メッセージ





4月14日 午前 尚敬高校廊下


その日、新井木は3日ぶりに登校した。

本来であれば最低10日間程度は自宅謹慎を申し付けられるはずであったが、昨今の厳しい戦況が
そんな余裕を許さなかった。善行からの謹慎解除メールを受け取った新井木は、一瞬学校へ行くことを
躊躇った。しかし、これ以上を訓練をせず家に引きこもれば、今後の新井木の生存率を著しく低下
させるであろうことは明白だった。それゆえ、新井木は覚悟を決めて、学校に登校することにした。
そう、学校に登校すれば…嫌がおうにもその事実を認識しなければならなかった。





一組教室に、若宮がいないことを。






「笑って、笑って、スマイル〜♪」

新井木は無理やりいんちきくさい鼻歌を歌いながら、廊下をぬけ、教室へ向かっていた。
誰も、話し掛けてはこない。それでも、いんちきくさい鼻歌を歌いながら、新井木は歩く。
そんなとき…一番聞きたくなかった声が、新井木にかけられた。善行である。



善行は小声で「ちょっと小隊長室へ来てくれませんか?」といったきり、一度も新井木のほうを
見ずに歩き始めた。上官の命令に逆らうことは出来ず、仕方なく新井木は後について行った。
善行は小隊長室へ入室すると、自席へ座り、手を組み、新井木がその前に立つのを待った。
新井木が厳しい視線を浴びせながら、善行の目の前に立つと、小隊長机の唯一施錠ができる
引き出しから一通の手紙と勲章を取り出した。



「これを、受け取っていただきたいのです。」
それは、若宮の遺書とウーンズライオンだった。




傷ついた獅子章、通称ウーンズライオンは死後の名誉勲章である。通常この勲章を受章すると
1階級特進、残された家族には相応の軍人遺族年金が支払われる。
お国のため、銃後の家族のために戦え。心残りが無い様に、その後のことは軍が面倒をみる、と。


「だから、本来は若宮が叙勲されるような勲章ではないのですがね。
 まぁ、所謂芝村的温情というやつですよ。」

そういうと、善行はいつもの癖で眼鏡を押し上げた。色の入ったそのレンズの先にある、
瞳の表情はまったく読めない。


「…。あなたもご存知の通り、若宮は備品ですからね。勲章を与えたところで、
 受け取る家族もいないですし。無駄ですから。無駄は軍の一番嫌うところで…」


善行の話には続きがあるようだったが、新井木の鉄拳がそれを遮った。
そして新井木はありとあらゆる憎悪をかき集めたような侮蔑の視線を善行へ送ったが、
それは一瞬で、次の瞬間、遺書と勲章を握り締めると小隊長室から走り去っていった。


その後姿をなすすべも無く、見送る善行。
新井木に殴られたばかりの頬をさすり、血の入り混じった唾を吐き出した。

「…まったく。上官を殴るなんて。
 若宮もそこのところきちんと教えておいてくれればよかったのに。」
「本当に、これでよいのか?委員長。」

善行が振り向いた先には、眉根をひそめ、愁い深い視線を送る芝村がいた。




芝村はこの3日間、毎朝登校すると必ずテレパスセルを利用していた。
新井木の登校を確認するためである。
若宮を失った新井木に何をしてやれるのか。何度考えても答えは浮かばなかったが、
登校次第すぐに会えるよう、テレパスセルとテレポートセルを常備していた。
そして今日、新井木の登校を確認し早速テレポートしてきたものの、あいにく一足違い
だったというわけだ。しかし、善行とのやり取りはテレポート中の意識の中ですべて聞いて
しまっていた。


「もう一度聞く、本当にこれでよいのか?」


しばしの沈黙。


「…ええ。憎悪にしろ何にしろ、彼女が早く立ち直れるのであれば。
 私はどんな方法でもかまいません。」
「人を恨んで立ち直るなど…わらわには間違っているように思われるが。」
「…そうかも知れませんね。…それでも、私にはそれぐらいしかしてやれませんから。
 …と…の…守るには。しかし、あなたなら…。
 もっと正しい方法で立ち直らせることができるのかもしれませんね。」


