桜の木の満開の下




3月29日 昼



「ほな、そろそろお昼にしよか〜!!」
小隊事務官の加藤祭が近くにいる女子に声をかける。
「勇美ちゃんもどうや?」
「オッケオッケ!!行く行くぅ〜!!」

授業をサボって訓練してきた新井木が、丁度教室へ帰ってきたところだった。
スカウトとして初陣を無事務めてから2週間ほど経つが、新井木は相変わらず授業をサボって訓練
をしていた。せいぜい授業に出るのは戦闘訓練と体育ぐらい。これではクラスメートと交流すること
が出来ないということで、昼休みの時間は教室へ帰り、皆とランチをするのが最近の新井木の
日課になっていた。ただのクラスメートならともかく、一緒に戦場で戦う仲間だ。意思疎通のため
にも交流しておいた方がいい。そう思った若宮が加藤に新井木をランチに誘うよう依頼をしていた
のだった。


「今日は、お天気がいいですね。屋上でお食事しましょうか?」
「うむ。」
壬生屋が提案する。芝村も同意を示す。
ちょっと前までなら考えられないことだったが、この新井木を囲む会の相乗効果で女子同士
仲良くなりつつある。屋上のビールケースに座り、各々おかず交換など始めていた。


「その栄養価の高そうなやつと、こちらの市場価値が等価なものと、交換をしないか?」
「ちょいまち、大きさ測ってからや。」
「…それ、おいしそうですね。」
「キミがそーやって食べるから、僕は大きくなれないんだからね!」

春の陽光の下で食べるお弁当。賑やかな嬌声。
加藤は、ふと新井木を見つめる。そして、彼女のある変化に気づいたのだった。


「勇美ちゃん最近さぁ、なんか胸…」
加藤が、控えめに新井木に質問する。
「え?なに?なに??僕の乳大きくなったっぽい!?」
新井木が満面の笑みで質問を仕返す。新井木は元々華奢な体つきで、胸が貧しい…つまり
貧乳であることを内々にではあるが、コンプレックスに思っていた。
「そー言えば最近ブラがきつくなってきたと思ってたんだよね〜僕!!」
「あーいやーそー…」
口ごもる加藤に代わり、芝村が言葉を継いでやった。
「よく聞け、新井木。」
「ん?なに?マイマイ???」
「…舞は一度でいい。加藤が言いたいのは、大胸筋が著しく発達したようだ、ということだ。
 その上に乗っている脂肪分は特に肥大化していない。」
「…だ、大胸筋?」

絶句する新井木。

「まぁ、ここんとこどえらく訓練してたもんなぁ。あははは。」
乾いた笑いで何とかフォローをする、加藤。
「スカウトとしての肉体改造が成功している証であろう。誇りにするが良い。」
そんな加藤をあざ笑うかのように、駄目押しする芝村。
「た、確かに足も太くなった様な気がする…」
よくよく考えれば、思い当たる節がありすぎる新井木。

「そういえば、そなた…この間蹴りで幻獣を粉砕していたな。」
「ええええ!マジすか!?」加藤が驚愕の声を上げる。
「ちょ、ちょっとあれはさぁ!手榴弾で死にぞこなってたゴブリンを蹴っただけじゃん!」
「おお怖っ!次の戦闘訓練、勇美ちゃんとは絶対組まへん!!!」
「大丈夫だよ!訓練は手加減してるし!!それにあんときだって弾がもったいなかったから
 こう、ついさー蹴ってみただけだし!!!」


「うふふふふ。」


静観していた壬生屋が急にふきだした。


「えー何?未央っち???」
新井木は怪訝そうな声をだしてその真意を壬生屋に確認する。
「いえ、ね。うふふふふふ。」
ようやく笑うことをやめ、壬生屋はその瞳にたまった笑い涙をぬぐいながら、話し始めた。
「先日の戦闘でね、若宮さんが…まったく同じことを言っていたのですよ。
 弾がもったいないから、蹴り倒したって。本当、お二人とも良く似てらっしゃる。」
「ブー!当たり前だよ。戦い方、アイツに全部習ってんだし。いっつもいっつも
 訓練でやってればさーゴブリンぐらい蹴るって。」

新井木は口をへの字にして壬生屋に反論する。
そんな新井木の様子を見て、加藤はニヤつきながら、一つの提案をした。

「そうや、勇美ちゃん。若宮さんと四六時中いっしょにいるんやから…
 こっちも訓練してもらえばええんちゃうか?」

そう言うやいなや、加藤は新井木の胸をもんだ!!

