右も左もわからない異界に飛ばされて、私は一つ気が付いたことがある。

私は、案外環境適応性が高いのだ。

今も毎日主食が干し芋だけど、ぜんぜん平気。
枕どころか、屋根もないところで寝てたりするけど、それも割と大丈夫。


まぁ、同行者の文若さんはそうでもないみたいだけど。



『理屈と偏屈』



ぽくりぽくりと、ゆったりとした足運びの蹄の音が、街道に響く。

身を寄せ合って馬で道を往く男女二人連れは、傍目からみれば微笑ましく
見えたことだろう。だがしかし、実際の馬上の二人は、交わす言葉もなく
押し黙ったまま旅を続けていた。


それでも旅の最初のうちは、


「こんな惨めな旅は初めだ」
「廃屋に寝泊りし、口にするのは干した芋ばかり」
「挙句は川で水浴びか」
「お前の話は筋が通っていない」
「何故、お前は使った道具を元の場所に戻さない」


とまぁ、男の方…文若が各種愚痴とお小言をローテーションで繰り返え
したりして多少の会話もあったのだが、最近はそんな小言さえ鳴りを
潜めていた。今は、ただただ重い沈黙が、馬上の二人を支配している。

確かに、今までもお小言ローテーションが終わると、大抵文若は何か考えて
込んで無口になるが常だったが、このところは、それは少々雰囲気が違っていた。
無言に付け加えて、時折深い眉間の皺を指で押さえては、わずかばかりに
頭を振るしぐさを見せるのだ。


そんな文若の様子に、花は一つ思い当たることがあった。このところ、
野宿が続き、枕が替わるとよく眠れない性質の文若にとっては少々辛い状況
が続いていたのだ。

もしかしたら、睡眠不足による頭痛が酷いのかもしれない。花も期末テスト
前に二日連続で徹夜した後などには、頭がよく痛くなったものだ。重く、
万力で締め上げられるような鈍い痛みで、耐えられないものではないが、
それなりに辛い。まぁ、そんな痛みは、テスト明けの自主勉強期間に
爆睡すれば一日で直ってしまうようなものだったのだけれども。

だがしかし、ここは異界で。尚且つ、文若にとっても十年近く前の世界だ。
心理的にかかる負担は大きいし、治安の悪い道すがら、花のような非力な
娘を連れて旅をするのだ。文若にとってさらに負担感が増すのは、想像に
難くない。

よく寝れない上にストレスたっぷりとなれば、そりゃ文若の頭だって痛くもなる
事だろう。しかし、文若はその点において、花に小言や苦言をもらしたことは
一度もなかった。


「……そういうの、相談しても無駄だと思われてるのかな。何か、
 私でもしてあげられること、あるかもしれないのに」


そう思うと、花の心の中に、ふつふつと寂しさが湧き上がる。何かしてあげたい
と願っているのに、何も求められていない存在であることが少し悲しかった。
それでも、花は文若のために何かできることはないのだろうかと、一生懸命に
考える。すると、一つの妙案が花の頭の中に浮かんだ。


「文若さん、文若さん!!」
「……どうした、花。この距離感で、そんなに大きな声で名前を呼ばなく
 てもいい。十分に聞こえている」
「あ、すみません。ちょっといい考えが……じゃなくて、休憩取りたいです!」
「休憩か?もう少し進んでおかなくては、今日中に街につけるかどうか、
 わからんぞ」
「そ、そうなんですけど……でも、ほら、馬も休みたいって言ってますし」


花が適当に言の葉を接ぐと、馬がタイミングよくぶるると嘶いた。
あまりの間合いの良さに、文若はただでさえ細い目を、一層細めて
花を見つめる。


「……お前は馬の言葉も解せるのか?」
「はい」
「…………。分かった、次の水場で馬を休ませるとしよう。そこで我々も
 休憩を取る」
「ありがとうございます!!」



二人が暫く街道を進むと、小川に差し掛かった。花が後ろから、もうここで
いいですよーねーー休憩ですよねーと騒ぐので、文若は仕方なしに
少しばかり街道から外れた小道に入る。そして、馬を下りると、文若は
適当な場所に馬をつないだ。そして、先に馬を下りて木陰で休憩を取って
いる花の下へ向かった……のだが。


「……お前は、そんなに背筋を伸ばして正座をして、体が休まるのか?」


花の姿を見た文若は、思わず花に問いかけていた。それほどまでに、
花の様子が、休憩というには異なる雰囲気をかもし出していたのだ。


「え、多分、あんまり休まらないと思いますけど。というよりも、休憩を
 するのは文若さんですから。というわけで、こちらをどうぞ」


そう言うと、花は満面の笑みでぽんぽんと自分の膝の上を叩いた。どうやら、
文若に花の膝の上を……膝枕を勧めているようだ。


「……全く以って、理解できん」


花の返答を聞いた文若は、肩をすくめて盛大なため息をついた。そして、
眉間に深く刻まれた皺を抑えて、頭をわずかに振るしぐさを見せる。
文若のしぐさに気が付いた花は、少し心が苦しくなる。文若は、
よほど頭が痛いのだろう……そう思った花は、急いで文若に先ほど
浮かんだ妙案を説明した。


