触れ合う事を恐れていたのか。
それとも、触れ合った先にある気持ちを恐れていたのか。
その時まで、私には分からなかった。




浅い眠り。



アーチャーは現界してから常に、凛の部屋の片隅にある豪奢な長椅子で睡眠を取っていた。
マスターの安全を確保するという名目もあるが、実際はさにあらず。
幾重にも厳重な結界を張り巡らした遠坂の家であれば、どの部屋にいようともマスターの
危機に対応する事ができたのだから。

それでも尚、凛の部屋の長椅子にこだわる訳は………。
アーチャー自身にも分からなかった。強いて言えばよく眠れるということぐらいか。
アーチャーは自問自答し、苦々しげに笑う。



午後。
夕焼けと共にマンダリンオレンジの弱い光が長椅子で眠るアーチャーの銀髪を、
暖かい色合いに染める。学校にいるマスターを刺激しないため、凛がアーチャーを伴わず学校に
行くようになって数日。いまだセイバーから受けた傷が完治しないアーチャーは日がな一日長椅子で
睡眠を取っていた。霊体でいた方が回復が早いように思われたが、実際試したところ大差変わらない。
それなら、何かと便利ということで、実体のまま昼寝をしていたというわけだ。

ちなみに『何かと便利』とは凛にとってであり、炊事洗濯その他もろもろアーチャーに
やらせるためである。それらの雑用を片付けてしまえば、アーチャーの仕事は昼寝という訳で…
今も凛の部屋の長椅子で眠っていたところだった。



『ガチャ…』



部屋のドアが静かに開かれる。凛が学校から帰ってきたのだった。


アーチャーの眠りを妨げないようとても静かに、凛はドアを開けた。窓際の長椅子に寝そべる
アーチャーはまるで古代ギリシャの神々を描いた油絵の様に魅力的だった。銀髪に、程よく焼けた
健康的な色合いの肌。無駄な筋肉などまるで無い、野生動物の様に研ぎ澄まされた肉体。
そしてそれらを意図的に覆い隠すような真紅の外套。あいかわらずハンボケで真名を思い出して
くれないアーチャーであったが、その姿を見ていると、案外その手の神々の末席辺りに名を連ねて
るんじゃないのかしら?なんて好意的に思ってしまう凛なのであった。

凛はデスクにおいてあったブランケットを手に取ると、足音を立てずアーチャーへ近づき、
その魅惑的な体に優しくかけてやった。まぁ、サーヴァントが風邪引くとは思えないんだけど…
自分の行為の矛盾に少し苦笑いをしながら、凛はまた入ってきたときと同じように静かにドアを
あけ、部屋から出て行った。夜の見回りまでにはまだ時間がある。その間にやらねばならぬ事が
マスターである凛には多々あったからだった。



『ガチャ…』



凛が部屋を出ていった。部屋には凛の魔力の残り香…みずみずしく熟れた水密桃の様な甘い香り…が
漂っていた。アーチャーはその余韻に浸りながら、自分に掛けられたブランケットを引き寄せた。


「全く…甘いな。」


アーチャーはひとりごちる。魔術師としては全くもって非の打ち所が無いと思える凛であったが、
マスターとしては…いささか減点をせざるを得ない。サーヴァントに気を使って、静かに部屋に
入ってきたところも、こうやってアーチャーにブランケットを掛けてくれた事も…すべてが
気に食わない。いくら眠っているとはいえ、サーヴァントが己がマスターに近づかれて気がつかない
訳が無い。そんな事ぐらい凛だって分かっているだろうに、ああやって優しくブランケットを
掛けたりするのだ。

それが本当に、気に食わない。気に食わないが…それを甘んじて受け入れている自分自身が、
一番気に食わないのだった。



「ふん。お互いに、鬼の霍乱という事にでもしておくか。」


アーチャーはその思考に適当な踏ん切りをつけて、また眠りに戻った。
浅い、浅い眠りの中へ。



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