初陣
1999年3月11日 菊地戦区
予告どおりの4日後、新井木のスカウトとして最低限の用意が整ったことを確認して、
善行は菊地戦区の幻獣支配地域へ進入した。新井木の初めての戦闘…初陣である。
本日の戦区は市街戦がメインで、遮蔽物が多く直接攻撃が受けにくい。また比較的幻獣勢力数
も少なく、友軍の支援が見込める上、小型幻獣の発生が多かった。新井木の初陣にはお誂え向きと
言うわけだ。それでも善行は念には念を入れ、通常とは違う陣形を採用した。
通常スカウトは士魂号の露払いのため、二名配備であれば各々両翼に展開する。
そして士魂号の前方でゴブリンやヒトウバンあたりを手榴弾でつぶしながら前進し、士魂号のための
道を作る。それをわざわざ2名とも右翼中段あたりに配置し、露払いというよりも寧ろ追撃・掃討戦
メインで戦闘させる形に善行は配備した。早い話、戦闘力の頭数外の扱いである。
実は今回の戦闘は…新井木に叩きのめされた…滝川の初陣でもあったのだ。滝川はあの後、
クラスメートの暖かい友情と鉄拳制裁という名の教育によって戦車技能取得した。
いまだにゲロパック持参ではあるが、何とか士魂号を乗りこなせるまでに成長したのだ。
「ちょっとぐらい、滝川君にもええかっこさせてあげてもいいでしょう。」
そう思った善行は、若干危なげな滝川を最後方に配置し、92oライフルを装備させた。
アウトレンジから落ち着いて狙撃させれば、突撃していく壬生屋機や速水・芝村機の露払い
ぐらい出来るだろう。潰したのがゴブリンやヒトウバンであろうと、幻獣は幻獣。
それが滝川のプライドを取り戻すチャンスとなればという、善行の親心だった。
そしてこの布陣は新井木にとっても、初陣であまりにも恐ろしい目にあわないよう、
若宮の保護をつけると言う意味を持っていた。最終的には一本立ちしてもらわなくてはならないが、
かといってすぐに戦死するようなことになると替えが効かない。少なくても来須が復帰するまでは
頑張ってもらわないと…
誠意と打算と。複雑に入り混じらせながら算段していた善行の耳に、通信機から新井木と若宮の
やり取りが聞こえてきた。
「新井木戦士、ウォードレス作動状況と装備確認!」
「ブー!さっきもやったじゃーん!!」
「…あんなものは確認のうちにはいらん!!つべこべ言わずにやらんか!!」
「あーもーオッケオッケ!シールド装備確認。右手サブマシンガン確認。
手榴弾確認。右足カトラス確認。左足予備機関銃弾帯入ってま〜す!」
「入ってま〜すではなく語尾はすべて確認!!ウォードレスの関節部位の作動は大丈夫か?」
「オッケオッケ!!!」
「おい!コラ!!こんな狭いところで腕をグルグルまわすんじゃない!!
