要は情熱の問題である。
心底それを望むのであれば。
汝、怒れよ。



夜半の嵐



額に浮かぶ汗。
荒々しい息遣い。
頑なに閉じられた瞼。

まるで胎児のような姿勢で横臥する男の左手から、おびただしく流れる血液。
そして、魔方陣から霧のように立ち上る魔力。霧はやさしく男を包み込むどころか、
その魔力を薄い刃物のように男の肉体に押し当てて、その肉を抉りとるかのようだった。
元来、遠坂の魔術は回復に重きを置いていない。その遠坂の魔力の結晶である魔方陣は、傍から
みてても眉を顰めたくなるほど、荒々しい方法でアーチャーの傷を癒そうとしていた。


「…。」


凛はその様を見て顔を曇らせる。とりあえず、アーチャーの尊大な態度に免じて自室に引き下がった
ものの、どうしても自分の身代わりになった落とし前をつけたくてしょうがなかったのだった。
そんな訳で、とりあえず薬箱とブランケットをもって地下室に降りてきたが、思ったよりも
アーチャーの具合は悪い。怨嗟の呪が本人の想像以上に肉体に入り込んでしまったのだろう。


「本当に、アンポンタンなんだから…」


凛は苦々しげに呟く。

あの俗悪な呪は、生き物が凄惨な死を遂げる瞬間の憎しみの言葉をこの世に縛り付けたものだ。
呪を受けた本人が憎まれていれば、憎まれているほど、憎しみが憎しみを呼び呪が濃くなってしまう。
魔術師は、必ず血塗られている。それゆえに対魔術師用のトラップとして利用されたのだろう。
だが、それなら英霊はどうだ?市井の魔術師よりか、はるかに血塗られている。幾ばくかの奇跡を
起こすために、計り知れない犠牲を払ってきたのだろうから。

その、計り知れない憎しみの言葉を一身に受ける。それがどれだけ厳しい事か、凛には想像すること
もできなかった。ただ、一つだけわかるのはアーチャーの左手の傷から流れる血液。アーチャーが
自傷行為をしてまで気を逸らしたいほどの、激しい憎悪だったのだろう。


凛はアーチャーに守られた、あの一瞬を思い出した。
咄嗟に外套に包まれて、感じたのはアーチャーの体温。アーチャーは鏃がアーチャーの肉体を穿つ、
その時でさえ、決して凛に触れようとはしなかった。そう、アーチャーは外套越しに抱きしめた。
あくまでも、自分との間に一枚の壁を作ったのだった。


「まぁ、分からないでもないけどさぁ…」


凛も、アーチャーに触れるのが怖い。いや、触れることではなく、触れた結果どうなるのかが
怖い。このところ僅かの眠りの間でさえ、アーチャーの心象風景を夢見る。マスターとサーヴァント、
ただ契約を結んだだけでこれだけ心が繋がってしまっているのだから…もしも、触れ合ったりしたら
どうなるのだろうか。もっともっと感情が流れ込んでしまうのではないのだろうか。

心に入り込む、あのアーチャーの虚無。ただ一人、孤高に丘の上に佇む姿は…なんど見ても腹が立つ。
何故、自己犠牲の上に人の幸せを願うのかと。何故、自分の幸せを考えないのかと。
何故、最後の最後まで、一人でいようとするのかと…腹が立って、腹が立って…涙が出る。
ただ、契約を結んでいるだけでこれなのだ。だから、もしこれ以上の感情が流れてきてしまったら
自分は一体どうすればいいのか、皆目検討がつかない。…だから、アーチャーに触れるのが怖かった。


しかし、目の前で苦痛に震えているアーチャーの様子を見れば、そんなことに悩んでいる暇は無い
ように思われた。意を決した凛はアーチャーに近づく。その瞬間…アーチャーはうわ言のような
事を呟いた。その言葉に、そっと耳を済ませる凛。


「…凛の性格を考えると、ありえるな…あれは大事なところが抜けているから。」
「ちょ!ちょっと!!!誰が抜けてるですってぇ〜〜〜!!」


凛の中で、何かが弾け飛んだ。そんな凛の雄叫びにより、アーチャーは微かに目を開いた。
そして、一つ溜息をつくと言葉を続けた。


「…一人で眠りたいと伝えておいたはずだが?」

その表情は、ほとほと疲れたとでも言いたげで…憎たらしい。


「聞いたけど、了承はしてないわよ。」
「…本当に君って…」


今にも説教を始めそうなアーチャーの言葉をさえぎって、凛は宣言する。


「あーもうそれは言わなくていいわよ。今日はそれ聞き飽きたし。」


コイツ、本当可愛げないわ。一つ実力行使してやろう。…そう、凛は心に決めた。
決心した凛はにっこり笑って、アーチャーに近づいたのだった。




「…む。」


アーチャーは一瞬、不穏な雰囲気を感じた。無論、近づいてくる凛からである。
どんなに状態が最低であっても、アーチャーはサーヴァントである。身の危険を感じる直感は
鈍らない。いや、むしろ最低の状態の時の方が冴える。そのアーチャーの第六感が、満面の笑み
で近づいてくる凛から危険を感じとったのだった。

とりあえず、体を起こし凛と対面する。手荒い魔方陣の治癒のおかげで、怨嗟の呪の毒気が抜けて
きたようだが、まだ頭は朦朧とする。一つ頭をふり、はっきりとした意識を取り戻そうとした
その瞬間、アーチャーの耳は理解ができない音を拾ってしまった。


「じゃー服脱いで。」
「…は?」
「は、じゃなく!!!治療するから、外套と甲冑脱いでっていってんの。」


そういって、凛は薬箱をぐいっと突き出す。言っている事は、理解ができる。だが、理解ができない
のは…突き出された薬箱が…ごそごそごそごそと不審な音を立てているのだ。思わず、薬箱に注視する
アーチャー。そんなアーチャーの表情をみて、凛は満足気に笑う。


「さー早く!!脱いで脱いで脱いで!!!!」
「…。」


アーチャーは無言の抵抗を試みたが、凛の令呪のプレッシャーにより、撃沈した。仕方が無く
アーチャーは真紅の外套を脱ぎ、甲冑の魔力を解除する。その瞬間、露になるアーチャーの上半身。
無駄なものが無い、鍛え上げられた肉体。呪の解毒のためか、玉のような汗が噴出している。
その汗が、程よく焼けたアーチャーの肌を、伝い、流れ落ちる。濡れたアーチャーの肌は艶やかで
美しい大理石の石像を彷彿とさせた。


「と、とりあえず、背中見せて!!」


思わずアーチャーの体に目を奪われてしまった凛は、ぶっきらぼうに命令する。
アーチャーも諦めたのか、素直に背中を向けた。




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