「ギャー!!なにすんだよ!!マツリン!!」
「あはははは!!!」大爆笑する加藤。

「ひーひー…いやぁ、ほら、舞ちゃんも速水君とラブラブやし。
 何時貧乳クイーンの座を明渡されるか分からんで〜。」
「なななななな!何を言う加藤!!!!」
貧乳クイーンについて叱責するべきか、速水のことについて叱責するべきかとっさに
判断がつかない芝村であった。そんな隙をついて、加藤は芝村の胸ももんだ!!!

「うーん、今のところどっこいどっこいやな。予断をゆるさんなぁ〜」

「マツリン!!」
「加藤!!」

新井木と芝村の怒声が屋上に響き渡った。





同日午後、1組教室。



珍しくも新井木が学科の授業に出ている。窓の外ではまばゆい陽光の中、女子高の生徒が
体育の授業をしているところだった。本当なら新井木も授業なんかサボってロードワークにでも
行きたいところだったが、しかし、若宮が…どうしても許さなかったのである。理由は簡単で、
今新井木が受けている授業が「図上演習」であったためだった。





「本当にお前は…突撃しか能がないのか?」

普段ネガティブな表情を見せることがない若宮が、溜息をついて新井木に言ったのは先日の
戦闘終了直後のことであった。その日は中型幻獣も数多く発生しており、安易に戦える相手では
なかった。士魂号ならともかくとして、スカウトが体力のある幻獣を相手にするならヒットアンド
アウェイで少しずつ相手の体力を削っていくほかない。そんな接敵戦で大切なことは攻撃と同時
に、退路の確保だった。しかし、新井木の戦い方は…とりあえず行ける所まで行って急いで
帰ってくる。そんな戦い方だった。

「どう考えたって敵陣に深く入り込みすぎだろう?移動妨害を受けたらどうするんだ?」
若宮は先ほどの戦闘の配置を地図に書き込みながら新井木に説明する。
「んー。でも僕リテルゴルロケット装備してるから。よーっぽどじゃないと移動妨害受けないよ。」
「燃料切れたら、歩いて帰ってくるんだろうが。」
「まぁ、そん時は来須先輩にオペレーションしてもらうし!!キャハ!!」


「キャハ…か。」

若宮は苦々しい顔になる。先ほど新井木の装備品を確認したら、リテルゴルロケットの燃料はほぼ
カラで、小火器類の残弾もほとんど残っていなかった。今回は敵を殲滅できたのでたいした問題
ではなかったが、敵が撤退しなかったら…新井木は裸一貫で幻獣と対面する可能性だってあった
のだ。それに、来須のオペレーションだっていつもあてに出来るわけではない。まだ戦況に余裕が
あるから、来須がスカウトの経験があるから、ついでに新井木の誘導をしてやっているのだ。
戦況が悪くなればあてに出来なし、そうでなくてもジャミング等の特殊効果の影響で無線が混線する
事だってありえる。

そんなことさえ、新井木は分かっていないのか…。もう一つ溜息をついて若宮は新井木に提案をした。

「とりあえず、図上演習を受けろ。その間スカウトの仕事はやっておいてやるから。」
「ブー。ヤダ。」
「い、嫌だと!?」
若宮は想定外の返答に唖然とする。

「そんなこと言って僕だけ授業に出させてさ〜この間ロードワークの途中で発見した
 隠れ家ケーキ屋さんに一人で行こうとか思ってんじゃないの?」
若宮に疑惑の眼差しを向ける新井木であった。