あ、イテ!!ほら言わんこっちゃない。外壁が崩れただろうが!!!」
「えへへへ。やすちゃんとゆうみちゃん、たのしそうなのね。」
オペレーターの東原が戦場とは思えない無邪気な笑みを浮かべている。
「…。」
そしてあの来須でさえ笑いをかみ殺している。
「…はぁ、本当にもう。」
善行は、最近絶えることのない溜息をまた一つつき、通信機のマイクを手に取った。
「若宮戦士・新井木戦士、夫婦漫才はそこまでです。幻獣具現化確認、戦闘配置についてください。」
「はい、いいえ。決して夫婦漫才ではありません!あくまでも最終確認であります!!」
「はい、はい。わかりましたから。とにかく戦闘配置について。
…そして新井木さんを死なせないよう。若宮戦士、よろしくお願いしますよ。」
「はい、了解です。」
ふぅ、まったく…余計なことで司令に怒られてしまったではないか。若宮は通信無線をオートから
セミへ切り替えて溜息をついた。それにしても、今回の配置は助かったな…と相変わらず
腕をグルグルまわしている新井木を見ながら心の底から思った。
この3日間、新井木にはスカウトとして授業そっちのけで速成教育を施した。一応スカウトとして
実戦配備できるまでの肉体には鍛えあげたが、メンタル的には…もともとの新井木の素養・適性が
不明だったため、心もとないと言わざるを得なかった。そして戦場ではそのメンタルが最終的に
モノをいう場面が多々あるのだ。
右翼中段のこの配置なら、赤い目に人に対する憎悪をたぎらせた幻獣を真正面から見据えなくてすむ。
幻獣との距離や他の戦車の配置からして、戦闘に参加するのは追撃・掃討戦になってからだろう。
あの赤い目と対峙するより、背中からサブマシンガンでもぶっ放してやったほうが精神的に楽だ。
最終的には真正面からにらみ合わなくてはいけない相手だが、まだヒヨッコには早い。
そんなことすべてを考えての善行の配置であろう。若宮は良い上司を持ったことを神に感謝した。
「おう、新井木!口開けろ!!」
「んー?」
丁度ヘルメットをかぶって戦闘準備完了!といったところの新井木に、若宮は声をかけた。
「ほら、ほら。」
「あー?」若宮があまりの勢いでせかすので、つい新井木も口を開ける。
そして、その口に放り込まれたのは…ちょっと変わった味のする飴玉だった。
「なにこれー?」口のなかで飴玉をごろごろさせながら、新井木は質問した。
「ああ、通称ヒヨッコキャンディーだ。」
「えー??」怪訝な顔で聞きかえす新井木。
「まぁ、あれだな。もっと飴玉食いたかったら生きて帰ってこいってヤツだ。
これが食い収めにならないよう、がんばるこった。」
「げーっ!!なんかスッゴク縁起悪くない?」
「ははは。ふてくされてないで、とにかくこの戦場を生きぬけろ。」
そう言うと若宮は快活に笑った。
その日の戦闘は人類側の大勝で終わった。
最終的に新井木の戦果は3体。速水・芝村機のミサイル攻撃が効をそうして、射程が長い
ナーガが早い時間に全滅した。後はちまちま逃げるゴブリンやヒトウバンを後ろから皆殺しに
するだけだった。若宮の教えたとおり、新井木はマシンガンをまっすぐ正面に構え、腰を落とし、
狙いをつけて連射。落ち着いた様子でゴブリンを撃破した。初陣としては上々の出来栄えだった。
「やれやれ、子守りも大変だな…」
若宮が新井木の戦果を、小隊会議室で報告し終わった丁度そのとき。整備士の森精華がものすごい
剣幕で怒鳴り込んできた。
「あなた!!新井木さんにどんな教育してるの!!!!」
「ええ?」あまりの剣幕に呆然とする若宮。畳み掛けるように森は怒鳴り続ける。
「戦闘が終わったと思ったら、いきなりウチに向かってサブマシンガン放り出して…。
自分はさー洗顔してかーえろっとか言ってどこか行っちゃったのよ!!