そういって善行は力なく笑い、新井木に渡しそびれたものを芝村へ託すことにした。


「これは…。」
「ええ、あなたから渡してやってください。それが一番いいと思います。」
そういうと、善行は小さな包みを手渡した。





小隊長室から逃げ出すように走り去った新井木であったが、さりとて教室に向かうこともできず、
もときた道を…尚敬高校廊下をとぼとぼと歩いていた。右手に遺書・左手に勲章をきつく握り締めて。



「…備品…」

新井木は小さく呟く。善行は備品…モノ…なのだから、気にするなといいたかったのか。
幻獣を殺しては吐き、泣く新井木の背中をさすった男が、あの暖かい手が、モノだというのか。



モノだから、
モノだから、
モノだから…。

モノだから、特攻させられたのか。



そう考えれば考えるほど、怒りと悲しみが、鉛の様に重い心のそこから、満ち溢れる。
新井木は周りのものすべてを憎悪し、号泣した。そして、その涙が枯れ果てた後、握り締めていた
遺書…若宮が最期に残した言葉を読むことにした。




配給品のノートを切り取ったらしい質の悪い紙を一枚開くと、中に大きく「新井木勇美殿」
と書かれた、新井木宛の遺書が入っていた。新井木はその伸びやかにかかれた自分の名前を読み
ながら、そういえば図上演習以外には勉強はおろか、字を書いている姿もほとんど見たことが
なかったことを思い出した。それだけ、若宮は新井木の訓練とスカウトの技術向上のために
自分の時間を裂いていたのだった。新井木はひとつ深呼吸をして、心を落ち着かせる。
それでも、こころなし震えてしまう指先を抑えることはできなかった。新井木はおぼつかない
指先でゆっくりと遺書を開き、中身を読み始めた。



Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow,
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain,
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there, I did not die.



「………え、英語ぉ!?」

若宮の遺書はなんと英語で書かれていた。



「あ、あのバカぁ〜っ!!!!僕の学力じゃ読めないじゃん!!!!」


新井木が若宮の勉強する姿を見たことがないのと同様に、若宮も新井木が勉強する姿なんて見たこと
ないはずだ。二人して授業をさぼって訓練をしていたのだから。実際、新井木はスカウトになってから
英語Tおよびリーダーの授業に1回も出たことがない。そんな新井木の学力なんて若宮でも察しが
つくだろうに。しかし、それでも若宮の最期の言葉は英語で書かれていたのだった。


「…はぁ。とりあえず図書館へ行ってみようかなぁ。僕の学力じゃぁ解読するのに
 何ヶ月かかるか…ってゆーか生きてるうちに読めるのかなぁ…」

途方にくれつつも、覚悟を決めて図書館へ行くため歩き出した、その目の前に、芝村が立っていた。



「新井木…」

芝村は、名を読んだあと、黙ってしまった。
やはりいくら考えても新井木にかける言葉が見つからなかったからだ。しかし、芝村には善行より
託されたものがある。そう決心して口を開きかけた瞬間、新井木の方から話し掛けてきた。

「あーマイマイちょうど良かった〜!」

まるで、いつもの昼食時のようにニコニコと話し掛けてくる新井木。しかし、その瞳はいかなる表情も
映していなかった。怒り、悲しみ、憎しみが満ち溢れ、新井木のほかのすべての感情を殺してしまった
ような、無彩色の硝子玉。そんな新井木の目を、芝村はまっすぐ見つめることができなかった。
そんな芝村の気持ちを知ってか知らずか、さらに陽気に新井木は話し続けてくる。


「えーっとさ!この遺書英語で書かれててさぁ!
 僕のために、マイマイに読んで訳してほしいんだよね〜」
そう言って新井木はビラビラと若宮の遺書を振った。

「ってゆうかさー僕の学力でこんなの読めないしぃーあいつもバカだよね!
 残した相手が読めない遺書書いてどうすんだっつーの!!アハハハ!!!」
そういって新井木は大笑いをして見せた。

「しかし、それは若宮がそなたのために残した遺書であろう…
 部外者のわらわが読むのはどうかと思うぞ…」
芝村がやっとのことで答えると、新井木は小さく首を振り、答えた。