「俺は軍の幼年学校で死ぬほど図上演習をやったんだ。だからいまさら受けんでも…」
「本当にぃ〜?」
さらに若宮に疑惑の眼差しを向ける新井木。

「…分かった。俺も受けるから。お前も受けろ。いいな?」
「んーまぁそれならオッケ。じゃあケーキ屋さんには二人で行こうね。
 出し抜きなしだからね!!!!」
「分かった分かった。」



という訳で、新井木は図上演習を受けるかわりに、何気なく若宮とケーキを食べに行く約束を
取り付けたのであった。とはいえ、実際授業を受けると…眠い。

実は新井木は学科の中で、図上演習が一番得意だったのだ。


1組と2組では、カリキュラム…つまり時間割の内容が違う。それはラインとテクノの違いがあるの
で当たり前の事だろう。図上演習はどちらかと言うと、テクノのクラスの方が授業数が多い。
実際戦闘の最前線出ることがほとんどないテクノは図上演習程度の常識があればよいと言うわけだ。
それに比べラインは実際に戦闘を行い、一般常識では測りきれない即時の対応が求められる。
それゆえに戦闘訓練など実戦的なことに重きを置いたカリキュラムとなっていた。

新井木は、スカウトとして戦闘に参加するまでは、図上演習の授業が好きだった。
みんなで陣取り合戦をしているようで、楽しかったのだ。駒を取り合って、敵を殲滅させて。
だが実際自分が駒として戦場で戦ってみて分かったのは、戦争がそんな生易しいゲームでは
ないということだった。

先日の戦いでも、新井木の近くで戦闘をしていた友軍スカウトが生体ミサイルの直撃を受けて死んだ。
新井木は自身の敏捷性が高く、ウォードレスも武尊を装備していたので回避できた。
しかし新兵と思しき友軍スカウトは、互尊で、しかもまだ訓練もままならず出陣させられたのか、
何もできずただ立ち尽くしミサイルの直撃を受けて死んだ。
そしてその様をみて、新井木は…突撃した。友軍兵士の代わりに初陣を務めてやったのだ。



生きていれば、もっと楽しいこともあっただろうに。家に帰れば、家族もいただろうに。
どうしようもない、僕が生き残って、あの子は死んでしまった。



だから、こんなことしてても無駄なのになぁ…


新井木は心の中で呟き、斜め前に座る若宮の背中を見つめた。若宮の言いたいことも分かる。
確かに、自分は前のめりになりすぎなのかもしれない。


でも僕、そーゆー風にしか生きられないんだよなぁ…


新井木は少し体を傾けて…若宮の顔を見た。
精悍な横顔と厳しい眼差しがほんのかすかに覗いて見えた。新井木の視線に気づいたのか、
若宮はふと振り返り、『真面目に受けろ!』という視線を送り返してきた。
そんな若宮に新井木は笑って、『バーンッ!』と銃を打つ真似事をした。若宮の顔がキッとした
表情を見せたその時…二人の頭に白チョークが直撃した。


「お前らっ!!珍しく授業に出てきたかと思えば〜〜!!
 真面目に受ける気がないんなら、バケツもって廊下に立ってろ!!!」
本田が怒髪天をつく勢いで叫ぶ。口答えでもした暁には銃殺は免れそうではない。
二人はバケツ片手に、慌てふためいて教室の外に出た。




「本当にお前と言うやつは…」
若宮はぐったりと首をうなだれる。両手が水の入ったバケツにふさがれていなかったら、新井木を
はたき倒していたところだろう。

「えへへへ。本田もローテクだよね〜水の入ったバケツ持たせるなんて。」
まるで堪えてないかのように、新井木は笑った。


しばしの沈黙。


沈黙に耐え切れなくなったのか、新井木が一言小さな声で若宮に話し掛けた。


「…ごめんね。」
「…本当にな。なんの因果でバケツもって立たされてるんだか。」
「そうじゃなくって…。」
「ん?」
「この間の、戦闘のこと。」

急にそんな話になったことに驚いた若宮は、新井木の様子を横目で見た。新井木は厳しい眼差しを
両手で持つバケツの水面に送っていた。そして、そのまま言葉をつないだ。

「突っ込みすぎたのは、分かっていたんだけど。僕…どうしても、仇討ってあげたかった。」
「…そうか。」
「僕みたいなどうしようもない人間が生き残ってるのに。あの子は…そう思うといてもたっても
 いられなくなって。」

