戦場




4月10日 阿蘇特別戦区


後日絶望の日とよばれることとなった幻獣の大量発生の日、運の悪いことに5121小隊の守備戦区は
阿蘇特別戦区…すなわち一番幻獣勢力比の高い地区だった。対中型幻獣の戦力が高く、火消し役の
遊軍という立場をとる小隊である以上、厳しい戦区を渡り歩かざるを得ないことは善行も承知して
いた。しかし、よりによってこんな時に…と、いつもは生産的な思考をするはずの善行でさえ、
己が不運をうらんでいた。


まず、第一に士魂号の整備具合に不安があった。このところの連戦で大量被弾した壬生屋の機体を、
予備機へ変更した。整備は無論一からやり直しであったし、パイロットの壬生屋自身も機体との神経
接続をまっさらな状態からやり直ししなければならなかった。並みの戦車とは違い、士魂号で
パイロットとの神経接続状況が悪い事は致命傷だった。原を筆頭とするテクノが連日徹夜仕事で
どうにか戦闘を行えるだけのレベルに機体を調節したが、心もとないと言わざるを得なかった。
そして、第二に、装備品の不足が著しいことだった。加藤が裏も表もありとあらゆるルートで
装備品を調達していたが、それも限界が近づいていた。芝村の発言力をもってしても、モノが
届かない。根本的にモノがないのだ。スカウトの着用するウォードレスにさえ事欠く有様だった。


そして、第三に…


善行は、いつもの癖でずれた眼鏡をクイッと持ち上げる。その作業は常に善行に冷静になる
時間を与えてくれた。確かに、こんな時に阿蘇特別戦区なんぞにいることは不運なことであろう。
だが、それを嘆く時間はもう残されていなかった。伝令兵が近隣の小隊の戦況を伝えてきていた。
それは、明らかにこの一戦が5121小隊の今後の命運を分けるであろう激戦になることを予感
させるものであった。






「うあぁーでかい!!!」新井木が感嘆の声を上げる。


その日、若宮は今までとは違うウォードレスを着用していた。可憐・対戦車戦特別型Dタイプ
である。今までは芝村の発言力のお陰で、通常では入手困難な高機動戦闘能力を有する武尊を
装備していた。しかし前回の戦闘で1体廃棄処分になったあと、追加で配備することができなかった。
それで若宮は、自身が装備していたウォードレスを新井木に回してやり、自分は倉庫の奥で眠っていた
可憐Dを装備することにしたのだった。

当初は、新井木が遠慮して久遠で出撃すると言い張っていた。しかし、激戦が予想される今回の
戦いに、新井木を戦車兵用のウォードレスで出撃させるようなことは若宮には考えられなかった。
そこで以前芝村が陳情して、お蔵入りになっていた可憐Dを引っ張り出してきたのだった。

元々可憐D自体は、火力に優れた優秀なウォードレスである。しかし、あまりにも対中型幻獣戦に
特化されていたため、機動力が著しく低く、5121小隊の戦術には不向きであった。また、若宮自身も
可憐Dの装備の自由度の低さがあまり気に入らなかった。そんなわけで、せっかく芝村が陳情して
くれたものの、今の今までずっと倉庫の中に入れっぱなしになっていたのだった。



「あははは。どうだ、かっこいいだろう!!」
若宮は笑う。そうして、もう一言付け加えた。

「…そうだ。悪いが俺の髪を持っててくれ。死んだら骨も残らんだろうからな。
 どうせお前を守って死ぬから、俺の分だけでいいだろう。」

「…。」

しばしの沈黙のうち、新井木はかつんと若宮の脛を蹴った。

「縁起悪いこと、言わないでよ!!!」
そう言うと、新井木は下を向いてしまった。

「そうか…じゃぁ。」

若宮は新井木の脇に両手をやり、ぐいっと持ち上げた。ちょうど、小さな子供に「高い高い」を
してやるような格好だ。そして吃驚して真っ直ぐ若宮の顔をみた新井木の瞼に、優しく口づけ
をする。ほんのりと涙の味がする瞼を味わったあと、唇に触れる。何度か軽く触れて…これから
と言うときに、新井木がかつんと若宮の胴を蹴った。