一体何様のつもりなの?ウチはあくまで士魂号の整備士で、スカウトの雑用係じゃないのよ!!」
「新井木が小火器をほっぽりだして帰ったのか?」
「見れば分かるでしょ!!!」
そういって森は、両手に抱えていたサブマシンガンを若宮へ向かって放り投げた。
「おいおい!大事に扱ってくれよ。残弾が暴発でもしたら洒落にもならん!」
「…あ、ご、ごめんなさい。つい、かっとなってしまって。ウチ…」
「いや、新井木が悪いんだ。俺が代わりに詫びる。すまなかった。」
深々と頭を下げる若宮を見て、森は怒りの矛先を失った。
「若宮さんに言っても…しょうがないですよね。こちらこそ…。」
「新井木にはきつく言っておくから。今日のところは申し訳ないが、小火器を片付けてもらえるか?」
「…はい。まぁ、若宮さんに免じて大目にみます。」
一度放り投げた火器類を丁寧に拾い上げて、森はハンガーの方へ歩いていった。
森が立ち去るのを確認したうえで、若宮は急いで新井木を探すことにする。
「何かあったかな。」若宮は少し嫌な予感がした。
スカウトが自分の火器をほっぽりだして家に帰ることなどまずもってありえない。
どんな新兵のスカウトでもそうだ。戦闘後の火器の清掃・確認はすでに戦闘の一部と化している。
万が一確認しないまま次の戦闘に突入して弾詰まりなんて起こしたら…目も当てられない。
露西亜製のカラシニコフ銃と違い、今支給されているマシンガンは多少命中精度が高い分、
丁寧な清掃を必要とした。故に若宮は、新井木にスカウトのイロハの「イ」として、火器の分解・
清掃方法を教えたのだ。いくら新井木でもそんなことを忘れるはずがない。
それでも火器をほっぽりだして帰ったというのであれば、新井木に何かあったと考える方が
スカウトとしては自然だった。しかも、今日は初陣を迎えたばかりだったのだから。
さっきの森の剣幕を考えれば、新井木が森に小火器を押し付けたのはつい先ほどだろう。
ならばウォードレスを脱いでさしずめシャワーか。今ならまだ校舎はずれのあたりで新井木を
捕まえられるかもしれない。6ミリ秒ほどでそういう結論に至った若宮は、シャワールームへ
向かって全力でダッシュした。
シャワールームへ到着する。どうやら誰もいないようだ。入れ違いだったか…
と立ち去ろうとした若宮であったが、一瞬、シャワールームの裏に人がいるような気配を感じた。
確認のためシャワールームの裏に廻ってみると、そこには…新井木がいた。
シャワールームの裏の水飲み場で、泣きながら嘔吐している新井木がいた。
新井木は若宮の存在に気がつくと、若宮へ何か言おうとした。だが、その言葉は吐き出された
胃液によって流されてしまった。止めどもなく押し寄せる吐き気。
その新井木の様子を見ながら若宮は…困惑していた。
初陣の後のスカウトの反応は大方2通りに分かれる。躁状態になるもの、そして鬱状態になるもの。
平常心でいられるのは、軍用クローンぐらいなものだった。
だから、新井木の身の上に起こっていること自体は若宮の想定内のことだった。
実際今まで何人ものスカウトを育ててきた。そのたびに躁になる者には、厳しい現場をみせ
心を引き締めさせた。また、鬱になるものには恫喝なり何なり、鞭を入れて心を奮い立たせた。
しかし、若宮が今まで叱咤激励して育て上げてきたのは…すべからく男だった。
そして今、若宮の目の前で泣きながら吐いているのは、女で子供の新井木だった。
若宮は改めて、新井木を見つめた。
今までスカウトの速成教育に心血を注いでいたため、新井木の筋肉の質や持久力には注視しても、
新井木を…女として見つめたことは全くなかった。
シャワーを浴び、私服のTシャツとハーフパンツに着替えている新井木。
水飲み場に屈みこみ、丸くしているその背中は驚くほど小さい。そしてTシャツの襟首から見える
細く、白い首筋。若宮がちょっと力をこめたら軽く折れてしまいそうだ。それなのに、スカウトと
して戦場に立ち、幻獣を殺し、そして今は泣きながら嘔吐している。
それは若宮の知っている女…といっても所謂商売女と憧れの原女史ぐらいであったが…というもの
には全く当てはまらなかった。そのことが若宮をさらに困惑させた。あまりにも、若宮の思考
パターンの想定外だったからだ。それでも若宮は、こういうことには有効活用されていない脳味噌を
フル回転させて、一番よかろうと思う行動を取った。
若宮は無言で新井木の背中をさすってやった。小さくて細くて白い、新井木を壊さないように、
優しくそっと…さすってやった。ただそれだけだった。
どれくらいそうしていただろうか。
新井木は小さく「もう大丈夫だよ。」と言い、その声を聞いて初めて若宮はさする手を止めた。
その手が止まるのを確認して、新井木は口元をタオルでぬぐい、若宮の方へ向き直った。
「…なんで、なんにも言わないの?」
「え?ああ…」
若宮が口ごもると、新井木は堰を切ったように叫び始めた。
「ぼ、僕のことなじればいいじゃん!たかだかゴブリン撃ち殺したぐらいで吐いてって!