新井木はそこまで言うと、唇をぎゅっと噛み締めた。涙をこらえているのだろう。厳しい眼差し
をたたえつつも、かすかに潤む新井木の瞳を見て、若宮は不意に新井木の頭を撫でてやりたくなった。
しかしその衝動は、両手をふさぐバケツと、プログラミングされている自制心によって現実に
行動に移されることはなかった。

「なぁ、新井木。仇を討ってやりたいと言う気持ちは分かるが…」
「…うん。」

「自分のことをどうしようもない人間だなんて、言うのはやめろ。」
「……。」
「もし、お前が考え無しに無謀な突撃をして帰ってこなかったら、加藤も、芝村も、壬生屋も…
 この小隊全員が悲しむことになる。絶対に、限りある命を粗末にするな。
 士官にとっては駒でも、俺たちにとっては1つしかない命だからな。それに…」
「それに…?」


若宮は、俺も悲しい…と言おうとして言葉を飲み込んだ。それを言うのは禁忌だった。
自分の感情を吐露することなど、認められるはずがない。それが、自分という存在。
若宮は自らの意思で、これ以上その感情について考えることを停止した。


「…いや、なんでもない。」
「なんだよーそれーすっごい気になるじゃーん!!」
「あははは。すまんすまん。まぁ、次回からは絶対に気をつけろよ。約束だからな。
 俺との約束守れるか?」
「うん!!!」
「よし。じゃあ、明日ロードワークの途中でケーキ奢ってやろう!」
「わーいやったぁ!!!」

と、新井木が小躍りせんばかりの喜びを示した瞬間、ガラッと1組教室のドアが開き、
先ほど以上の怒りを見せる本田が顔を覗かせた。


「おーまーえーらーっ!!!俺をなめてんのか!?廊下でイチャ付きやがって!!
 バケツに砂入れてもう1時間立ってろ!!!」

「は、はい…」

抵抗する気も起こさないほどの剣幕で怒られた二人は、仕方なくさらに1時間立たされ坊主を
する羽目になった。もちろん、その後クラスメートから囃し立てられたのはいうまでもない。





3月30日 午後



新井木と若宮はロードワークと称し、午後の授業をサボって熊本城を臨む公園にいた。
新井木の手には、若宮に奢ってもらったシュークリームの入った紙袋が握られている。
本当はケーキを買うつもりでいた二人だったが、店内に入ってケーキの値段に驚愕してしまった。
なんと、購買で売っている物とは桁が一つ違う。どこかの裏ルートで調達したらしい、すべて本物
無添加のケーキは到底二人の週給で買えるものではなかった。それでも若宮は、男に二言はない
と言い、一番安いシュークリームを全財産叩いて3つ買ったのだった。


公園の芝生に腰を下ろし、二人でそのシュークリームを食べることにする。先週開花した桜が、
丁度盛りを迎えていた。


「う〜ん。絶好のお花見日和だね!」
新井木が満面の笑みで若宮に話し掛ける。
「うむ。サボって出てきた甲斐があったな。」
若宮もにこやかに同意した。


温かな日差しと、晴天の青空と、満開の桜。
そして、手に持つシュークリームの入った紙袋からは、ほのかに甘い匂いがした。
新井木はこれ以上幸せな気分はないとでもいうような、そんな笑みを浮かべていた。

「じゃぁ、食べよっ!!」
「よし!!」

その新井木の声を待っていたかのように、若宮はシュークリームにむさぼりつく。
新井木はゆっくりと味わいながらシュークリームを食べた。若宮が全財産叩いて買ってくれた
のだから…そんな新井木を尻目に、若宮はあっという間にシュークリームを食べ終わった。