「こ、こんなところで、なにすんのよ!!ムードもへったくれもないじゃん!!!」

確かに、新井木の言う通りだった。4本腕の阿修羅のような男に口づけされて、ムードもへったくれ
もある訳がない。若宮は、ゆっくり新井木を下ろすと、頭をくしゃりとなでた。

「じゃぁ、続きはもっとムードのあるところでな。」
「ば、ばかっ!!!」

そう言うと、新井木は顔を真っ赤にして走り去っていった。
5121小隊のスカウト2名は左右両翼に1名ずつ配備されるような陣形を取っていた。
戦闘開始に備えて、配備地点へ向かっていったのだった。そんな新井木の小さな背中を見送って、
その背中が視界から見えなくなったことを確認すると、若宮はポケットから小さなアンプルと、
点眼器具を取り出した。



それは、若宮自身、なにが入っているか知りもしない薬だった。ただ、若宮タイプをはじめとする、
戦闘用クローンにのみ支給されている薬だった。軍の衛生官は、『戦闘を維持するのが精神的に
難しくなったとき』に使えといっていた。いくら戦闘用クローンとして特化されているとはいえ、
若宮たちは生体品である。恐怖もあれば、運用次第で精神的に崩壊していくこともあった。
だから、漠然とでも不安に思うときに使えと。

以前の若宮であれば、このようなものに頼る必要性は無かったのかもしれない。しかし、最近は…
戦闘開始の直前にこの薬使うことが常だった。そう、新井木と出会ってから。出撃すると、必ず
感じる漠然とした不安。それを打ち消すために、薬を使っていたのだった。

そして、おととい。今まで漠然と感じていた不安の正体が分かってしまった。

「勇美…絶対に死ぬなよ。」

若宮は、新井木が死ぬのが怖いのだ。自分が死ぬことには頓着しないが、新井木がいない世界を
考えることは恐怖だった。


細い首筋、勝気だが大きな瞳。目をつぶっても新井木のすべてを思い出すことが出来た。
そして、あの夜。新井木と自分の多目的結晶を触れ合わせたとき感じた、あの気持ち。
自分を受け入れたいと思ってくれた、新井木の気持ち。


…すべてが無くなる。


新井木が死ねば。


…そうしたら、俺はどうすればいい?



若宮は思考を停止させて、強化プラスチックのアンプルの首を圧し折った。手早く点眼器具に
装着し、中の溶液を撹拌すると溶液は色鮮やかに変色した。そしてその変色具合を確認すると、
若宮は自分の両眼に薬を点眼した。次の瞬間、若宮の両眼に激痛が走る。それは、薬が両眼から
急激に吸収され、大脳まで行き渡るサインでもあった。激痛が引き、ぎゅっとつぶった眼を若宮は
ゆっくりと開いた。



その虹彩は、血よりも赤く。


恐怖も、不安も、喜びも、愛おしさも…すべての感情が消えていた。
そこにあるのは、残虐な生き物の眼。そう、その眼は幻獣よりもはるかに残虐で憎しみの
赤い色をたたえていた。


「ウォォォォォ。」

若宮は咆哮すると、敵を屠るべく前進していった。



それは、若宮自身、何が入っているか知りもしない薬だった。
ただ、使ったものの姿から、ベルセルクと呼ばれていた。
そして、猛り狂った戦士は…大抵備品としての最後が近かった。







「いやーん、最悪なのー! 補給してえ!」


撤退ライン近辺に設置された補給車のテントに新井木が転がりこんできた。
戦闘がはじまってから、既に数時間。補給車にも、オペレーターからの戦況報告が逐一
流されていたが、戦況は悪くなる一方だった。そして、補給車の予備装備品も底を尽きつつあった。