「僕の学力じゃ、生きているうちに読みきれるか、わかんないから。」

芝村は新井木の目をまっすぐに見つめた。今、自分が新井木にしてやれることは…。
新井木のために、遺書を読んでやらねばならない。芝村は決心した。


「わかった。まかせるがいい。」
芝村は遺書を受け取ると、一読した。そして、俯いた。


「あー!わかった!!あいつバカだから、スペルとか間違えてたんでしょ〜!!」
新井木は相変わらず、陽気なフリをして見せた。しかし、芝村は大きく首を振った。

「いや、間違えてなどおらぬ。
 これから、若宮の最期の言葉を伝える。だからそなたも無理に笑うことなどやめて、
 まっすぐに若宮の言葉を聞いてやってほしい。よいか?」
その言葉にはじかれるように、新井木は笑うのをやめ、まっすぐに芝村を見つめる。

「では、読むぞ。」




『 私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風に
  千の風になって
  あの大きな空を
  吹きわたっています

  秋には光になって 畑にふりそそぐ
  冬はダイヤのように きらめく雪になる
  朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  夜は星になって あなたを見守る

  私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 死んでなんかいません  』





「千の風に…千の風になって…あの大きな空を吹きわたっています…。」

新井木の瞳から、一筋の涙がこぼれた。



憎悪で枯れ果てた、その瞳から、一筋、また一筋と、止めどもなく涙がこぼれた。
備品と呼ばれた男は、愛おしい女のために死に、遺書を残した。
若宮は新井木のことを愛していた。死んでもなお、愛していた。ただ、それだけだった。




「…墓の前で泣こうにも、墓どころか遺骨も無いのにね。」

新井木は小さく呟いた。
そして、ただひたすらに涙を流しながら、死んでいった男のことを考えている風だった。

「…。それでだな、新井木。お前に手渡したいものがあるのだ。」
そういうと、芝村は善行から託された紫色の小さな包みを手渡した。






4月12日 小隊長室





新井木が登校する二日前…つまり、阿蘇特別戦区での敗戦の翌日早朝、芝村は小隊長室へ
呼び出されていた。来須も一緒である。


呼び出した張本人、善行はまず来須へ明日付けでスカウトへの異動を言い渡した。
本日付けでないことに不審を覚える来須であったが、その後の指示を聞き、無言で了承した。
「本日は一日、芝村さんと来須君には特別な指示をだします。」
そう切り出した善行の指示とは、友軍の遺体回収と銘うった、若宮の遺体探索だった。


今まで善行は小隊の士気を考え、若宮が年齢固定型の戦闘用クローン…つまり、備品であることを
隊員には説明していなかった。しかし、芝村の様に特殊な情報網を持っているものや、
戦争にある程度従事しているものであったらそれは周知の事実だった。
そして、壊れた備品を回収するような暇は、軍隊は持ち合わせていない。


「しかし小隊から遺体回収斑を出さないわけにはいきませんでしてね。士気にかかわりますし。
 上には友軍の遺体回収、小隊には若宮の、と。くだらない嘘をつかねばならんのです。」
そう言うと、善行は眼鏡を押し上げようとした。しかし、その瞬間、

「…言い訳は、いい。」

普段無口な来須が、一言だけいいはなった。そして芝村もその通りだと思った。

なぜなら善行が昨夜若宮の戦死を確認した直後から、準竜師へ何度も陳情をかけていることを
芝村の電子妖精たちがつかんでいたからだ。さしずめ、若宮への傷付いた獅子賞叙勲を陳情している
のだろう。それは明らかに非常識な陳情であったし、実現する可能性はほとんどないであることは
明白だった。だが、それでも善行は陳情をした。せずにはいられなかったのだ。しかしそんな気持ちを
おくびにも出さず、部下へやさしい嘘をつく。善行忠孝はそういう男だった。


「…分かりました。それでは0900時に作戦開始、幻獣発生その他緊急事態時、若しくは1600時までに
 遺体発見が出来なかった場合には作戦中止。速やかに帰還してください。あくまでも、
 あなた方の安全が最優先ですから。」
善行は一気に言い切ったあと、一呼吸してからもう一言付け加えた。