「…もうちょっと味わって食べなよ。」
「ん…小さいからな、一口だ。」

そう言うと若宮は新井木が食べているシュークリームに目を移した。本人に意図があった訳では
ないのだが、つい本能で食べ物を見てしまったらしい。その、若宮のお預けを食らった犬のような
哀愁のこもったつぶらな瞳に、新井木はつい笑ってしまう。

「しょーがないなぁー。もう一個あるから、食べていいよ。」
「い、いや…それは、その…お前に買ってやったものだし。」
「そんな風に見られてたら、ゆっくり自分の分食べれないよ…残りの一個半分こにしよう!」
「ははは…そうか。ありがとう。」

新井木は残り一個のシュークリームを半分に割ろうとした。しかし、如何せんシュークリームだ。
上手く割れずにべちゃりと潰れ、中のクリームが飛び出した。

「うわっ!」
「もったいない!!」

そう言うや否や、若宮は新井木の手をつかみ、重力の法則に従い落下しようとするクリームを
間一髪その口の中で受け止めた。そしてその勢いで、そうすることが然も当然かのように、
クリームまみれになった新井木の指を舐めた。


「ひゃぁっ!!」
くすぐったさと、若宮の行為に新井木は小さな悲鳴を上げた。
「あ…すまん。クリームがもったいなくって、つい。」
若宮も我に返り、自分のした行為に赤面している。

「うん…あ、ほら、シュークリームの半分!!!」
新井木は潰れてクリームなしになってしまったシュークリームを無理やり若宮に押し付け、
自分の分を口の中に押し込む。そうでもしないと、なんだか気恥ずかしくて間が持たなかったのだ。
若宮も同様だったらしく、無言でシュークリームを食べている。



シュークリームはあっという間になくなったが、まだ二人は無言で芝生に腰を下ろしていた。
何かお互い話し掛けにくい雰囲気ではあったが、満開の桜が咲き誇る公園はとても静かで、
…まるで、どこかで戦闘が起こって人が死んでいるなんて嘘の様な、平穏とした暖かさがあった。


「ん…ちょっとお昼寝してから帰ろうかなぁ。」
そう新井木は呟くとごろっと芝生の上に横たわり、猫のように丸くなった。
そんな新井木の様子を、若宮はただ黙って見つめていた。


どのくらいそうしていただろうか。


「少し、風が出てきたな…」

一陣の風が、満開の桜を散らす。花びらが芝生の上で昼寝をする新井木の上にも降りかかった。
若宮は、新井木を起こそうか一瞬考えた末に、自分の上着をそっと新井木の体に掛けた。
そうして、新井木の頭に降りかかった花びらを、一枚、一枚丁寧に取り除いてやった。
花びらを取り除く瞬間、新井木の髪や、襟足に若宮の指が触れた。そのやわらかさ、暖かさが
かすかに若宮に伝わる。

「…。」

曖昧模糊とした何かが、胸の中で大きくなっていることを若宮は感じていた。それは、
単純明快な思考を…もとよりプログラミングされている若宮にとって大変不安な事であった。
昨日、新井木と話していたときもそうしたように、思考を強制的にシャットダウンさせようと
試みた。しかし、今日はどうも上手くいかないようだった。

「…。」

思考とは裏腹に、若宮の手は本能に従い、新井木の頭に伸びた。そして、ゆっくり優しく…
うたた寝をする新井木の頭を撫でた。






…暖かい。…とっても暖かい。
…暖かいは、幸せ。幸せは、暖かい。

…これは…夢?