森と茜は、転がりこんできた新井木を椅子に座らせると急いでアイシングを始めた。
戦闘が長引くことによって、ウォードレスの着用限界が近づいてきていたからだった。
それに、今新井木が着用しているウォードレスは元々若宮が使用していたもので、関節部位など
の微調整が新井木とマッチングしていなかった。そのため、一部の人工筋肉に過度の負担が
かかっており、このままでは破損の危険性があった。

「姉さん!臨時の人工筋肉輸液!!早く!!!」
「分かってるわよ!!!」

茜の怒声に、森は悲鳴のような返事をする。

茜は新井木の、ウォードレスを着用しても細く思われる脚部をアイシングしながら、
漠然と考える。こんな子供が、最前線に立って幻獣と戦うなんて。正しい訳がない。
自分に力があれば、自分がもっと大人ならば。自分が…

「大介!輸液!!」
「分かった!!!」

森の声に、茜は、今最も適当な作業に没頭することに決めた。


「あ、マッキー!替えのシールドと煙幕手榴弾。あと砲弾倉をありったけ!!」
「勇美ちゃん…ごめん…ごめんね…」
「え?」

新井木の注文を聞いた田辺は、すでに泣きそうな顔をしていた。理由を聞こうにも、ただ、
ごめんというばかりで埒があかない。そこに、いくつかの装備品をもった原が現れた。

「新井木さん、すまないけどこれしかもう残ってないのよ。」
原はそう言うと、煙幕手榴弾二つと、予備の砲弾倉を一つ新井木の前に置いた。

「本当に、ごめんね…」
また、田辺は謝り、涙をながした。

「はぁーしょうがないね。」
新井木は溜息混じりに呟いて、肩の破損したシールドを取り外し始めた。

「マッキー!ぐずってないで、シールドはがすの手伝ってよ!!」
「で、でも、それはずしたら…」
「ここまで破損したら、シールドの意味ないし。重量だけ重くなって
 ロケットの燃料食うから、はずしちゃったほうがいい。」
「うん…」

二人がかりでシールドを手早く外し、補給した煙幕手榴弾を装備する。後は砲弾倉を装備すれば
というところで、新井木が急に手を止めた。

「あ!カトラス!!」
「え?カトラス?」

新井木の言葉に、田辺はすっとんきょうな声を上げる。そして、その声に原も怪訝な顔をする。

「康光のカトラス。持ってきてるでしょ?」
「うん…でも…。」

若宮は常時、カトラスを装備していた。接敵戦になったときの最後の砦だと言って。
そのカトラスは通常のカトラスと違い、大振りな上、切れ味も数段良い上等な代物だった。
それはかつて若宮がシルバーソードを叙勲した時、上官にもらったんだと自慢していた一品だった。
だから、普段の戦闘では必ず身に付けていたのだが、今日はあいにくウォードレスの関係上
装備できなかったのだ。


「…僕、特攻なんてするキャラじゃないし。」
「ゆ、勇美ちゃん…」
「だからね、守り刀。必ずかえってきて康光に返さなきゃ。」

そう言うと、新井木は笑った。田辺は一つうなずくと補給車にもどり、若宮のカトラスを持ってきた。
新井木はカトラスを受け取ると、その鞘に口づけをし、左足のポケットに装備した。

「右肩、煙幕手榴弾、確認。左肩、煙幕手榴弾、確認。右手、40o機関銃確認。
 右足、砲弾倉、確認。…左足、カトラス、確認!!」
「確認!!!」

新井木の装備を、田辺が復唱して確認する。すべての確認が終わった後、新井木は副司令である
原に敬礼をした。

「新井木、行ってまいります!」
「新井木戦士、ご武運を。」

原もこれ以上はない、美しい答礼を返した。そして、その原の答礼に反応するかのように、
その場にいた整備士全員が、声を合わせ、敬礼をする。

「新井木戦士、ご武運を!!!」

その声に新井木はちらりと振り返り、軽くピースサインを送った。そしてリテルゴルロケット
を点火し、軽やかに戦場へ舞い戻っていった。阿鼻叫喚の地獄へ向かって。

原は、地獄へ舞い戻る新井木を、答礼をしたまま見えなくなるまで見送った。
たいした装備品さえもたず、ただ、恋人のカトラスを守り刀だと抱きかかえていったスカウトを
見送った。そして、司令が…善行が全軍突撃の命令を出せば、彼女は恋人のカトラスを振りかざし
その身一つで幻獣に向かって特攻するのだろう。