火器の清掃も手ぬきやがっててっ!!怒ればいいじゃん!!僕は…僕は弱虫だって!!
女子供だから役に立たないって!!僕は…僕は…」
「新井木っ!!」
「う、うぅっ…」
若宮は今までに無い様な大きな声で新井木の名をよび、それ以上喋る事を制止した。
そして整備員詰め所に連れて行き、無理やり吐き気止めの薬とミネラルウォーターを飲ませた。
「少しは落ち着いたか?」
新井木は詰め所のベッドの端にちょこんと座り、自分の足元を見つめいていた。
若宮もその隣にどかりと座り、新井木の頭をぽんぽんと二回叩いた。
「…なんで…」
「今日のお前は上出来だったぞ?確かに火器を森に押し付けて帰ったのは大減点だがな。
戦闘が終わったら、急に怖くなったか?」
「ううん…そうじゃなくって。
ゴブリンが男の人と女の人の…頭を串刺しにした槍をもってるの見てから…
お父さんとお母さん思い出して…気持ち悪くなった。」
その言葉を聞いて若宮は今日の戦闘を思い出した。たしか、そんなゴブリンを見かけたような気が
したが、それは掃討戦が始まってすぐだったはずだ。ということは新井木は今の今までその吐き気と
戦ってたわけだ。若宮は再度新井木の頭をぽんぽんと叩いた。
「お前は、どんなに怖くても、気持ち悪くても、頑張って戦闘を放棄しなかった。」
「…僕、お父さんも、お母さんも大っ嫌いだったけど…急にいろんなこと思い出して、
気持ち悪くなった。でも僕スカウトだから、来須先輩なら…逃げないと思って。それだけで…
別に頑張ったわけでもなんだもないんだよ…」
再び新井木の目に涙が溜まりだす。若宮は近くにあったタオルで無造作に新井木の顔を拭いて
やった。
「もー!!そんなに乱暴にしたら痛いよ!!」
「はははは。すまん、すまん。…お前は、両親のこと嫌いなのか?」
どうやら、新井木は落ち着いてきたようだった。若宮は普段あんまりお喋りに興じる方では
なかったが、このままお喋りすることは新井木を落ち着かせるいい方法のように思えた。
何分、新井木自体が若宮の思考の想定外の存在であるので、手探りで対処法を考える。
「うん…離婚しちゃったしね。」
そう呟き、新井木は手首の傷をみる。
新井木はかつて器械体操の国家強化選手だった。
新井木がまだ幼年学校に通っていたころは、国威掲揚のためのスポーツ強化政策なるものが施行
されていた。その当時は日本国内には幻獣が発生しておらず、そんなことをやる余裕がこの国には
あった。ただし、国家強化選手といってもそれこそピンキリで遠征費から生活費まですべての費用を
賄って貰える甲種から、すべてが自己負担の丙種に分かれていた。新井木は、丁度乙種…
いわば一流には半歩とどかず、かといって丙種のように名誉をひたすら喜んでいればよいわけではない
…微妙な立場だった。
「勇美ちゃんはね、必ず甲種の…一流の選手になれるのよ!」
それがお母さんの口癖。
「…お前、一体いくら金をかければ気が済むんだ!」
それがお父さんの口癖。
まいにちまいにちまいにちまいにち…。
狭い公団住宅の2DKの部屋で繰り返される言い争い。
僕がもっとがんばれば、お母さんもお父さんも昔みたいに仲良くなるのかな。
僕がもっともっとがんばれば、お母さんもお父さんも昔みたいに仲良くなるのかな。
僕がもっともっともっとがんばれば、お母さんもお父さんも昔みたいに仲良くなるのかな。
