、やれやれだと言う顔でその決闘を公認した。



「喧嘩だ!!」だれかが大騒ぎをはじめる。

そんな声が上がる度に、善行は大声で「喧嘩ではありません!見世物でもありません!!
 教室へお行きなさい!!!」とまるで先生のようなことを連呼する羽目になった。
それだけ、派手に善行公認の5121小隊スカウト職争奪戦は繰り広げられている。

「な〜にやってんの?」その男の声に若宮は振り返る。緊急招集メールを受信したはずなのに、
まったく小隊長室へ来る気配がなかった瀬戸口隆之だった。
「見ての通りだ。」若宮は憮然と答えた。そして瀬戸口の後ろから、ラボから直行してきた
のだろうか、右腕のギブスも痛々しい来須が現れた。

「…。」来須は視線で若宮に現状説明を求めた。若宮は憮然とした表情のまま、新井木と
滝川がスカウトの座をかけて決闘していることを来須と瀬戸口に説明した。
瀬戸口は「レディが殴り合いをするなんて、ナンセンスだな!」と一言吐き捨て、その場を去った。
そして来須は、無言で決闘中の二人に、視線を移した。

実は若宮が憮然な表情をするのには訳があった。
緊急招集に訳も無く遅刻する瀬戸口に対する嫌悪感ではなく、ただ、その決闘の経過に対してだった。
始まって、早5分ほど経過していたが、圧倒的に滝川が押していた。いや押しているように見えた。


遺伝子操作を繰り返し、オリジナルに比べてはるかに強靭な肉体を得た第六世代であったが、
男子と女子とでは、それなりに体力・能力的に差異があった。
基本的に男子の方が肉体的能力が高いのだ。例外的に強靭な肉体を持つ女子もいたし、
訓練しだいでは一般的な女子でさえ、訓練していない男子に比べて強靭な肉体を得ることもできた。
しかし若宮が見たところの新井木は、か細い、今にも折れそうな体つきをしていた。
そして、これなら滝川でも勝てるだろうと踏んで、若宮は決闘を提案したのだった。

実際、圧倒的な手数で滝川が殴りかかっていた。素人目から見れば滝川が押しているように
見えるだろう。しかし、幾度の戦火を潜り抜けた若宮と来須の目には、そうは映らなかった。
滝川は多少体力に自身があるため、大振りな技を出し、手数も出す。
しかし新井木は、若宮の想定を超えた敏捷性でその攻撃をかわしていた。最小のステップで、
まるで踊るように。ただ、ひたすらに大振りをする滝川の戦い方は子供の喧嘩といっしょだ。
それに比べ新井木の戦い方には、わずかながらにも戦術が見えた。

「これは…まずい、な。」来須が左手で帽子のつばをかすかに上げた。

滝川に疲労の色が見えはじめたのだ。無駄に大振りを繰り返した、当然の結果だ。
そして残りわずかな力を振り絞って殴りかかる滝川の、ちょっとした隙を新井木は見逃さなかった。

「あ!おいっ!!」若宮が声をあげる暇も無く、新井木は必殺の間合いに入り込み、掌底を
はなった。見事に心臓を圧迫し、瞬間、視界がくらむ滝川。そんな放心状態の滝川に、
新井木は容赦なくハイキックをお見舞いした。整備士の新井木は安全靴(鉄板装甲付)を
愛用しており、そんなもんで頭をけられたらひとたまりもない。

滝川は光る液を放ちながら、何度かバウンドして、息絶えた。

「…。」
「むむぅ…。」
「…はぁ。」

新井木のハイが決まった瞬間、来須・若宮・善行の三人は、東原がいうところの
「おっきいねこさんよりもおおきい」溜息をついた。

そんな三人を尻目に、新井木が勝利の雄叫びを上げている。
そして、その様子を遠巻きに見守っていた速水と石津が滝川の元へ走りよる。

「気を…うしな…ってる、…だけ…」「いいんちょー滝川君、大丈夫みたいでーす!!」
「…そうですか…。とりあえず、速水君は石津さんを手伝って救急手当をしてください。
 起きないようなら、そのまま整備士の詰め所にでも寝かせておいてください。」
「…わかっ…たわ…」「はーい!」

自分が滝川なら、二度と目がさめない方がいいですね…と滝川の今後を愁わずにはいられない
善行であったが、新井木が勝った以上、スカウトは新井木に決定だった。
善行は若宮の方へ振り返り、こうなった以上今もっと「適当な」指示を出すことにした。

「えー若宮戦士。」
「はい、なんでしょう。善行委員長。」
「決闘なんて、言い出したのあなたでしたよね。」
「はい。あーそれはその…いまさらですが、なんとか滝川をスカウトに…」
「…。女子供に…いや、女で子供の新井木さんにボコられた滝川君をスカウトに異動させて、
 作戦会議通ると思いますか?」
「はい、いいえ。100%無理であります!!」
「そうでしょう、そうでしょう。ですから、先任のあなたが責任をもって新井木さんを
 立派なスカウトにしてあげてください。猶予は3日差し上げますから。11日には実戦に
 出れるよう、準備を整えてください。以上!!」





あーせめて一週間はほしかったよなぁ、猶予。と若宮は昨日の出来事を、今そこで起こった
ことかのように思い出していたのだった。しかし、上官の命令は絶対。
また、兵士を一人前に育てるのが下士官の醍醐味だというものだろう。
自分の役割にあっさり納得した若宮は、もう溜息をつくことはなかった。

そして、か細い手足を念入りにストレッチしている新井木に声をかけた。

「新井木!アップでグランド20周だ!それから筋トレ10セットだからな!!へばるんじゃないぞ!!」
「げぇぇぇぇ〜やだぁ!足太くなっちゃうじゃん!!」
「つべこべ言わずに走れ!それがスカウトの商売だ!!!」

若宮と新井木の絶叫が正面グランドに響き渡る。


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