戦場では人の命が一番安い。そして、戦争の駒としてすぐに替えがきく。
士魂号1体破損するよりかは、何人かのスカウトに特攻させて時間稼ぎをして退却させた方が
戦力的には損害が少ない。それが、スカウトという仕事の本質だった。


原は、迫り来る絶望を下唇をかんでやり過ごす。原は何があっても戦場を放棄することが許され
なかったからだ。それは、副司令…百翼長の階級章が示す義務であった。だから原は、整備斑の
なかで、人一倍大きな声を出す。部下が…みんなが絶望に流されないように。

「田辺さん!!泣いている暇があったら手を動かしなさい!!!」
「は、はい!!」
「森十翼長、備品状況、報告!!」
「はい!現状、救急用備品以外、めぼしい装備品の在庫はありません!」

森は、原に負けないよう、大きな声で状況を報告した。原が、大声でみんなを鼓舞しようとして
いることは明白だった。そして、そんな時は戦況が著しく厳しいことを…付き合いが長い森は
察していた。

「分かりました。それでは、5121小隊補給斑は撤収準備と負傷兵の救急活動に入ります。
 医療技能保有者、前へ!!!」

田辺は、涙と鼻水を急いで手でぬぐいながら、一歩前に出た。
そう、泣いている場合ではない。自分にも、まだ戦う場所があるはず…そう信じて、前に出た。







「…もうだめかも。」

緩やかに迫り来る死の恐怖。最後の一発を打ち切った新井木を嘲笑うかのように、新手の
ミノタウロスが具現化してきた。リテルゴルロケットの燃料も残り少ない。直撃を食らわないよう、
射程に入らないようにジグザグに逃げているが、次第に間合いを詰められている。
こうもだだっぴろい戦場では遮蔽物もなく、逃げるのに一苦労だった。


「康光…。」


左足に装備していた、カトラスを意識する。
そう、生きて帰れらなければ。若宮にカトラスを返せない。口づけの続きも出来ない。
もう、あの暖かい優しさに…新井木を受け入れてくれた若宮の体温を、感じることが出来ない。

だから…

新井木は生き残るために、必死で逃げた。そして、しばらくするとミノタウロスが追ってこない
ことに気がついた。どうやら、他の戦車かスカウト辺りがミノタウロスの射程に入ったらしい。
幻獣は集団で行動する程度の知能を持ち合わせてはいたが、身近にいる人間を真っ先に襲うことが
常だった。だから、追い詰めつつあった新井木を放置して、そっちに向かったのだろう。

そのチャンスを生かして、新井木は大至急、司令へ命令を確認するための無線をつなぐ。
司令からの無線は強制的に全兵士に送信され続けていたが、兵士から司令への通信は、戦場では
必要に応じて繋ぎ直す必要があった。残弾がない新井木であったが、司令からの撤退命令が
ない限り、戦場を放棄することは出来ない。戦闘が長引くにつれ、強制回線のほうもノイズが
ひどくなり、司令の撤退命令を聞き逃している可能性もあったのだった。


「ちっ!こんな時にかぎってぇ〜!!」

慌てる指先で、なんとか回線を繋ぐ努力をする。しかし、混線がひどく、なかなか回線は
繋がってくれなかった。そして不意に、新井木の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。


「…戦闘は出来るな。十分だ。」


「康光!?」


新井木は急いでスコープを取り出し、ミノタウロスが向かった方向を確認する。
スカウトが一機、幻獣の集団に特攻していく様が見えた。その、激しい火力。…あれは。


可憐・対戦車戦特別型Dタイプ。通称、ストライカーD。突撃仕様。
幻獣に突撃するために作られたウォードレス。
そして…それは若宮が今日、着用したウォードレスだった。