本当はちょこっと横になるだけのつもりであったが、日頃の疲れが出たのか新井木はうつら
うつらと寝入ってしまった。そして、少し寒いなと思った瞬間、何かにくるまれた。
暖かいなぁという心地よさと同時に、硝煙と汗の匂いが鼻腔につく。それは一瞬新井木に戦場を
思い起こさせたが、すぐに違うものだと理解する。


ああ、若宮先輩の匂いだ…。


新井木は安心して、再度まどろみの中に落ちていこうとする。それを妨げたのが若宮の手だった。
軽く頭に触れた後、まるで壊れ物でも触るかのように、優しく新井木の頭を撫でた。
暖かな手が、何度も何度も優しく新井木の頭を撫でる。すでに新井木は覚醒に近い状態であったが、
今起きてしまったらもう二度と若宮は自分の頭を撫でてはくれないような気がしたので、
されるがままになっていた。


若宮の暖かさを感じながら、新井木は考える。先ほどは偶発的とはいえ、若宮に指を舐められた。
そして今は、無防備に頭を撫でられている。でも、それは全く不快には感じられなかった。
寧ろ………。


ん…昔と比べると、趣味変わったかも。ううん、変わってる。ガーンみたいな感じ…


昔はもっと、お金持ちでとか、いろいろ考えていたんだけどな…と少なからず自分の変化に
ショックを受けた新井木であった。でも、自分の変化には驚きこそするが、与えられる暖かさは…
その安心感は、今まで得ようと思っても得ることが出来なかったものに違いなかった。


結果オーライってことなのかな…


新井木は意を決して目を開けた。自分を暖かい手で撫でる男の顔を見るために。




新井木が急にぱっちり目を開けたので、若宮は驚いて手を引っ込めた。よくよく考えてみれば、
先ほどの指舐めといい、今日は結構とんでもないことをしでかしてしまっている。


「えーあー、すまん。桜の花びらが頭についていたもんだから…」

若宮は苦しい言い訳をした。しかし、新井木はそんなことはどうでもいいといった風に、
頭を振った。そして、若宮の目をまっすぐ見つめて言ったのだった。


「ねぇ、僕とつきあおうよ。」


あまりの突拍子のない新井木の発言に、一瞬唖然とした若宮であったが、何か一言言おうとして
結局黙ってしまった。そうして、暫くたってやっと出てきた言葉は、


「…ごめん。」


その一言だけだった。その一言を言ったきり、若宮は俯いてしまう。
そんな若宮に、新井木は激昂した。


「じゃぁ、なんで僕に…優しくしたり、頭撫でてくれたりしたんだよっ!!」
「…ごめん。」
「だったら、胸か!!!胸がないから満足できないのかっ!!」
「…そんなことじゃない…」
「……原先輩が好きなの?」
「いや、そうではなく…」

少しずつ、新井木の声に失意の色が見え始める。どうしたら、新井木を傷つけずに済むか…
いや、すでに傷つけてしまったのだが、こんな風に新井木を悲しませるのは若宮にとって
本意ではなかった。だから、無い脳味噌を振り絞り、若宮はやはり本当のことを伝える事に
した。善行には言わない方がいいといわれていたが、この期に及んでそんな忠告を守っている
場合ではない。



「なぁ、新井木。お前、いくつだ?」
「な、何よ!そんなのどーでもいいじゃない!!」
「いいから、いくつだ?」
「…13歳。8月4日に14歳になる。」
「そうか、俺は17だ。」

そこまで言って、若宮は呼吸を整える。そして新井木をまっすぐ見つめて言葉を続けた。

「俺は4月1日が生産配備日だが、4月1日がきても、17だし、去年も17だった。
 ずっと、17だ。言ってる意味、分かるか?」

そう言い切ると、若宮はこれまで見せたことが無いような笑顔を見せた。駄々をこねる子供に
言い聞かせるような、優しい笑顔。でもその目はこれ以上ない悲しみに覆われていた。


「…年齢、固定?」
新井木はポツリと呟いた。

「ああ、そうだ。年齢固定の軍の戦闘用クローンだ。」
若宮は、さらに優しい笑顔で答えてやった。





「人が、人として生を全うする可能性があるものが、ただ戦争を維持するためだけに
 生産される。そんなことが許されると思いますか?人権も認められず、ただ戦う為だけに
 生まれてくるなど…私たちにそんな烏滸がましい事が許されるはずないのです!」