「文若さん、前に枕が変わると眠れないって言ってたじゃないですか。
 でもこのところ枕が変わるどころか、枕ないところばかりだったし。
 せめて、膝枕でもあれば、少しは眠れて具合よくなるかなぁって。
 文若さん、最近いつも頭が痛そうなしぐさをしていたから」
「……まぁ、頭痛が酷いのは確かだな。だが、それが何故お前の
 膝枕に結びつく?その経緯が全く以って理解できない」
「うーーん、前に肩を貸したことがあるから、かな?」
「……何を言っている?」
「あれ、文若さん覚えていないんですか?戦の前の宴会の時……
 文若さん、途中で寝ちゃったじゃないですか。あの時ですけど」
「……」
「やっぱり、頭を支えるものがあったほうがいいと思うんですよ。
 でもずっと、肩を貸すのは重いから、膝の方がいいかなって」
「……わかった。お前が膝枕をすると言い出した理由は理解できた。
 だがしかし、私の頭痛がお前の膝枕でよくなるとは到底思えない。
 それに……そういうことは、本来は自分の情人にしてやるものだろう。
 しかも、お前のその膝では」
「……私の膝では不服って事ですか?」
「不服か、そうでないかと問うのであれば、不服だ」


完全に花を拒絶する文若の言葉に、花は両手を膝の上に置いたまま、
うつむいた。一生懸命考えたことだっただけに、微塵も受け入れて
もらえないのかと思うと、悲しくて涙がこぼれそうだった。しかし、
こんなことで泣いたら、文若におかしく思われる……そう思われたく
ない一心で、花が唇を噛んで涙をこらえていると、文若が消え入りそう
なほどの小声でポツリとつぶやいた。


「ただ、確かに頭を支えるものがあったほうがいいのは、道理だ」
「え……」


文若の言葉に、思わず花は顔を上げた。すると、しかめっ面の文若が
真っ直ぐに、自分を見つめていた。花と目が合うと、文若は僅かばかり
視線をずらし、言葉を続ける。


「お前の膝枕で私の頭痛がどうにかなるとは到底思えんが、
 試してみたわけではないから、効果が無いとは断言はできん。
 効果がなければ……二度とそのような申し出をしないと約束
 できるのならば、少しぐらいならお前の膝を借りてやってもいい」
「文若さん!ありがとうございます!」
「……何故そんなことでお前が礼を言う。全く以って理解し難い娘だな、
 お前は。まぁ、もういい。早く膝を貸せ」
「はい!!ここ、どうぞ!」


再度満面の笑みで自分の膝を差し出す花の様子に、文若は大きくため息を
付きながら、貸し与えられた膝に頭を乗せたのだった。



それから、暫くして。



「……全く眠れんな。気も休まらん。しかも、花、何故お前が先に寝る」


文若は、花の膝の上で目を瞑ったまま独りごちた。文若の頭上からは、
花が転寝をしている気配が伝わってくる。慣れない長旅に疲れもたまって
いたのだろう。転寝をしてしまう理由はよくわかるが、膝の上に男の頭を
乗せたまま、無防備になれる理由は、文若には全く理解ができなかった。

全く理解できないと言えば、膝枕を断った時の花の態度もそうだ。
高々その程度のことで、何故花はあんなに消沈するのだろうか。
そして、そんな花の様子を見た自分は……何故にあんなにも嫌な気分に
なったのだろうか。まるで、弱い者でもいじめているような気分で……
それに耐え切れず、結局花の申し出を受ける羽目になってしまったのだ。


理解ができない。

花はおろか、自分自身すら。

そして、それが文若をひどく苛立たせる。


それに付け加え、花は全くの善意で文若に膝を貸すと言い出したのだろう。
枕が無いから、具合が悪そうだから。少しでも、役に立つならというそんな気持ちで。

確かに、それはあの娘の本心だろう。だが、そんな博愛的な善意で、うら若き娘の
……しかも、あんなに短い丈の衣を着ている娘の膝を、いとも簡単に差し出せる
花の態度が文若を苛立たせた。花は、具合が悪そうな男ならば、誰にでも
膝を差し出すのだろうか。そんなことを考えるていると、文若の心はさらに
苛立ちが増してくる。



故に。


文若は花の問いに不服だと答えたのだ。
そんな博愛的な善意で膝を貸し与えられるなど、不愉快だと。


「やはり、目が覚めたら安易に膝を貸すなどと言わないよう説教せねば
 ならんな。……ただ、頭痛は……少々、軽く、なって…か…も…しれん……」


その言葉を最後に、文若は不意に眠りに落ちた。入れ替わりに起きた花が、
とてもうれしそうな笑みを浮かべながら文若の寝顔を見つめていたことなど、
文若は知る由も無かったのだった。