ベルセルクの効果が切れて、すでに1時間以上経過していた。
薬の副作用で、頭痛がひどい。そして筋肉の感覚は鈍くなる一方だった。
若宮はとりあえず、現在の戦況を確認するため、回線をオペレーターの東原へ繋いだ。


「おう、どうだ?状況は?」
「…うん。いっぱい、いっぱい、みんなきずついたのよ。」
「そうか…で、ゆ…あ、新井木は?」
「ゆうみちゃんは、だいじょうぶよ。もうたまはぜんぶつかっちゃった
 みたいだけど。……!?ああ!?」
「どうした!?東原!!」
「みおちゃんと、ゆうみちゃんのところに…いやぁ!!!」
「方向はどっちだ!東原!!!」
「…やすちゃんのほうからみて、みぎ。みぎのおくのほう。」


若宮はそこで東原の回線をいったん切り、スコープで目視確認する。手前で壬生屋がミノタウロス
と交戦しており、その奥で数体のミノタウロスがまさに具現化しようとしていた。
この位置からでは確認できなかったが、東原との会話でその先に新井木がいることは明白だった。
そして、新井木には残弾はなく、その位置は撤退ラインからはまだ程遠かった。


若宮は、正気に戻った頭で考える。
いや、考えなくても、答えは一つしかなかった。
今、若宮が新井木にしてやれること。それはたった一つしかなかった。



若宮は迷うことなく、ミノタウロスの群に突撃を開始した。
そう…新井木が撤退するまでの時間を稼ぐために、囮になったのだった。


「…俺は勇美のためこれからの命のすべてを尽くそう。
 あの時、そう、決めたんだ。」







「交戦してる!!!」

新井木は無線の回線を急いで若宮にあわせた。しかし、ノイズどころか、一向に回線に
入れる気配がない。新井木が若宮の回線を繋ぐことを諦めた瞬間、司令からの強制回線が
入ってきた。

「新井木戦士、即時現場を放棄し撤退しなさい。」
冷静な善行の声が聞こえる。

「で、でも!康光が交戦してる!!!」
「分かってます。今のあなたは、残弾もなく戦力になりません。至急撤退しなさい。」
「委員長、康光を…見捨てるの?」
「…。」






善行は、心の中で舌打ちをした。

善行とて本当はもっと早く、全軍撤退命令を出したかった。
しかし…準竜師の事前の指示により、5121小隊は今回の戦闘で殿を任されていた。
それは、戦術的というよりも政治的な匂いがする命令であった。

「言いたいことがあるのはお互い様だが、まず生き残ってからだな。幸運を祈る。」

潰したイモリのような顔をした芝村準竜師は、そう善行に笑いながら言ったのだった。
無論、善行に反論できる余地などなく。軍人にとって上官の命令に対して、「はい」以外の言葉は
存在し得なかった。

そして、殿がケツをまくって逃げる訳にはいかない。だから、最小限の犠牲で済む様、
善行は最大限の努力をして布陣を引いた。しかし、現実は甘くなくなかった。撃つべき弾もなく、
精根尽き果てようとその時、幻獣の増援が具現化した。


「…ミノタウロス5体具現化確認。14時方向、距離3600。」
「みおちゃんと、ゆうみちゃんのところに…いやぁ!!!」


東原が泣き叫ぶ。善行は、瞬時に自身の頭の中にある戦図を書き換え、どこを見切るか思案した。
すべてを助けることが出来ないならば、どれを残せば戦力的に消耗が少ないか。その答えを
出そうとした瞬間、来須が声を上げた。


「……!若宮が新手のミノタウロスに向かって突撃している。どうする、委員長?」

善行は、いつもの癖でずれた眼鏡をクイッと持ち上げる。

「…若宮戦士にまかせます。」
「分かった。」
「壬生屋十翼長と新井木戦士に撤退指示を出します。強制回線の出力を上げてください。」
「分かった。」
「新井木戦士、即時現場を放棄し撤退しなさい。」

