思い起こせば。

言葉を交わせば苛立ちを覚える。
猪突猛進な行いに腹が立つ。

だというのに、何故こんなにも。

彼女を求めて飢えるのか。



『飢え』



「それでは、玄徳軍の女軍師の首と、江陵と南部四城の価値が等しい
 おっしゃるのか。公瑾殿はいささか、あの軍師を過大評価されている
 のでは?」


渋面という以外、表現の仕様が無い面構えの武将が、公瑾の目の前に
立ちはだかっている。彼をこれから和議の使者として、玄徳軍の雲長の元
に派遣しなくてはならないのだが、どうやら公瑾が示した和議の内容
がいたく気に入らないらしい。口調は比較的穏やかであったが、公然と
公瑾の内容に異を唱えてくる。


公瑾が示した案は、まず第一に今回の策を献じた軍師を仲謀軍に使者と
して送ってよこすこと。話し合いの第一歩として玄徳軍それを求めたのだ。
一応表向きは使者をよこせといってはいるが、その実は人質に等しい。

誰が今回の案を献策したのか、具体的に名が知れているわけでは
なかった。が、しかし、犠牲を最小限に抑えて城を得ようと策を
講じる人間など、玄徳軍の中でたった一人しかいないであろうことは、
公瑾にとって想像に難くなかった。だから、公瑾は使者として
彼女を送ってくるように求めた。


それは……

あの日、あの時。

紅に包まれた戦場で。

私の掌の中から抜け落ちた……あの彼女。


しばし、使者役の武将の反論を聞ききながしながら、だから古参の武将は
扱いにくい……と心の中では悪態などを付いていた公瑾だった。が、しかし
そんな事は全くおくびにも出さず、公瑾は淡い笑みを浮かべながら
武将の問いに返事を返した。


「いえいえ、そんなことはありませんよ。彼女は我らが数多の血を流し、
 孟徳軍と相対していたころ、漁夫の利さながらに城を掠め取った
 優秀な策をお持ちの方ですから」
「しかし……いくら優秀といえども、高々女一人で手打ちになると
 いうのであれば、玄徳もその軍師を送りつけてくるので?
 そうなれば、こちらから攻める切欠も無くなってしまいますぞ」
「それはありません」


普段は温和な言い回しを常とする公瑾が、ハッキリとそう言い切った。
あまりにも断定的な言い回しに、使者役の武将も二の句が継げない。
その機を逸することなく、公瑾は言葉を続ける。


「玄徳殿は仁君と誉れが高い。良策を献じた軍師の首を、保身の為に
 送りつけるような真似などなさらないでしょう。故に、この提案は
 必ずしや、破談になる。そして、我らが攻め入る好機となります。
 我らが流した血の対価を、玄徳軍には支払っていただかなくて
 はなりませんからね」
「うむ……公瑾殿がそこまで言うのであれば……あい分かった」


使者役の武将は、ようやっと納得が言ったようで、公瑾の天幕を
後にした。そして、その場には、ただ独り公瑾が残される。



「私は……どうして、あなたに執着してしまうのでしょうかね。
 もとより破談にする和議に、あなたの名前など出す必要はなかった。
 だけれども……」


陸口で彼女と過ごした日々が、妙に思い出されてならないのだ。
公瑾に向かって、人を殺すなと言い放ったあの彼女のことが。

最初は、はなから孔明の弟子などと信じていなかった。邪魔になる
前に処分するつもりで、無理難題を押し付けた。だが、彼女は公瑾の
策略を、見事に潜り抜け、十万本の矢をも用意して見せたのだ。

公瑾は表情には出さなかったが、彼女の策に感嘆し……そして、
それ故に、彼女が玄徳軍の元に戻れなくなるよう策を講じた。
彼女の能力は、玄徳軍に渡ればいつか孫家に仇なすことが明白
だったから。


確か、最初はそんな理由だった。

だから迎えに来た玄徳を追い払い、見張りを立てて天幕に込めた。

だがそれが……もっと私的な理由になったのはいつのころからだった
のだろうか。言葉を交わせば、軍師の癖に争いを好まぬ発言に苛立ちを覚える。
かと思えば、夜分に自分の天幕に直談判にやってくる。一応は友軍の使者
という立場とはいえ、年頃の娘が夜分に男の……自分の天幕に一人でやって
くるなんて、常軌を逸した行いだ。そんな彼女の猪突猛進な行いに腹が
立ったのは一度や二度の事ではない。


だが、それでも。


彼女を見ていたかったのだ。

困難に目をそむけず、真っ直ぐ見つめるあの瞳を。
公瑾の内に秘めた傷を抉り、激しい痛みを思い出させるあの瞳を……


ずっと、見ていたかった。



「もう一度、あなたに会いたいと願ってしまったのですよ。もはや
 私とあなたが交わることなど、二度とない。星はそう告げている。
 しかし、それでも……。あなたに会えば、この飢えが癒される。
 そんな気がしてならなかったのです」


そう言うと公瑾は、胸に自身の手を当てる。

すると彼の飢えと同調するように、先日受けた矢傷が、じくりと疼くのだった。