「よろしくお願いします。」

そう言って善行は深々と頭を下げた。


東西19キロ、南北24キロに及ぶ外輪山に並ぶ中岳・高岳・根子岳・杵島岳・烏帽子岳の
五岳を総称して阿蘇山という。そして阿蘇地区のなかで、特に幻獣発生率が高いことから、
阿蘇山は阿蘇特別戦区と呼ばれていた。
昨日の戦闘はその阿蘇特別戦区の中でも、杵島岳火口付近、草千里と呼ばれる草原で行われた。
阿蘇特別戦区のご多分にもれず、一面平原が続く戦場で非常に人的損害が発生しやすい場所であった。
事実、若宮はこの地で命を落とした。

今は戦闘直後で一面の焼け野原だが、もう1、2週間もしたら緑の草原に生まれ変わるだろう。
幻獣が勝利し、人間が撤退した土地は緑の回復が早かった。そして、大規模な戦闘が行われた
土地には2、3日幻獣が発生しない。それゆえに、遺体回収作業が出来るのだ。
しかし、昨日の戦闘はあまりにも激しすぎて、遺体どころかウォードレスの破片さえ見つけることが
困難だった。同行していた友軍兵士たちは、現場を確認するなり遺体回収をあきらめ、戦車の残骸の
一部や、その場に落ちていた石ころなどを適当に集めた。そして、ものの1時間ほどで帰還して
しまったのだった。

あっという間に帰り支度をはじめる友軍兵士たちを、来須は無言で見つめていた。
たしかに薄情だなと、芝村でさえ思う。しかし、それが戦争だった。
失ったものを探すより、訓練でもして明日に備えた方がいい。
いつ自分も同じように回収される方になるかわからないのだから。

しかし、芝村は若宮を失った新井木を…部下に頭を下げた善行を思うと安易に帰還しようとは
思えなかった。来須も同じ気持ちなのであろう、友軍兵士たちから視線をはずし、
昨日若宮が突撃したあたりに照準をさだめ、遺体を探し始めていた。





それから、どれぐらいの時間がたったのだろうか。

ふと、空を見上げるとすでに西の空が赤らみはじめている。芝村は慌てて多目的結晶で時刻を確認
すると、作戦中止時刻の1600時をわずかに過ぎたころだった。


「…。」
来須が疲労の色を隠せない表情で芝村の方を見つめていた。

「もう少し…」
と芝村が言いかけた言葉を遮るように、来須は一言呟いた。

「俺の時計はまだ1600時前だ。」
そういうと来須は探索を再開した。



芝村は心の中で来須への礼を述べ、南西の方角を見た。ちょうど尚敬高校がある方角だった。
若宮を小隊へつれて帰る。そうわらわが決めたのだから。挫けそうになる心に鞭をいれて、
芝村も探索を再開させようとしたそのとき、一陣の風がふいた。
そしてその風は、かすかにではあるが芝村に聞き覚えのある歌を届けた。



「!!!!」
芝村がその歌が聞こえた方向をスコープで確認すると、小さく光るものが見えた。





それはメッセージカードプログラムといわれる、メール機能にちょっとした音声と画像をつける
簡単なプログラムの一種だった。情報関連の授業を受ければ小学生でも作れる代物だ。
そのプログラムの作成を新井木から頼まれたのは3月も末のころだ。



「えへへ〜4/1がね、康光の誕生日なんだ!!だから、プレゼント代わりにね、
 ちょっとねーえへへ。ほら、僕おバカちゃんだからさ!!」


頬を染め、気恥ずかしげに言う新井木をみて「自分で作った方が良いのでは?」と一瞬思った芝村
であったが、自分で作れるぐらいならわらわに頼みはしないだろうなと判断し、その依頼を快諾した。
たしかに、多目的結晶ネットワーク上に乗せて送ればなんてことないプログラムだったが、
ネットワークを介さない独立プログラムを作るには少しコツがいる。
そして新井木は、若宮にカードを送ったことが他の皆にばれない様、独立プログラムを
作成したかったのだ。それで恥をしのんで芝村に依頼してきたという訳だ。



芝村は口の端を少しだけ上げて、微笑む。

かつて芝村は新井木のことが嫌いだった。
新井木が何事にも努力しない人間だったからだ。わざわざ芝村に悪い噂がたっている事を
教えてくれたり、人として優しいことは察することが出来た。しかし、常に後ろ向きな姿勢を見せる
新井木の生き方が嫌いだった。だが、新井木はスカウトになって明らかに変わった。
一心に体を鍛え、スカウトとしての実力がついてくるにしたがって、一枚一枚後ろ向きな皮が
むけていくようだった。それは自暴自棄の快楽主義で濁った湖が、少しずつ澄んでいく様にも見えた。
芝村は新井木の変化は、新井木を一人前のスカウトに育て、そして今、新井木のカダヤになった
若宮の功績が大きいと判断していた。


