とある雪の日に



鈍色の空から、ふわり、ふわりと大きな綿雪が降る日の午後。文若は自ら書簡を手にし、
孟徳の執務室へ足を運んでいた。火急かつ、重要な案件であったため文若本人が直接
孟徳の元へ持参しようとしていたのだ。

執務室へ行く道すがら、文若は建物の外へと視線を送る。昨日夜半ごろから降り出した初雪は
俄に積もり、屋外を一夜にして雪景色に変えた。そして、雪はやむ気配はなく、本日もしんしんと
降り積もっている。

真っ白に積もる雪を見た文若が、あまり積もると人の行き来に不便がでるなと風情も何一つ無いことを
思い浮かべたその時。庭先に、寒々しい格好をした人間が一人いることに気が付いた。そしてこの寒さが
募る雪の日に、足をさらけ出すような衣服を着るような者を、文若はただの一人しか知らなかった。


「花、何をしている?」
「あれ、文若さん?……あ、孟徳さんのところに行くんですか?」


声を掛けられた花は、何かを丸めていた手を休めて、文若の手元にある書に目をやった。
お返しとばかりに文若も花の手元を見つめたが、花はすっと手元にあった何かを隠した。


「……ああ、丞相に火急の案件をお持ちするところだ。で、お前は何をやっている?」
「へへ……秘密です。雪が降ったから、ちょっと作ってみようと思って」
「はあ、全く意味が分からんな。……まあ、馬鹿なことをするのは大概にしておけ。
 この寒空の下、長い時間屋外にいては体調を崩しかねんからな。お使いぐらいしかできない
 人間だとしても、急に休まれては仕事に差し障りが出る」
「はあーーい、気をつけます。文若さんも、頑張ってきてくださいね」

文若の随分と遠回しな忠告を軽々と受け流した花は、満面の笑みで手を振って送り出す。
文若は僅かに頭を振ってため息をつくと、花に背を向けその場を後にした。


暫し時が経ってから、後。


文若は孟徳の裁可を確認すると、残りの書簡は先に出向かせていた部下に任せ、孟徳の執務室を後にした。
まだ残る仕事が数多あるのだ。足早に自分の執務室に戻っている途中、往きに花を見かけた庭先を再度
通りがかった。すると、またもや寒々しい格好をした人間が一人。


「おい花っ!お前、まだここにいたのか?」
「あ、文若さん!!」


声を掛けられた花が振り返ると、先ほどに比べて僅かに顔色が青い。色味を失いつつある花の表情に気が
付いた文若は、細い目を一段と細めて花を睨み付けた。


「……大概にしておけといっておいたはずだが?」
「あーその、分かってはいるんですけどパーツとか凝り出した、なんか思いのほか時間が……
 あともうちょっとで終わるので、最後のができたらちゃんと部屋に戻ります」
「最後のとやらは、いつできるんだ」
「……えーっと。多分、その、あんまり時間はかからないかと。パーツは全部揃ったから」
「ならば、明日にしておけ」
「えー。今作っちゃいたいんですけど。っくしゅん!」
「……」
「……」


無言のまま睨み付ける文若に、花が誤魔化すような笑みを浮かべたその時。文若の手が花の頭を撫でた。
外気を孕んだ花の髪は氷の様に冷たい。そして、そのまま手を滑らせて花の頬を撫でる。
髪同様に冷え切った花の頬に、文若の手から熱が伝わった。不意に伝わった文若の体温に花が思わず
身を震わせると、花の耳元で文若が呟いた。


「夏に土砂降りの雨の中、迷い込んだ子犬と遊んで夏風邪をひいた愚か者がいたような気がするのだが、
 私の記憶違いだったか?」
「ううう……多分、記憶違いじゃない…と、思います」
「ならば、分かるな?」
「も、もう部屋に戻ります!!」


文若の熱い吐息交じりの説教に顔を真っ赤に染めた花は、逃げ出すようにその場を後にした。残された文若は、
深い深いため息を一つつく。しかし、そこまでして花が何をしようとしていたのか、流石の文若も気になった。
文若は花が何かを拵えていた場所に眼差しを送る。そこは夏は草花を植えた花壇となっていた場所だったが、
今は草木は無く、ただ鉢が幾つか並べてあるだけの場所だった。

その鉢のうちの一つ文若が眺めていると、なにやら雪玉を丸めたものが置いてあることに気が付いた。
更に近づいて良く見てみると、それは兎を模した雪玉で、耳には常緑の木の葉、目には南天の実がつけられていた。
なかなか良くできているなと感心した文若だったが、その隣に少し隙間を空けてもう一つ雪兎があることに気が付いた。

そちらの雪兎は、先の物に比べて一回り大きく、目に一番の特徴があった。こちらの雪兎の目には南天の目が
つけられておらず、代わりに細い木の枝がつけられていたのだ。


「……これは、随分と細目の兎だな」


文若が苦笑交じりに呟くと、更にその横に、とても小さな木の葉と南天の実が置いてあることにも気が付いた。
きっと花は最後にもう一つ、こちらの材料を使って雪兎を作るつもりだったのだろう。しかし、今までに見たものに比べ、
随分と耳にあたる木の葉が小さい。何故にこんなにも小さな雪兎を作る心積もりだったのだろうかと、文若が花の考えに
思いを馳せたところで、文若はある一つの結論にたどり着いた。

文若は足元の雪を一掬いすると、小さな小さな雪玉を握った。他の二体を模して丁寧に形作ると、小さな木の葉と
目を添えて、他の二体の間に置いた。すると、どうだろう。文若の目の前には小さな雪兎の一家が現れたではないか。


「……明日、花が見たら……どのような顔をするのだろうな」


そう呟きながら、文若は凍えた手に息を吐きかける。その表情はとても優しく、寒々しい雪景色の中に僅かな
温かみを点すのだった。