両親の諍いが繰り返されるたび、新井木は部屋を抜け出し、団地の屋上で風に吹かれながらそんな
ことを考えるのだった。昔みたいに仲良く手をつないでお花見にいければいいのに。仲良く、手を
つないで…
だが、新井木の努力は徒労に終わった。
新井木が平均台の練習中に落下し、手首を複雑骨折してしまったのだ。それは、クローンニングを
施せばすぐに治療できる程度の怪我だった。しかし、乙種の新井木はクローンニングの費用を自費
で支払わなくてはならず、その金額は一般市民にとっては非常に高額なものだった。
「また金か!!!」確か、お父さんはそう言った。
「わが子が怪我をして…治療しなくてもいいというの!?」確か、お母さんはそう答えた。
「なにがわが子だ!ラボから送りつけられた、金食い虫のガキだろうが!!」
「あ、あなた!!なんて事を言うの!!!」
あんまり詳しくは覚えてないけど、その後お父さんがお母さんを殴って…お母さんは二度と
帰ってこなかった。お父さんは僕の養育を拒否した。僕は強化選手からはずされて、普通の
学校へ通った。僕が学んだことは、努力しても、報われない。今が楽しい方がいい。
だから、勉強も、整備の仕事もテキトーテキトーのはずだったんだけど…
「でも、スカウトになったんだな。」
「うん。」
「どうしてだ?」
「来須先輩…かな。」
思わず苦笑する若宮。
「あーいやーそーゆー意味じゃなくって。いつも授業サボって屋上でスカウトの練習とか
見てたんだけど…あれだけ恵まれた体格と素質を備えているのに、人知れず努力して…
スカウト以外にも十分いろんな仕事に就けそうなのに…なんか、すごいなぁと思って。」
俺も同じように仕事してたはずだったんだけどな…と思わないこともない若宮であったが、
そこに突っ込んでも仕方が無いかと思い、新井木の話を促す。
「あんなに努力してたのに、やっぱり僕みたいに怪我しちゃって…僕はお父さんにもお母さんにも
見捨てられちゃったけど、来須先輩にはなんかそんな目あわせたくないな、とか。
えへへへ。柄にもなくそんなこと思っちゃったのかな。良くわかんないや!」
そう話しきると、新井木は心の織が取れたかのように、笑った。
もう大丈夫だなと、若宮は確信する。
「まぁ、今日のことは気にするな。新兵なら誰しもあることだ。」
「若宮先輩も?」
俺は…若宮は口を濁し、ちょっと考えてから答えた。
「俺は吐きはしなかったがな。一度腹の中に入れた食い物を外に出すなんてもったいない!!」
「賎しいなぁ…」
「スカウトは体が資本だからな。もしかして明日も吐き気があるかもしれんが、無理してでも食え。」
「え〜。やだなぁ。」
「それこそ、来須の顔を思い浮かべてでも食え。俺も昔ちょっとやばい牛乳を飲むときには、
いつも『清清しい、清清しい。』と唱えながら飲んでたぞ。人間案外雰囲気でいけるもんだ。」
「そんなの若宮先輩だけだよ…」
新井木はげんなりした顔で答えた。若宮の話にげんなりした以上に、疲れた顔つきだった。
新井木は今日の戦闘での疲労がある上に、かなりの量を吐いていた。それに…ヒヨッコキャンディーの
せいもあるかな、と若宮は思った。
ヒヨッコキャンディー…正式名称は経口投与型向精神薬(丙)は初陣を迎えるスカウトに常用されて
いた。通常パイロットでも興奮剤等を注射して戦意を向上させるが、新兵のスカウトにかかる
精神的圧力はそれの比ではない。だから、通常の興奮剤注射のほかに、新兵は経口投与型の薬を飲ませ