芝村としては前向きに生きていこうとする人間が増えるのはとてもうれしい事だった。
その新井木が若宮にメッセージカードを送りたいと希望しているのだ。かなえてやらない訳には
いかないだろう。だから、新井木の依頼を快諾した。




整備員詰め所のPCとカラオケセットを使って、プログラムを作成する。
新井木は誕生日を祝う歌を歌い、そして愛おしい男へメッセージを伝えた。
はっきりってそういう男女の綾に疎い芝村でさえ、赤面してしまうような、所謂ラブラブな
メッセージだった。そして、以前小隊全員で善行にとってもらった写真から、新井木の画像部分
のみ切り取り、スキャニングした。小一時間ほどですべてのパーツを組み立て、ゲル状の小さな
プログラムが完成した。ためしに芝村の多目的結晶で作動確認をしてみる。


「Happy birthday to you Happy birthday to you Happy birthday dear Yasumitsu ...」

「うむ、良い出来だ。これで問題なかろう?」
「ええええええええ〜〜ななな、なんかさ、コレ改めて聞いてみると超ハズくない?」
新井木は茹で蛸のように顔を赤らめた。

「そなたの希望通りに作ったのだぞ。しかたあるまい。」
「うん、いやーまぁ、そーなんだけどさ!!そうだ、コレさ1回限りのやつにしてよ。
 このメールは自動的に消去されますとか、なんとかしてさ!!」
結局芝村は、4/1の授業終了後、1回限定再生のプログラムとして新井木へ手渡した。





4月1日夜。芝村は士魂号のマッチングを終え、味のれんにでも寄って夜食でも食してから
帰るかと思いながら、廊下を歩いていた。すると、後ろからものすごい足音が聞こえる。
ただならぬ気配を感じ振り返ってみると、真っ赤な巨牛…ではなく、顔を茹で蛸のように赤く染めた
若宮が、芝村の方へ向かって突進してくるところだった。


「探したぞ!芝村!!!」


そういう若宮の息は荒い。そうして、左手…多目的結晶の埋め込まれている方の手を必死に右手で
覆い隠しているようだった。若宮は一息つくとおもむろに、ある依頼をした。


「これを、どうにかしてもらえんか?」


右手の覆いをおもむろにはずすと、そこには芝村が作ってやったメッセージプログラムが今にも
その役目を終え、自動消去するところだった。たしか、授業終了後に作動するはずだ。ということは、
この男はこのプログラムを消さないために、左手を隠して何時間も芝村を探し走り回っていたのか?
その若宮の様を思うと、自然と笑みがこぼれてしまう芝村だった。
名うてのスカウトとして、幻獣どもを体ひとつで粉砕する。そんな若宮がこんなに顔を赤らめて
校内を走っていたかと思うと…笑わないでいるほうが無理な話だ。


「いや、笑っている場合ではなく!!どうにかならんか?」


悲しげにそう聞く若宮をみて、芝村は新井木との約束を破る決心をした。


「芝村に、不可能は無い。」





以前作動確認をした際とってあったバックアップデータを抜き出し、若宮のプログラムに上書きする。
ほんの5分ほどで作業は終了し、プログラムはまた最初からメッセージを紡ぎ出した。

「Happy birthday to you Happy birthday to you Happy birthday dear Yasumitsu ...」



「おお!!」


そう一言いったきり、若宮はメッセージカードを一心に見つめた。そして、何度も繰り返し
繰り返し見ては無邪気な笑顔を浮かべていた。芝村も、その若宮の表情を見てこれまでにはない、
何か暖かい気持ちになった。この気持ちが一日も長く続くよう、最大限の努力をしようと、
そう心に誓った。