冷静な善行の声が、新井木のレシーバーに響いた。






「康光を、見捨てるの?」

新井木は善行を問い詰める。しかし、善行からの答えはなく、再度新井木に即時撤退を求める
冷静な声が聞こえてきた。


…善行は、康光を見捨てるつもりだ。康光が…康光が…備品だからだ。


新井木はそう確信した。

ヘルメットに装着されていたレシーバーを力強く剥ぎ取り、粉砕する。
そして、役立たずになった40o機関銃をかなぐり捨て、若宮のカトラスを引き抜いた。

「…これだけ燃料があれば、康光のところまでいけるはず。」







「新井木戦士、即時現場を放棄し撤退しなさい。…新井木さん!!!」

善行は必死になって叫ぶ。早くしないと、若宮が…若宮が稼いでくれた時間が無駄になる。

「無駄だ。」
「…強制回線の出力を最大限に上げてください。」
「そうではなく、物理的な問題だ。レシーバーを破壊したようだ。」
「クソっ!!!」

善行は口汚く罵りたくなるのを我慢して、すぐに来須に指示を出した。新井木を罵る時間の余裕
など、微塵もなかった。

「東原さん、壬生屋十翼長に撤退指示を。来須戦士、新井木戦士に一番近い友軍機を
 算出してください。」
「はい!」
「…速水機が、新井木の後方、距離500だ。」
「分かりました。速水機、応答せよ。」


「…話はすべて聞いた。」

速水に代わり、善行からの無線に答えたのは芝村だった。余人と違い、芝村は強制回線以外の
通信回線もほぼすべてを網羅し受信していた。士魂号複座がミサイルを多用する機体であることも
あり、戦況に細心の注意を払っていたためだった。常人ではありえない行為だったが、それを
いとも簡単に行ってしまうことが、芝村の芝村たる所以だった。


「では、新井木戦士を確保の上、至急撤退してください。」
「うむ。」

芝村は、一言返事をすると、機体操縦に全神経を集中させている、速水に声をかける。

「厚志!行くぞ!!!」
「うん、分かってる!舞!!」

速水は芝村に命じられるまでもなく、軽やかに士魂号の方向を転換した。
必要最低限のステップで、それはまるで踊る人形のような様だった。速水は、芝村と同じ機体
にのっているため、「芝村のお陰で」撃墜数を稼いでいるぽややんと思われていた。
しかし、事実違った。芝村に釣り合う、能力と判断力、精神性。すべてを持ち合わせているから
こそ、同じ機体に乗って、士魂号を乗りこなせているのだ。速水は余人では考えられぬような
スピードと的確性で新井木との距離を詰めた。


「新井木戦士、目視確認。確保作業、入ります!」







「…戦闘は出来るな。十分だ。」


スキュラのレーザーが、若宮の右足を掠めた。ベルセルクの副作用のお陰で、ほとんど痛み
を感じない。若宮は、120o短砲身をぶっ放しながら、一歩一歩前に歩みを進める。
そして、一瞬空を見上げた。


「…空が青いということを、忘れていたな…」

最近の若宮は、ベルセルクを常用し、赤い靄に包まれながら戦闘をしていた。恐怖も、不安もなく。
その代わりに、愛しい女のことも…その抱いた感情も、鈍麻していった。


「そう、空が青くて…桜がキレイで…花びらが散って。」

若宮は、少し笑った。新井木の、白いうなじや、やわらかい髪を思い出した。


ミノタウロスの生体ミサイルが近くに着弾し、煽りを食らう。左腕に、激しい衝撃が走ったが
若宮にとっては既に、関心がないことだった。


「今なら私は信じれる、あなたの宿す未来が見える」


若宮は、小さく口ずさむ。120o短砲身の反動に身を躍らせながら。


「幾千万の私とあなたで、あの運命を打ち破ろう」


120o短砲身の反動に身を躍らせながらも、一歩ずつ、前へ、前へ。


「全軍抜刀、全軍突撃」


その双眸は真っ直ぐと前を向き、ミノタウロスに向かって歩みを進める。


「どこかのだれかの未来のために…いや、そうじゃない。」


そうじゃない。勇美。そうだ、お前の為に。そう俺は決めたんだ。


「お前の未来の為に。…ユ…ウ…ミ。」


その双眸は、もはや何も映してはいなかったのかもしれない。それでも尚、若宮は一歩、一歩、
前へ進んでいったのだった。そう、愛しい女の未来の為に。戦争を維持するための備品として生
産された男は、その役目を放棄し、ただひたすらにその女の為に歩みを進めた。
幾千の痛みと苦しみをその肉体に受け、それでもただひたすら、その命のある限り。