戦意を高く保てるように…敵前逃亡しないようにさせていた。その中でも丙種は比較的弱い薬であった
が、向精神薬である以上少なからずともバッドトリップしてしまうものがいた。
新井木が急に両親のことを思い出したのも、そのせいかもしれない。
「…すまんな。」
「え?」
若宮は掻い摘んでヒヨッコキャンディーの事を説明する。
その途端、新井木の顔が真っ赤になり、激しい怒りの表情となる。
「もう!信じられない!!僕が気持ち悪い思いをしたのも、全部全部若宮先輩のせいじゃん!!」
新井木は今にも掴み掛かろうかという勢いの怒気を示した。
…ああ、全く…女の扱いは難しい。若宮はまた困惑しつつも、やはり無い脳味噌をフル回転させた。
今思っていることを正直に伝えるほか、無い様だった。
「たしかに、すべて俺のせいだろうな。だがな、新井木…俺はお前に無事に初陣を務めて欲しかった。
そして場数を踏んで、一人前のスカウトになって欲しかった。たとえ来須が復帰するまでの
繋ぎかもしれがんが…」
そうして新井木をまっすぐ見つめ、もう一言、本当に今思っていることを伝えた。
「俺は死んでもかまわないが、お前が死ぬのは困るんだ。」
俺は……だから。お前には代わりはいないから。若宮は余計なことは言わず、その一言だけ伝えた。
新井木は何もいえなかった。
目の前にいる男が、自分は死んでもかまわないからと言った事実にただひたすら驚いた。
そして、今日、今まで若宮がしてくれたことを思い出した。
…優しく新井木の背をさすり、話を聞いてくれた。薬のこと…本当のことを話してくれた。
目の前にいる…ちょっとしょぼくれた大型犬のような男は、新井木に誠心誠意対応してくれた。
「…ごめん。僕もちょっと初陣で気がたっちゃったみたい。
明日、モリリ…森先輩にもちゃんと朝一番で謝っておくね。」
「ああ。」
若宮はほっと胸を撫で下ろし、にっこり笑った。
「それと、ペナルティでグランド30周な。」
「えええええ!そんなにぃ!!」
「当たり前だろうが!途中でぶっ倒れないよう、絶対朝食くってこいよ!!」
「なんか、今からフラフラする…」
「おい!新井木大丈夫か!!!」
若宮は慌てて新井木を担ぎ上げる。
「えーあーちょっと!!大丈夫だってばぁ!」
「いや、このまま卒倒されたら洒落にならん。このままおぶって小隊女子寮まで
送ってやろう!!」
「なななな!そんなの恥ずかしいし!人に見られたら困るし!!おろせっ!おろせってば!!」
新井木は若宮の頭をぽかぽか殴った。若宮は暴れ廻る新井木を仕方なしにおろしてやった。
「いてぇなぁ。んーまぁ、人を殴れる元気があるなら大丈夫か。でも寮までは送るぞ。
本当に途中で卒倒されて、なんかあった日には…」
「あーもう。分かったってば。今日は特別にエスコートさせてあげるよ!!」
そう言うと新井木は若宮の手をぎゅっと握った。背負われて帰るのは嫌だが、
この丈夫そうな手を握って帰るのは、安心できていいかもしれない…
ちょっとそんなことを考えたのだった。
「よし、そうと決まったらさっさと帰るか!そろそろ夜食の時間だしな!!」
「まだ、食べるんだ…」
「当たり前だろう。体がスカウトの資本だからな!」
若宮はいつも以上に満面の笑みを浮かべた。
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