あの時、そう誓ったのだが…。




「来須!!」

芝村は叫んだ。ただならぬ声に来須も全力で走ってくる。
芝村がスコープで確認した地点へ二人で到着すると、その小さな光の正体がはっきりと分かった。

「Ha...pp..y bi....rth..day t...o yo..u. Ha...pp......y bir.........thday.... to yo.u H.
....app...y b...irt....hd....ay.. d..ar .Ya..s.um.itsu ...」

「…新井木の声か。」
「その通りだ。わらわが新井木と…若宮のために作ってやったメッセージカードだ。」



若宮の多目的結晶が、途切れ途切れながらもメッセージカードを再生していた。
本来多目的結晶は持ち主が死亡した段階でネットワークから切断され、その機能を失う。
たしかに時刻機能など簡単な機能ならば死後も作動しなくもないが、それには相応のエネルギーを
必要とした。多目的結晶は生体に発生する微妙な電気で動いているからだ。それゆえに死亡すれば、
何時間かで作動は停止する。それも、死体がまるまるキレイな状態で残っていればの話だ。



今、芝村と来須の目の前にいる若宮は…左肘から下、そう左手だけだった。



その左手さえも、手のひらの丁度多目的結晶のあたりをのぞいては炭化し、潰れていた。
ここは若宮が突撃した地点からは随分離れた場所だった。スキュラに焼き斬られ、ミノタウルスに
踏みにじられ、蹴飛ばされたのかもしれない。


「…帰りたかったんだな。」


その若宮の様子をみて来須はつぶやく。
芝村も声にはださなかったが、同意した。確かに、この場所は若宮が突撃した地点に比べて
尚敬高校へ近い。そして最激戦地点よりわずかにずれていたため、左手のみといえども遺体を
発見することができたのだった。


そして、新井木のメッセージ。


メッセージカードプログラムが作動していなかったら、若宮を発見することは不可能だった。
たまたま多目的結晶が無傷だったこと。独立プログラムだったこと。簡易なプログラムだったから、
少ない動力で作動できたこと。そして、上書きして消したはずの時間指定再生が働いたこと…
わずかな事象の積み重ねでこの奇跡が起こったのだ。



そうまでして…




若宮は帰りたかったのだろう。愛おしい、新井木の下へ。





「作戦終了だ。帰還する。」
芝村は勤めて冷静な口調で言った。若宮を抱きしめて。

「…ああ。」
来須もそういったきり、もう何もしゃべらなかった。






そして、芝村は数時間後尚敬高校へ帰還し、善行に詳細を報告した。

善行は詳細を聞くと、「ありがとうございました。」と一言礼をいい、回収した遺体を秘密裏に
荼毘に付した。おおっぴらに火葬する事も出来ない、自分の立場を呪いながら。



あっという間に、若宮は骨となった。
左手のみだった上に、損傷が激しく、奇跡的に無事だった左手の平あたりの骨しか残らなかった。
善行はその骨をひとつひとつ丁寧に拾い上げたが、あまりの少なさに骨壷に入れることが
ためらわれた。かつて強靭な肉体を誇った、優秀な下士官だった若宮は、もはやこんなにも小さい。

善行はふと、大陸で戦ったとき、どこかの村で老婆にもらった白磁の茶碗のことを思い出した。
なかなか美しい肌をした茶碗で、ついもったいなく思い、使う機会が無かった。

「そうだ、あれに入れましょう。
 …それぐらいのことなら…私にも許されるだろうから。」
そう呟くと、善行はその茶碗の中に若宮の骨をいれ、紫色の袱紗で包んだ。




「今、そなたの掌の中にある包みがそれだ。」

新井木は、その包みを見つめる。
こんなにも、こんなにも小さくなって自分のところに帰ってきた若宮。


「善行を…善行を許してやってほしい。
 善行は善行なりに、最大限の努力をした結果なのだ。若宮を失ったという痛手は大きい。
 だが、その結果われわれが生き残っているのも事実なのだから。
 憎むな、とは言わない。だが、それでも許してやってほしいのだ。」


芝村はまっすぐに新井木の目を見つめる。そして新井木も芝村の目を見つめ返す。
やがて新井木は視線を外し、小さな声で芝村へ同意の意を示した。
新井木の目には先ほどとは違う、何か新しい光がともったような気がした。
そう、芝村は信じたかった。



文中挿入詩「千の風になって」原文英詩作者不明 日本語訳新井満 2003・講談社




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