新井木がリテルゴルロケットに点火し、その激しい推進力を得ようとした瞬間、黒い影が覆い
被さった。新井木が飛び立つよりも一瞬早く、速水の操る士魂号の手がその行く手を阻んだのだった。

「うがぁぁぁあ!!!」

新井木は、ロケットの推進力と士魂号の手に板ばさみになり、激しく押しつぶされる。
しかし、残り僅かだった燃料はすぐに切れ、新井木はロケットの圧力から開放された。
その瞬間を見計らって、速水はもう片方の手で、ゆっくりと新井木を包み込んだ。

激しい圧力で一瞬気を失った新井木であったが、すぐに体勢を立て直し、なんとか士魂号の
手のひらから逃れようと、その指と指の間をこじ開けた。そしてほんの僅かに開いた隙間から、
見えたものは…



一筋の、爆煙。



幻獣は、幻のように現れて、幻のように消えると言う。
だから、あの爆煙は…。



「康光? 康光! 康光ー!! やだぁー!!」




新井木の絶叫が、暮れなずむ戦場に木霊した。







速水が操縦する士魂号は、脱力した新井木を優しく包み込んだまま、無事撤退ラインまで
退くことが出来た。念には念を入れ、周囲の安全を確認した後、ゆっくりと掌を開き、
新井木を地面に下ろした。地面でへたり込む新井木を確認した芝村は、至急降車し、新井木の下へ
駆け寄った。

地面にへたり込んでいた新井木は、芝村の気配を感ずると不意に顔をあげ、芝村が新井木に向かって
言葉を発するよりも早く、芝村へ質問した。


「委員長…康光に、撤退指示出してた?」
「…いや。」

思わず、新井木の問いに返事をしてしまった芝村だったが、それが迂闊な返答であったことが、
瞬時に分かった。芝村の返答を聞いた新井木の目に、冥い影が落ちたのだった。
そして、新井木は急に立ち上がると、時同じくして撤退ラインまで退いた指揮車へ向かって猛然と
ダッシュした。そして、指揮車から降りてきた善行と対面する。


「委員長!!!」

善行は新井木を一瞥し、いつもの癖でずれた眼鏡をクイッと持ち上げる。

「なんで、康光に撤退指示を出さなかった!!!
 康光が、康光が…備…」


新井木がすべてを言い切る前に、その頬に善行の平手が飛んだ。パンッと乾いた音と共に、新井木が
吹っ飛ぶ。尻餅をついた新井木を見下げて、善行は一言静かに言った。

「貴様、それでも軍人か。」

そして、新井木が激情のまま声を上げようとするより早く、善行は言葉を繋げた。

「貴様の私心で、どれだけ周りが危険を被ったと思う?あまつさえ、若宮戦士が
 身を呈して稼いでくれた時間を無駄にするところだった。」


善行は、真っ直ぐに新井木の目を見た。新井木は何も言えず、下を向いた。よく見ると肩が
細かく震えている。潮時だと感じた善行は、一呼吸し、大声で新井木に宣告した。


「新井木戦士、戦場での命令違反は必罰に値します。委員長権限をもって、即時謹慎を
 申し付けます。今すぐこの場から消えなさい。」

一気にそう言いきると、善行は芝村の方を向いた。一瞬合わさる視線。


「…皆まで言うな。」

芝村はその視線に一言で答え、新井木の腕を抱えて立ち上がらせた。そして、足元のおぼつかない
新井木を速水と共に抱え、小隊女子寮まで送って行ったのだった。




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