前の学校の公民の授業で、たしか先生はそう言った。戦闘用クローンを含めた、生産諸法の
授業のときだ。火器や戦車と一緒で、モノとして産まれ、モノとして扱い、モノとして
壊れ、死んでゆく。自分たちと同じように、笑い、生活しているのに、モノであることを
宿命付けられた…そんな人間がいるのだと。先生はそう教えてくれた。

そう教えてくれた先生は、些細な罪で憲兵にしょっぴかれ、二度と帰ってくることは無かった。



「だから、俺はお前に何もあたえてやれないし、何も約束できない。
 本当に…ごめんな。」
「…ない。」
「…ん?」
「そんなこと、ない!!」

新井木は、先ほどまでみせていた失意の色をふっとばして、若宮に言い放った。

「僕は、若宮先輩にいろんなものをもらったよ!
 スカウトとして、強くなったし。一組のみんなとも仲良くなれた。
 心が苦しいときも…若宮先輩は暖かい手で、僕を励ましてくれた。
 今日はシュークリームも買ってもらった!!!!」
「新井木…もう、いいんだ。仕方が無いことなんだから。」
「よくないよ!!それに、僕としては、若宮先輩が軍用クローンとかどうとか
 なんて、どうでもいい!!!」

「…は?」
唖然とする若宮。今、どうでもいいとか言わなかったか?それが一番大切なことなんじゃ
ないのか?新井木にあっさり人間と軍用品の間にある、深くて長い川を飛び越えられてしまった
若宮は混乱した。

「僕だって、ずっと未来のことなんて約束できない。僕は、一日、一日若宮先輩と一緒にいたい。
 それが、毎日毎日積み重なれば、来年にだって再来年にだってなるでしょ?」

そこまで言うと、新井木は目元をゴシゴシして、涙をごまかした。
そして、今新井木が一番、本当に聞きたい事を聞いた。



「若宮先輩は、僕のこと好き?」




軍用クローンだとか、なんとかではなく。自分が新井木にどういう気持ちを持っているか。
若宮は混乱した頭の中で、考えた。

最初は、やせぎすで、本当にスカウトとしてやっていけるか、心配だった。
その後は、無事に初陣を務められて本当に良かったと思った。
それからは、一緒に訓練をして、強くなっていく新井木を見るのがうれしかった。
そして最近は、新井木とずっと一緒にいたいと思った。その暖かさに触れて感じていたいと思った。



そうか、それは…


「ああ…お前のことが、好きなんだな。」

若宮はぼんやりしながら、その結論に至った。ぼんやりはしていたが、心のそこから間違いないと
いえる答えだった。


「だったら、なーんにも問題なしじゃん!!!」

そう言うと新井木は、若宮の首筋に抱きついた。かつて若宮が諦めたものが、自分の胸の中に
自ら飛び込んできたのだった。

「おわっ!!」

その勢いに圧倒されながら、若宮は落ち着きを取り戻し、考えてみる。本当に、これでよかった
のだろうかと。しかし、新井木は自分が軍用クローンでもいいと言い切ったし、自分もどうやら…
間違いなく新井木とこうしていたい。


「うむ。…これも人生と言うものだろう。」


若宮は、あっさり常識を超越した新井木に従うことにした。一日一日積み重ねれば、来年にも、
再来年にもつながる…若宮はそんな先のことを考えたことなど、一度たりとてなかった。しかし、
新井木と一緒に日々を重ねる…それはなんだか胸が弾む考えだった。


「じゃぁ、一つ頑張るか。来年の春も、再来年の春もこうして花見でも出来るように。」
「うん、とりあえず、一日一歩。千里の道も一歩からっていうでしょ!!」
「お前、柄にも無く学のある風なこと言うじゃないか。」
「ブ〜!!うっさいな!!!」


新井木は口をへの字にしつつも、目はとても優しい光をたたえていた。
若宮も、その新井木の表情を見てうれしくなる。



若宮と新井木は恋人関係になりました。



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