確かに、枕が変わるとよくは眠れん。
だが、かといってお前がいなくなると……



『枕』



夜も夜更け、もはや銀色に輝く月が西の空に沈みかけるころ。
花は乱れた髪と衣を整えると、できる限り静かにゆっくりと音を立てず
褥から抜け出した。

ただでさえ忙しい文若が、合間をぬって花の寝所を訪れるのは
決まって真夜中を過ぎたころ。僅かな時さえ惜しみあい、急くように
互いを求めては、愛欲の海に沈み込む。そして、互いの欲が満たされた
ころ、文若は花を抱きかかえるようにして眠るのを常としていた。

だが、しかし。

やはり、元より神経が細やかな所為か、花を抱きしめる文若からは
熟睡した気配が感じられない。枕が変わったぐらいで眠れない性質なのだ。
隣で人が寝ていたら、まったく気が休まらないのも道理だろう。

故に、花は文若がうつらうつらした隙をぬって、文若の甘い拘束を抜け出すと、
隣室に設えた仮初の寝所で一人で眠った。文若は翌朝早くから朝議があるのだ。
ただでさえ僅かな時間しか眠れないのだから、しっかり睡眠をとって
欲しい。一人で眠るのは寂しかったが、文若の為を思えば仕方が無い。

そう思って、今宵も先日同様褥を抜け出した花だったが、本日は背後から
厳しい声色で呼びとがめる声が一つ。


「どこに行くつもりだ、花」
「あ……すみません。起こしちゃいましたか?文若さん……」


花が振り返ると、文若が眉間に深いしわを寄せて、花を見つめていた。
そしてため息交じりに首を一つかしげてから、花の問いに返事を返す。


「元より眠ってはおらん。で、どこに行くのだ、お前は」


先ほどより一段厳しい声色になった文若が、花に詰問する。花は文若の
その様子に驚きながらも、正直にどこに行くのか答えた。


「えっと、隣の部屋です。一人で眠ろうと思って」
「……」
「ぶ、文若さん?」


厳しく問いただされたかと思ったら、急にふさぎこむように黙りこくった
文若の様子に、花は思わず文若の下に駆け寄っていた。寝台に上がって
文若の顔を間近で覗き込めば、文若の眉間のしわがいつも以上に深いことに
気が付いた。


「あの……」
「不服なのか」
「へ?」
「不服なのかと聞いている」
「すみません、話が読めないんですが……」
「全く分からんやつだな!お前は、私と同衾するのがそんなに不服なのかと
 聞いているのだ!!事がすめば、一人で眠りたいほど……満足、出来なかった
 ということなのだろう?」
「え……」


最初文若の言っている意味を理解できなかった花は、一瞬呆然とし……やがて
内容を理解し、頬が真っ赤に染まった。文若は、自分との行いが不満だから
一人で寝ているのだろうとすねているのだ。不満な訳などない。ただ……文若の
ため思って寂しく一人寝をしていただけなのに。花は、僅かばかり口元を緩めると、
文若にしなだれかかった。


「文若さんと、そういうことするのに不満なんてないです。ただ……私がいると、
 文若さん熟睡できないかなって、そう思っただけです。毎日朝早くから朝議が
 あるし、少しでもちゃんと寝れた方がいいかなって思って。だって文若さん、
 枕変わっただけで寝れないって言ってたじゃないですか」
「……確かにそうだが」
「だから、私、あっちの部屋で寝てきますね。文若さんはゆっくり眠ってください」
「ならん!!」
「あ!」


再度褥を離れようとした花の体を、文若はぐっと引き寄せるとそのまま床の中に
押し倒した。そして、花のぬくもりに身を埋めるようにぎゅっと花を抱きしめる。


「文若さん……」
「言ったろう、枕が変わると眠れぬ性質なのだ。お前という抱き枕を手放せば、
 寒さに震え、まともに眠れん。だから……もう、勝手に床を離れるな」
「もう、文若さん……」


しっかりと自分を抱きしめる文若の背に、花も手を回す。花も文若の温みの中で、
ゆっくりと眠りに落ちることに決めたのだった。